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30歳で大手メーカーからベンチャーに転職 。 38歳でスタートアップに挑戦するわけ。

▼藤田 理

専修大学経済学部卒業後、タカラトミーに入社。街の玩具から大手法人の営業担当や人生ゲームの商品担当を経験。退社後はITベンチャー企業のSpeeeにジョイン。80人のミドルベンチャーから500人以上のメガベンチャーへのグロースと上場をマネージャーとして経験。その後、学生時代の友人の森井に誘われ現職へ。現在は2児の父親でもありながらラクロスを現役でプレー中

新卒・第一志望のおもちゃ会社に入社

新卒でおもちゃ業界に入り営業のキャリアからスタートしました。子供のときから玩具やエンタテインメントが好きで、好きなことを仕事にしたい!という一心で就職活動してました。提出したエントリーシートにこの会社でやりたいことは?という問いがあり、「一人でも多くの人を笑顔にできる人間になる」と書いて提出し。そこから縁があり入社しました。

おもちゃの業界はとても良い意味で非常におおらかで楽しかったです。子どもたちのヒーローにもなれる謎の優越感を味わったり、コロコロコミックを読んでないことで怒られたりw。社内でカードゲーム(デュエルマスターズ)の大会を開いてで競い合ったり、仕事や業界の未来に熱くなって同期や先輩と喧嘩したりと、今でも楽しくいい環境だったと感じてます。



順風満帆のおもちゃ屋からのキャリアシフト

2012年くらいに会社が買収した企業の提携が上手くいかない流れから、業績が不安定になることがありました。その過程で営業本部が50人近くグループ会社へ出向したり、残った40代の上司がリストラされたりしていく中で、自分の40代や未来に漠然とした不安が生じてきました

「本当に僕は一人のビジネスマンとして仕事ができる人間なのだろうか?」
「僕の40代はどこに行っても通用するビジネスマンになれるのだろうか?」
「会社の看板でなく仕事ってできるんだろうか?」
と大手あるあるの不安に駆られて気がついたら大好きな会社を飛び出していました。

そうして飛び込んだITベンチャー人生

全くもって通用しませんでした。

飛び込んだSpeeeは6期目で社長は当時28歳。社員の9割が若い男で営業はみんなゴリゴリの人材系営業ばかり。アナリシスもいつか事業を起こす野心と地頭の良さを兼ね備えた高学歴なタフな連中ばかり。今まで「キッズステーションで特集されるので!」「コロコロの付録になります!」なんて営業や企画書つくって「タカラトミーさん」ってのほほ~んってやってたのに、いきなりクライアントのビジネスモデル分析からマーケティングのコンサルティング。本当に今考えると失礼なのですが、入社したときはドメインとIPアドレスもしらなければ、ブラウザと検索エンジンの区別もつかないところからのスタートでした。なんとか寝る時間の確保をしながら、兎に角必死で仕事にしがみついた記憶しかなく本当に辛かったと今でも思います。そんな苦戦する自分と周囲は異なり、SpeeeのSEOアカウントは常勝でグループの目標を達成しないことがなく。みんなで売上達成して白金にある某焼肉屋を平均年齢28歳くらいの若いやつらが貸し切ってどんちゃん。達成の旅行だ!と半年に豪勢に1回社員旅行。不甲斐ないなあと引け目を感じながら、来たところ間違えたのかな・・・って心が折れそうになってました笑


ターニングポイント

入社して1年弱のタイミングで青の継続案件を失注しました。青案件というのは絶対失注しないだろうというお客様の継続の確度を表す社内用語です。自分の甘読みもしかり、なによりも顧客に価値を提供できてない自分に折れかけました。加えて当時の上司とも全く折りが合わず。言ってることがわからない。笑もう無理か・・。って思ったてたときに先輩から「誰かの真似して仕事してもしょうがないですよ。藤田さんらしくやればいいんじゃないですか?」って言われて少し肩の力が抜け、本当に自分に向き合い出しました。多分闇雲な自責と変なプライドが混同してて、素直に現実を見れなかったのだと振り返ると感じます。現実の捉え方を変えながら努力を続けていく中で自分の知見もたまり、無形の商材の売り方を覚え始め、徐々に戦力になってきた感覚が1年3ヶ月目くらいでした。(大分遅かったのですが・・・)

新規事業の立ち上げ

2年目の中盤には辛い時期を抜け出し3年目には自分がリーダー格になり、やれることが増え気がつくとチームリーダーに昇格。でも自分はコンサルティングの領域で自分のチームを持ってマネージャーを目指すキャリアよりも、面白い事業を創りたいっていう思いが強くなり始めてました。単純にコンサルティングよりプロダクトを作りたいって思いが勝ったんだと思います。やっぱり僕はモノづくりの人間なのかもですね。

そんなときにSpeeeの中で新規事業コンテストを勝ち抜き「アドプラットフォーム事業UZOU」が立ち上がるタイミングでした。当然やったことはないし、CPMとかimpもいまいち全然わからなかったんですが、
これ俺のためにも会社のためにも俺がやったほうがいいなあって思って、そのプロジェクトメンバーじゃなかったんですが、とりあえず自分がやるべきだと当時の上司に嘆願書作って提出。事業部長判断になり兼任で取り組みがスタート。そこから3ヶ月後には本格異動が決まりました。

配属後は事業立ち上げのカオスそのもの。メディア事業(supply)の立ち上げのために、営業のリストづくりにKPI設計、提案書作成からプロダクト開発の要件提案。名前を覚えてもらうために会食を続けてながらイベントへの参加。仲間と共に我武者羅にやりました。約5年間強uzouで働き本当に色々あったのですが、結果は全国600メディア以上にuzouが導入され、事業も黒字化してアドプラットフォームuzouの認知は広がり、Growthすることができたと自分では大きな財産だと感じてます。


ベンチャーを選択について

改めて選択してよかったと考えてます。プロセスは思い通りにいかなかったことばっかりですが、辞めた理由であった「一人で頑張れるビジネスマン」に今はなれてる気がします。もちろん全然レベルはもっと上げられるので最低限の目標が達成できたにすぎないのですが・・。また誤解のないように補足をしておくと「一人でなんでもやれる」という偉そうなものではなくて、今後も食いっぱぐれはないという感覚です。仕事は一人では当然できないのですが、看板ではなく自分のスキルセットを使って仕事を作っていけるという感じです。

38歳で飛び込んだ「なんでもドラフト」

8年のSpeee人生は楽しかったです。上場後もアグレッシブに次のフェーズに駆け上がろうとしている環境は素敵だったのですが、どうしても自分の中には大切な感覚がありました。「一人でも多くの人を笑顔にしたい」という社会人を始めるときに出会った言葉の存在です。自分はエンタメやスポーツで人の心が動く何かに関わり、それを社会に実装したいっていう思いがありました。そんなときに大学時代の知人だったCEOの森井からジョインの相談をもらいました。「あれ?俺これやりたいかも」って直感がありジョインを考え始めました。

スタートアップにジョインするリスク

周りからはこの手の話を言われました笑。とくに同じくらいの世代の人から。たしかに。僕も娘が二人いるので傍目からみればそう見えるだろうし笑。。でもやっぱり心に従いたいと思ったのと同時に、選んだ道が正解ではなく選んだ道を正解にすると決めました。心をもう少し言語化すると新しい何かに出会いたい攻めの気持ちが正体と考えてます。今の時点から過去を振り返ったときに、自分を幸せにしているのが「未経験なワクワク」の感情に従ったことだとしたら、その気持ちに正直になり楽しくなることの可能性を信じてみることにしました。

また個人的な思いに加えて、森井と並木とだったらもっとインパクトになることができる。そして社会に還元できるのでは?という思いでした。森井も並木もスペシャルなんですが僕と強みが異なるので、混ぜ合わせると面白いのかもと。なのでこの会社にジョインすることのリスクは感じず、むしろ未来のリスクを排除するためのチャレンジをしていく感じです。苦労はあると思いますが素敵な40代50代を迎えるためにという話なのかもしれません。

株式会社なんでもドラフトの現在を教えてください

株式会社なんでもドラフトは今は従業員7人とインターシップの仲間で構成されてる組織です。スタートアップですが出身企業は様々です。列挙するとTBS・富士通・PWC・バークレイズ・キャピタル・mixi・DeNA・CAM・厚生労働省・タカラトミー・Speeeって結構カオスですよね。スペシャリストとジェネラリストの特徴を活かしながら事業を推進をしてます。事業ドメインはファンタジースポーツと呼ばれるアプリゲーム「なんでもドラフト」です。2021年6月に調達を終え現在2021年10月にMVP版をリニューアルしてロンチする予定です。提携先も決まり始めてGrowthしていく流れが見えはじめ、非常に稀有でエキサイティングな状態です。またそれ以外にも野心的に2022年に次の事業を仕込んで企画しているので、事業の立ち上げ期の面白いフェーズに入っていくと思います。詳細は是非カジュアル面談でも面接でもしっかり話をさせて頂きたいと思いますが本当に楽しみにしててほしいです。

今後なんでもドラフトで実現したい世界

「プロダクト」「組織」「個人」の3つの切り口で話をさせて頂きます。

まずプロダクトですが「感動と熱狂のプラットフォーム」になんでもドラフトをしたいと考えております。
言うなればスポーツエンタメ界の「マヨネーズ」です。マストのものではないけど、一度口にすると物足りなくなって気がついたら必要になってる。そんな位置づけです。なんでもドラフトのサービスは他のファンタジースポーツのサービスとは違います。ファンタジースポーツというとベッティングや賭博が想起されます。現在スポーツベッティング合法化の流れがあるのですが、仮にそうなっても僕らは賭けには手を出しません。僕らはファンタジースポーツの楽しさの本質は賭けでお金がもらえることではなく、知的好奇心をくすぐり純粋にスポーツをスタッツで見て思考して楽しむことだと考えているからです。僕は横浜ベイスターズが好きで試合をよくDAZNさんでみるのですが、結構序盤に投手陣が崩れてこれは終わったー(´;ω;`)ってなることあるんですよね(失笑)そのときになんでもドラフトをやってると「今日そういえばパ・リーグでオリックスの山本由伸とってたなあ。調子どうかな〜。」ってみるとすごいピッチングしてて新しい感動に出会うとか結構よくあって、大好きなスポーツをなんでもドラフトを通じて別の視点を貰える経験をしてます。また野球以外のスポーツでもなんでもドラフトは遊べるので、JリーグやBリーグの観戦の時間も増え新しい感動をしたり、去年のNBAファイナルをなんでもドラフトで競う企画を行ったのですが子供のときにマイケル・ジョーダンに心を奪われたあときを思い出しNBAも見始めてます。こんな風に好奇心の導線に火つけられるんですよね。好きなスポーツやエンタメにスパイスを加えて連鎖していく「感動と熱狂のプラットフォーム」になれるといいなあと思ってます。

次に組織です。背中を預け合いながら成長し続けられる組織を作りたいと思います。経営や事業は困難の連続です。はっきり言って苦悩の方が多いです。でもそんなの当たり前だし変えられない。その困難を共感しながら成長エンジン積んでる仲間と弱みを補完しながら、強みを最大化して乗り越えたいです。例えて言うなら、瀧本哲史さんの「君に友達はいらない」の中で絵が書かれる秘密結社的な組織の「七人の侍」や「ルパン一味」的な世界観でしょうか。それに幕末の志士たちのような熱量を持ち合わせる組織を作りたいと思います。そんなタフで何かを成し遂げたい人と仕事したいし、そういう人には最高の会社だと思ってます。スポーツエンターテイメント産業はコロナの影響が少なからずあるので、そこを盛り上げていける要因を一緒に生み出せる仲間と楽しく強い組織を作りたいですね。

最後に個人ですが、2人の娘が喜んでくれる仕事をしたいです。タカラトミーに入社するときなんとなく、子供が生まれたら父親の仕事の作文書くときにわかりやすくていいなあって思ったんですよね。子供のときって親って誇らしいじゃないですか。父親とかが〇〇ですって。うちのお父さんってあのサービスを作ったんだ〜とか、お父さん楽しそうに仕事してるって言われたい。

あと僕がラクロスを大学時代からやってるのですが、僕が始めた20年前に比べマイナースポーツから徐々に認知は広がってるものの更にメジャーなスポーツにしたいと感じてます。それの一躍になんでもドラフトがなったら嬉しいなあと勝手に考えてます。

最後に一言

「青春しようぜ!」

僕が森井と並木にジョインの意思決定を文章で伝えたあとの最初に森井が言ったリアクションです。鳥肌がたちましたね。こいつ大学時代と変わってないな・・。面白いことまたできるかもと思いました。加えて並木からも事業がGrowthしたらゴールデンステイト・ウォリアーズのVIP席を会社で買おう!って言ってたくれたのもテンションあがりました。いいじゃないすか。そういう夢を大人で言って目指すのって。

僕らのスキルセットと経験でこの熱量を込めて戦えば結構なんでもできるんじゃない?ってシンプルに思ってます。そういう仲間と仕事したいので、是非なんでもドラフトの門を叩いてくれる仲間がほしいです。

長文に付き合って頂き有難う御座いました。


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