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UIJターンで実現した理想の暮らしと喜びとは!?成功メンバーが語るリアル座談会

こんにちは!広報採用担当の平田です。

サックルは本社東京を中心に、仙台、日南市(宮崎)、鹿児島、福岡へ拠点があります。
地方拠点には、地元メンバーもいれば、移住メンバーや、海外から留学してそのまま就職したメンバーなど様々です。

今回はUIJターンをテーマとして、実際にUターンやIターン、Jターンしたメンバーと座談会を開催し、
UIJターンを決めたきっかけについて」「不安や心配はなかったのか」「地元に戻って働く環境は実際どう変わったのか」など、ざっくばらんにお話しました。
UIJターン転職した社員の体験談話を通じて、今あなたが抱えている心配事や不安が、少しでも解消できるように、また自分にあった働き方できるのかどうか想像してもらえると嬉しいです。


座談会メンバー



好きなことを仕事にしたい。


――本日はよろしくお願いします。まずは、皆さんの自己紹介と現在のお仕事についてご紹介いただけますか。

伊地知:
出身は宮崎県日南市で、現在日南Aquaに所属しています。
サックルには2018年3月のスタートアップメンバーとして入社し、現在7年目です。 

現在の業務は、開発をメインに行っています。
案件は、番組視聴サービスサイトの開発プロジェクトに設計から携わっています。


何:
出身は中国の洛陽市です。現在Kagoshima Spaceに所属しています。
サックルには2020年11月に入社し、現在4年目です。
日本へ来日したのは2004年10月6日で、初めは日本語学校へ通学し卒業後は、鹿児島大学の工学部情報工学科でプログラミングの基礎やネットワークなどを学んできました。

現在の業務は、設計から開発を行っています。
案件は大手企業の社員福利厚生サイトの開発に携わっています。


椎名:
出身は大分県で、現在FUKUOKAに所属しています。
サックルには2024年1月に入社し、現在7ヶ月目です。

現在の業務は、BtoB向けの車両管理システムの動作確認や動作確認で見つかったバグを修正したり、小さな機能開発を進めています。


――続いて、これまでのキャリアについてお話伺えますか。

椎名:
大分県の高校を卒業して、東京の大学へ進学しました。大学時代にインターンシップへ参加した際、IT業界やエンジニアに興味持ったことがきっかけでエンジニアを目指しました。
新卒でSESの会社に入社し、約3年勤めた中で5つくらいの企業案件に参画し、様々な開発工程を経験してきました。使用していた言語はJavaで、業界は金融・運送、保険系のシステム開発に携わってきました。


――何さんは、日本に来られるきっかけから、これまでのキャリアについてお話伺えますか。

何:
まず日本に来るきっかけは、親戚や家族が日本へ行ってみたら?と進めてくれたことがきっかけで留学してきました。
私が中学生の時に叔父が福島県へ1年くらい中国の洛陽と日本の交流で滞在していたため、中国へ戻ってきた時に日本の良さを直接聞くことが多かったこともあり、日本への興味は学生時代から持っていました。

大学を受験するタイミングで中国の大学を色々と受けていましたが、自分が良いと思う大学には受かることができず、世間でいう一般の大学へ進学予定だったんです。その時に、親から日本へ留学してみたら?という選択肢を提案してもらい今に至る感じですね。

当時、中国の洛陽市と鹿児島の日本語学校は親交があったことと、一つ上の先輩が私より先に鹿児島に来られていたこともあったので、鹿児島への留学を決意したのを覚えています。

日本語学校を卒業後、鹿児島大学で情報工学を学び、卒業後は鹿児島県を中心に観光・交通事業等を行なっている企業へ入社しました。自分の希望としては、観光などを行う国際事業部へ行きたかったのですが、大学が情報系を卒業していたため情報基盤へ配属されました。
配属後は、ハード側かソフトウェア側か選択しなければなら買ったのですが、当時の私はプログラミングには抵抗を持っていましたので、ハード側を希望していました。
ですが、同期がソフトウェア側に行きたいからと誘われソフト側(社内システム)を担当することになり、そこからプログラミングにドンドンハマっていきましたね。

――伊地知さんのこれまでのキャリアについてお話伺えますか。

伊地知:
地元宮崎の高専に行っていましたが、4年目で中退して専門学校へ転入しました。
転入の理由は、何さんと同じくソフト側へ進みたかったからでしたね。
高専は電気工学科だったのもあり、ハード側を扱う電気関係や配線、モーター系を触ったりすることがメインで、正直興味は薄かったですね。

休み時間になれば、PC室で遊ぶことが増えて、電気関連には興味がなくなってしまい成績も落ちてきてしまったのです。このまま卒業しても電気関連に進むかどうかはわからなくなり、それならばもう少しコンピューターの勉強したいと思って、宮崎市の専門学校へソフトウェア側が学べる学部に転入しました。

プログラミングは、高専の授業で基礎は学んでいたので、専門学校へ入学してからは基本情報の資格取得からスタートし1回で基本情報技術者に合格できました。正直、授業受けている時は楽しかったですね。
その他MOS上級や、サーティファイの1級なども取得しました。

前職は、専門学校卒業2ヶ月前くらいから早期入社していて、宮崎の開発センターで研修し、現場に行く準備をしていました。
転機だったのは、入社1週間後、社長直々に「東京へ行ってくれ」と辞令が出たことで、東京へ出向することになりました。そこから東京での生活と様々なお客様先へ常駐しながら、医療系、物流系、通信業の社内システム、保険系などの開発に携わってきました。




このままの自分で良いのか?自問自答しながら、自分の成長を見据えた決断

――UIJターンをしようと思ったきっかけや、実際に動くまでどんな準備をしていたなど伺っていきたいと思います。まず、皆さんどこからどこへ移住されたのでしょうか。

伊地知:
私は、宮崎から東京に移住し、東京から宮崎県日南市に戻ってきました。
戻ってくるまでの間、福岡県や熊本県に出張や滞在していたこともありました。


何:
中国の洛陽市から鹿児島県ですね。留学からそのまま鹿児島市に定住しています。


椎名:
私は、大学進学と同時に大分県から東京へ移住し、今回東京から福岡県に移住していきました。


――皆さんは、どのようなきっかけで転職を考えたのか。

伊地知:
当時参画していた案件が、あまり見かける事が少ない技術で、その会社独自のものを使って開発していました。自分が次、別のお客様先でこの技術が使えるかと考えたら、使えないような独自のものが多かったです。
11年勤めてましたが、後半はこういった古いシステムの案件に参画することが多かったんですよね。
もう一つ環境面において、セキュリティーが厳しく、社内はスマホもネットも使う事が禁止されていた現場で働いていました。外部との接続ができない状況下がこの先続くと思うと「このままだと時代に取り残されてしまって、時代遅れの人間になってしまう」とふと考えてしまいましたね。

そこから転職を考えて、動こうと思ったのですが仕事が忙しすぎて、仕事をしながらの転職活動は難しかったことと、当時社宅に住んでいたこともあり、会社を辞めたら住む場所も無くなってしまう状況でもあり、一旦会社を辞めて、地元に戻ることにしました。


何:
私は、社内システムを中心に開発をしていましたが、段々物足りなくなってきたのが転職を考えたきっかけです。もちろん社内システムなのでデータベースやSQLも触るし、NWが動かなくなったら自分でテーブルもサーバーを作ったりしてまいました。
とても勉強になったのですが、メンテナンス業務ばかりだともっと開発業務をしたい他の技術も学びたいと思うようになった感じですね。


椎名:
大学生の時から、地元九州には帰りたいと考えていました。
新卒で入社した会社では、約3年くらいの中で様々なプロジェクトに参画させてもらい、一通りの開発工程を経験できた事である程度のことは学べたなと自分の中で思えたタイミングで、転職しようと思いました。


――どのようにしてサックルを見つけて、入社に至ったのでしょうか。

伊地知:
私が宮崎県日南市に戻る頃に、地元でIT企業の誘致している情報が入ってきてました。戻ったとしてもこれまでと同じような仕事が見つかるかもしれないとは思いましたね。

11年働きっぱなしだったというのもあり、少し休養期間を設けつつUターンで日南市に戻り、1年くらい経過してそろそろ転職活動をしようと動き始めたタイミングで、たまたまサックルのオープニングメンバー募集が地元新聞に掲載されていたのを見たのがきっかけでした。

正直不安はなかったです。なんとかなるだろう。と思っていましたこういう考え方になったのは、過去様々な現場に行ったことで、こういう考えになったと思いますね。結構、常駐先で初めからどうすれば良いのだろうと考えることが多く、なんだかんだ自分で考えて進めて出来た体験があるからかもしれません。


何:
私は先ほどお話したとおり、これまでの業務が物足りなくなってしまったので、もっと技術を学べる企業を探していた時に、サックルを見つけました。


椎名:
初めての転職でもあるので、これまでの経験を活かしつつもっとお客さんの声を聞きいてみたいと思っていました。SES企業では、4次請け・5次請けのポジションで仕事をしていたのでお客さんとの距離がかなり遠かったです。サックルはお客様との距離が近い仕事をしていることをWantedlyで記事をみて応募を決意しました。


――移住で大変だったことはありますか。

伊地知:
前職は社宅住まいだったので、前の方が残してものもの残っていたりしたので、自分が出る時にプラスで片付けなければならなかったのは少し大変でした。
地元に戻ってからは実家暮らしなのですが、11年使ってきた荷物をまずどこに置こうかと考えたくらいですかね。


何:
大変さはなかったですね。
日本に来た時は、日本語の壁はありましたが大学卒業後も鹿児島で働いていたこともあるので、だいぶ日本(鹿児島での)生活にも慣れていたからかもしれません。


椎名:
結構退職ギリギリまで案件に参画していたので、有給の消化もできず、役所手続きや引っ越し準備を仕事の合間にするのは大変でした。
年末に退職だったので、お正月に引っ越しましたし、ちょっと準備期間が少なかったのはきつかったです。



新しい人との出会い。時間とお金と心の余裕が出来たことで自分自身の心が豊かになる働き方や環境

――現在の仕事や生活についていかがですか。

何:
鹿児島での生活は過ごしやすいです。
サックルの働く環境も良いです。就業時間も自由ですし、カレンダー通りで休めるのは良いところですね。前職は土曜も出勤がありましたし、鹿児島や宮崎の企業は土曜も出勤がある企業も多かったので、働き方はだいぶ良くなったと思います。


――宮崎や福岡も土曜出勤する企業は多いのですか。

伊地知:
そうですね、宮崎も多いと思います。土曜日は午前中だけ出勤の企業もありますね。


椎名:
福岡の状況はわからないですが、大分に住んでいた時は家族が土日のどちらか仕事に行ってた記憶があります。


何:
あと、出社時間をずらして働けるし休みも取りやすい環境ですね。在宅勤務ができるのはありがたいです。


伊地知:
有給も取りやすい環境ですね。
前職だと、お客様先に常駐していたので、気軽に休みを取っていいのかわからない雰囲気でしたし、私は夜勤もありました。残業も当たり前のようにやってましたし、終電で帰れるか帰れないかまで働いてました。


椎名:
私は、残業が少なくなりました。
前職では、お客様先が遠いこともあって、通勤に1時間以上かけて満員電車で通っていたのですが、それがなくなったのはかなり大きいです。
あと、家賃や生活費も安くなったので自分が使えるお金が増えたのは大きな変化です。


伊地知:
私は実家に帰ったので家賃は0円ですが、幾らかは家に入れてはいるものの、自分に使えるお金がだいぶ増えました。


――地方と都心とで、生活の違いを感じることはありますか。

伊地知:
物価が安いですね。
あと、地方の方が、食べ物が美味しいし野菜が美味しいと感じます。


椎名:
両親や地元の友達に会えることですね。


伊地知:
あと地元だと移動が車中心になりました。
都内は基本電車で移動でしたし、車で自分お好きなところへ自分のタイミングで行ける方が良いなと思いました。乗り換えや電車を待つこともないから楽だと感じますね。


椎名:
私は自転車が好きなので福岡での移動は自転車になりました。東京にいた時も自転車は乗っていましたが、公共交通機関が中心でした。
福岡はコンパクトシティーでもあるので、自転車で結構いろんな場所を回れるのは良いなと思っています。


――休日の過ごし方について変化があれば教えてください。

何:
前職の時と家族構成が変わっているので、変化はありました。今は子どもが居るので家族サービス中心ですね。家でまったりもしながら楽しく過ごせています。子どもがいると自分がやりたいこと、食べたいものがあってもどうしても家族優先になってしまいます。


椎名:
両親や地元の友達に会う機会が増えました。
サックルに入社して、プログラミングが面白いなと思える時間が増えたので、勉強する時間も増えました。前職でも、勉強はしていましたが正直仕事だけで疲れてましたね。あまり勉強の時間は確保できてなかったですが、転職してから時間とお金に余裕も出てきたと感じてます。


伊地知:
休みの過ごし方や趣味は変わってないですが、休日は自分の好きなことをやってます。
地元に戻ってからはお金に余裕ができたと思います。実家暮らしだからと言うのもありますが、家に帰ればご飯があるというのはとてもメリットに感じています。

――都心や元々居た場所に戻ることは考えたことはありますか。

椎名・伊地知:
戻りたいとは思わないですね。今の場所で満足しています。


龍:
日本に来て20年経ちましたし、生まれ故郷の中国にはいつか帰りたいなと思いますね。これまで中国に帰るにしても旅行などで短期間の滞在だったので長期で帰れたらなとは思います。


――UIJターンをして良かったことはどんなことでしょうか。

伊地知さん:
地元で親と一緒に暮らせることでしょうか。
多少の煩わしさを感じることもありますが、一人暮らしの生活よりもだいぶ楽な生活をさせてもらっています。特に、食事は影響が大きいです。家に帰れば温かいご飯が出てくるのはとても感謝しています。


何:
私が日本(鹿児島)に来て良かったことは、色んな世界観を見ることが出来たことですね。
色んな人との出会いもありました。
当時アルバイトをしていた会社の社長さんや、趣味がバイクなのですがバイク屋さんの社長などお世話になったことは今でも大変感謝しています。
今は、サックルのメンバーと出会えて嬉しいです。個性ある方々が多いですが、仕事の相談もしやすく
とても良い縁を引き寄せていると思います。


椎名:
時間とお金の余裕が出来たこともですが、両親や地元の友達と会えることが一番良かったことです。
都内で働いていた時は、地元の友達と会う機会はほぼなかったです。

やろうと思ったら、まず行動してみる!

――今後のキャリアプランや目標を教えてください。

何:
今は設計から開発を行う業務が多いですが、技術領域や携わる工程の幅も広げて行きたいですね。
私は好奇心旺盛なので、プログラムだけではなく、もっとインフラ領域(AWSなど)も含めて深くよりは広い領域知識を身につけていきたいですね。お客様の要望やアドバイスなども学ぶことが出来たら良いなと思います。


伊地知:
今のやっている仕事をずっと続けられたいいなと思います。
今のやっている領域だと、AIを活用した開発が増えてきているので、新しい技術を取り入れながら開発するシステムも経験していきたいです。
自分自身でアンテナ張りながら、新しい技術も取り入れて極めていきたいですね。
私はどちらかと言うと、マネージメントよりは技術領域を増やしたいと思います。


椎名:
私は、技術を極めていきたいです。
プロジェクトの中でも、コアな部分を担当できる開発メンバーを目指しています。
現在、Nuxt.jsの技術をキャッチアップ中です。


ーーUIJターン転職を考えている方々に一言アドバイスがあればお願いします。

伊地知:
地元も、実家もいいぞ!
なぜならば、時間とお金の心の余裕ができたからですね。


何:
鹿児島は住みやすいよ!
福岡まで大きな都市で働いたことはないですが、鹿児島は比較的のんびりできる土地でもあり環境があると思います。


ーー私も鹿児島に住みながら働いていましたが、鹿児島や宮崎はゆっくり生活できる環境だと思いました。

伊地知:
そうかもしれないですね。


椎名:
地元に帰ろうと気持ちがあれば早めに決断して、動く!
早く動いた方が移住した先(新しい場所)での出会いや人間関係が築けると思うんです。
自分でこうしたい!と思ったらすぐ行動したら良いと思います。
そのために、情報収集は大事ですね。
私は1年くらい準備期間はありましたが、しっかり情報収集をしたことで安心して動けたのかもしれません。



いかがでしたでしょうか。
3名のメンバーそれぞれいろんな思いや考えを持って行動されていたことが、今回の座談会を通して皆さんに伝わっていると嬉しいです。

他にも気になることがあれば、カジュアル面談や社内見学の実施を行なっておりますので
少しでも興味を持っていただけた方からのご応募、心よりお待ちしております!


★サックルに少しでも興味を持ってくださった方は、ぜひフォローやいいねをいただけると嬉しいです。

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