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初めまして!
2021年2月からiputに正式入社し、この春から新社会人になりました、樗木(チシャキ)のえるです。
現在20歳です。
iputさんとは2020年の夏頃からお仕事させていただいているのですが、一緒にお仕事し始め福岡住んでいた当初は、約半年後には東京で就職してバリバリお仕事しているなんて思ってもいませんでした。
今回は、4月からiput株式会社に私含め新卒(新人)が5名入ったということで、メンバーそれぞれのストーリーを更新していきます。
トップバッターは私です。
それでは、生い立ちからiputと出会うまで、iputのすごさ、現在任されているお仕事などをお話していきます。
転勤族の家系に生まれた私、色んなところで働き住む両親を尊敬
▲香港にいた時に住んでいたマンション「ラグナ・ベルデ」
私の家はいわゆる転勤族で、私自身も、福岡→香港→静岡→福岡とわりと転々としていました。
両親は、私が生まれる前にも、東京、埼玉、大阪など色々と住んでいます。
私の家は4人姉弟。転勤を繰り返しながらも4人の子供を育てるという時点でもうすごく尊敬しますね。
ちなみに私は三女です。
両親ともに一番大変だと言っていたのは、やはり「香港」に1年半ほど住んでいた時のことです。
英語はカタコトしか話せない、その上幼稚園~中学生までの子供が4人もいます。
知り合いも当然いなければ、外国の暮らしは初めて。
当時私は小学1年生だったので詳しい生活などは覚えていませんが、奮闘している両親を見て、言葉の壁は大きいと感じていました。
そんな中でも両親は、英会話を習いながら仕事や現地の人との交流などをしていました。
色々と転々として仕事をしている両親の家庭に生まれたから、良い意味で地元にこだわらなくなったし、様々な地域の特徴や人の話を聞いて将来へのワクワク感は大きかったです。
そのため、遠くで働くことへの抵抗はなかったかもしれません。
両親はいつもこう言っていました。
「あなたがやりたいことをやりなさい。どこで働いたって何をしてたって、やりたいことやっているならそれでいい。」と。
子供の時はほえ~~って聞き流していただけですが、今となってはこの言葉がとてもありがたく感じます。
人に流されていてばかりでやりたいこともなく、病んでいた学生時代
▲高校で吹奏楽部時代、駅前でコンサートしていた時の写真。トランペット吹いてました。
私は、学生時代はとても「人に流されやすく、敏感な人間」でした。
小学生~高校生は静岡県で過ごしています。
正直、高校で吹奏楽部に入ったのも、"友達が入ると言ったから"。誘われて流されました。
本当に学生時代は何となく生きていて、「やりたいこと」なんてなくて、ただその時を適当に生きれば良いや。と思っていました。
そして、周りの人の顔色を伺いやすく、少しでも相手が不機嫌だとビクビクし、勝手に病んで勝手に体調を崩す毎日。雑貨屋さんでの初バイトも3ヶ月で辞めました。
高校やバイト含めいじめられたとかは一切ないけど、人と関わるのがすごく苦手になっていました。
部屋に引きこもり、ベッドでわけもわからず泣いていました。
徐々に学校にも行けなくなり、高校は途中で通信制に転校をしています。
自分でも何がしたいのかわからず、両親にも友達にも心配をかけるし、今思えば非常に暗黒時代です(笑)。
ですが、ここで私はとあるTwitterアカウントを設立します。2018年10月頃。これがのちに大きなチャンスとなります。
2019年3月。高校卒業と同時に福岡への引っ越しが決まり、「大学や専門へ行くか」、「就職をするか」という将来の選択がとても難しかったです。
その時も、「やりたいこと」や「なりたい職業」は特になく、でも何となくで大学に入るのはお金や時間の無駄にもなりかねないし、親にもこれ以上悩んで迷惑かけたくないと思ったので、とりあえずそのまま福岡に引っ越し。
迷惑をかけられないと言ったものの、その後もまだ人への怖さが拭えず、ニート引きこもり期間が2ヶ月ほど続きました。
高卒で何もなかった私が始めたこと
▲被写体をしていた時の私のポートレート写真
引きこもりニート期間が2ヶ月ほど続いた後、姉からある提案で、一緒に事務所に入って姉と被写体活動をすることになりました。
そこから外に出るようになります。
マネージャーさんやカメラマンさんと話しながら撮影を進め、自分が撮られるだけなのに報酬をもらえ、「写真良かったよ」と言われるのがとても嬉しかったのを覚えています。
被写体の活動は数ヶ月の短期間でしたが、人との関わりの怖さを一瞬和らげてくれました。
2019年夏頃、福岡に引っ越してから約半年経った頃、ようやくバイトを見つけて始めます。
ゲームアプリのメールサポーターでした。
パソコンを使うバイトで、9時から18時まで働きました。
パソコンは普段使うことがなかったので、ブラインドタッチを覚えるところからです。
ここでのバイトでタイピングが早くなりショートカットキーなどを覚えることができました。
そこは7~8ヶ月バイトしたのですが、また、人に上手く馴染めず辞めてしまいます。
7~8ヶ月バイトしていたのにも関わらず、ほとんど1人で仕事し行動し、バイト仲間と遊ぶなんてことは一度もありませんでした。仕事中の会話も必要最低限。
今思えばその時の私は完全に「受け身」。
自分から関わろうとせずに話しかけられるのを待っているだけ。というか仕事はさっさと1人でこなしたい、なんて思ってました。
これって本当に良くなかったなと今は痛感しています。
何ごとも受け身だと何も始まらないんですよね。運よく相手から来てくれることもあるかもですが、それが毎回とは限りません。
そして、協力できるところを自分で閉ざすことも良くない。
iputに入ってとても感じますが、「主体性」を持って動ける人は状況がみるみる変わっていきます。
逆に、受け身で自分から動けない人は、何も変わらずただつまらない日々を過ごすだけになります。(以前の私みたいに)
Twitterでライターとしてのお仕事依頼。1人でブログを始めてみる。
今までの私は、何もやりたいことがなく、飛びぬけた能力もなく、ただつまらない日々を過ごしてるフリーターでした。
ですが、1つ毎日続けてやっていることがありました。
それが、「Twitter」です。
2018年10月にアカウントを始めたのですが、気づけば2020年3月頃にはフォロワーさんが5万人を超えていました。
正直このアカウントは、何か対策をしてフォロワーさんを増やしたでもなく、私もよくわからないうちに気付けば5万人ほどになっていました。
1つ言えるとするならば、小さい頃から私は人の気持ちを考えすぎてしまいます。
良く言えば、人の感情を汲み取ったり、相手が嫌な思いをしないことを考えるのが得意です。「のえるちゃんは思いやりがあって優しいね。」小さい頃からこの言葉はよく言われてきました。
そのため、フォロワーさんが求めることを言うのが得意だったのかもしれません。
その頃から、ちまちまと「ライターとして記事を書いていただけませんか?」と記事の執筆依頼をしていただくことが増えました。
当時は何もわからないなりに、記事の書き方を調べて書き、報酬をもらいます。それほど大きい額ではないですが、私の書いた文章がきちんと世に出され、それに対して報酬をもらえることに楽しさを感じます。
記事執筆をしていくにあたり、私はふと「私、文章書くの好きかも。ライターのお仕事やりたいな。」と思うようになりました。
▲当時の関連する写真がないので、作業している時に実家の猫に邪魔された写真です
自分で5万円くらいの安いパソコンを買い、ブログを立ち上げました。
自分1人でレンタルサーバーを借りて独自ドメインを取得し、ワードプレスを覚え、記事の書き方を調べ、記事を5本ほど配信しました。
(結局立ち上げ後すぐにライターが本格的になったので、今は全く動かしていないですが。)
何もわからないところから、「Google」や「YouTube」で調べて実践する毎日。
メールサポーター時代の自分は、マニュアルがあったり、先輩に聞けばすぐに教えてもらえたので、自分で全部調べて何かを始めるのはとても新鮮でした。
やっぱり、「最初に自分で調べるクセ」を付けるととても強いなと今でも思います。
知識的な世の中の知りたいことって「Google」に全部転がっているんですよね。
自分で調べるクセが付けば上司の時間を取ることも少なくなるし、自分で調べるクセを付けられれば、自分1人でも仕事が進めやすくなる。上司がいないと何もできない!という赤ちゃん状態ではなくなります。
結果的に成長が早くなるんです。
そして、「note」というものも同時に始め、初めて有料記事を配信したのですが、それが初月に50本ほど売れました。
初めての試みでしたが、「役に立った!」「わかりやすくて面白い」など直接喜びの声を聞けるのがとても嬉しかったです。
有料記事は今までに2本ほど配信しているのですが、配信して1年以上経つ今でも、有料記事は月に20本ほど売れます。
ここで記事を書く楽しさ、人に感謝される喜びを知りました。
iputとの出会い
▲→iputマネージャーの森さんです。森さんが福岡出張の時に会いました。
iputとの出会いというか、厳密に言うとiputが運営するメディアとの出会いなのですが、2020年6月頃にTwitterにこんなDMが来ました。
「ライターとしてうちのメディアで執筆しませんか?」と。
私はお仕事をもらえるのが嬉しくて、即OK!
その月から、毎月4本、毎週公開をさせていただいていました。
毎週書くのが楽しくて、編集部の方(当時は森さんが担当でした)が毎回褒めてくださるので嬉しくて、褒めてもらえたDMをスクショしてたのを覚えています。
SEOとか何もわからない私に対して記事のフィードバックを丁寧にしてくれて、そこでSEOの知識が少しずつついていきました。
「ここをこうすると記事の順位が上がりやすくなるよ。理由としては~~で、~~だからです。」など、最初に結論、あとに理由や説明などを徹底してくれてとても分かりやすかったです。
メディアに定期的に寄稿し始めてから2ヶ月経った頃。
編集部からこんな言葉が。
サラッと、編集長に「東京に住んでいたら雇いたかった!」と言っていただけたことを教えてもらいました。
この言葉が当時の私は本当に嬉しくて嬉しくて。
フリーでライターをしていた私ですが、「どこかに就職しなければいけない。」という焦りがありました。でも、ライターで探して就職に応募するも、高卒だしライター経験も数ヶ月ということで書類選考で落とされる毎日。
実家暮らしで、1人部屋で記事を書き続け、収入は多くて10万円ほど。
家にお金を入れたり、家事を手伝ったりなどしていたものの両親もそろそろ心配をしていた頃でした。
「これはチャンスかもしれない。これを逃したら私はどうなるかわからない。」と思い、「東京住むのが目標というか憧れです!!」と伝えました。
「もしかしたら、就職のお誘いが来るかもしれない…」という淡い期待を胸に、少し時間が過ぎます。
それから1ヶ月経った、2020年9月頃。「もしよかったら、東京で働きませんか?」とお誘いをいただきます。
私は当時福岡に住んでいたので、東京での就職はとても夢がありました。
不安などは特になく、すぐに親に相談。
コロナ真っ只中で、最初は微妙な反応を見せていましたが、なんせ何もやりたいと言ってこなかった、口数も少なく日々何を考えてるかわからないこの私が「東京で就職誘われたの。この会社はこういうことやってて、私はこういうことして就職に誘われたんだ、だから東京に行きたい!!!」って真剣に話したので最終的にはとても応援してくれることになりました。
リモートインターンから入社
ということで、2020年10月から「リモートインターン生」という名目で、本格的に内部の仕事に触れていきます。
インフルエンサー周りのお仕事をいきなりまるっと任され、記事のリライトなどもしました。
「ディレクション?リライトってなんぞや?」というところから始まり何もわからない状態でしたが、自分で調べつつ、上司の森さんもリモートでコミュニケーションが取りづらい中、一生懸命教えてくださいました。
電話で画面を共有しながら、ツールの使い方など基礎の基礎から、「このツール使うと効率的になるよ!」などの細かい知識まで。
そうなんです、ライター時代の担当であり、今も直属の上司である森美月さんの支えがとても影響しました。
今まで人と関わることが苦手で、人間怖いとまで思っていた私が、「この人を喜ばせたい、力になりたい!」と強く思うようになったのです。iputに入社した今は、これがメンバー全員に対して思うようになりました。
入社して思ったのが、「尊敬できる人」と一緒に働くと、本当にやる気が出るし自分も目標が作れて日々が楽しく感じます。
そして、2021年1月末に東京に引っ越し。初の一人暮らし。
▲引っ越し当日だけ雪降ってて思わずInstagramにストーリーを上げてしまったの図
引っ越ししてからもコロナ真っ只中だったため、1ヶ月はずっとリモートでした。
そして、3月に入り初めての出社。
私は、以前バイトで上手くいかなかったこともあるし、結構ドキドキ緊張していました。
ですが、そんな悩みは一瞬で解決。
オフィスに行ったらみんな声かけてくれて、ランチにもよく誘っていただけます。
笑いが絶えず、隣から聞こえてくる会話に自然と参戦している自分もいました。学生時代の私からは考えられん。
iputの方はみんな、本当に懐が大きいです。
他のストーリーも見ていただければわかると思いますが、
iputは組織力や団結力、誰かが困っている時に助ける精神、誰かが頑張った時には全力で褒める姿勢、などなど人間関係で悩む要素がゼロなのです。
そして、メンバーは皆、最初に肯定をしてくれます。否定をされるということがほぼありません。※間違っていると思うことは間違っていると意見交換しますが、全否定はないです。
私は高卒だし、現在20歳で若いし(当時就職の話をいただいた時は19歳でまだ未成年でした)、福岡に住んでいたりできっと謎の多い人物だったと思います。
そんな状況でも、私の中の少しの可能性を見つけて信じてくださり、思い切って就職に誘っていただけました。
なので、私は今でも履歴書出したことないですし、良い意味で皆さんも学歴や経歴にそんなに興味がないと思っています。
学歴や経歴を重視する会社ではないからこそ、みんなで目標に向かって突っ走っていく協力性や、自分を自分でいかに奮い立たせられるかという自己管理能力が大切になってくると思います。
出社が始まってすぐのこと。
iput取締役の浅野さんから、「のえるー、俺の事業ちょっと手伝ってくれない?」とのお声が。
主にやっていたメディアのディレクション業務を他に任せ、浅野さんの事業のアシスタントをすることになりました。
早速任された業務が、「のえる、公式サイトのデザイン考えてくれない?あとユーザーが最初に見るとこの文言。来週までに。」とのこと。
「(えっ!?私サイトのデザインとか1ミリも触れたことないんだけど…。しかもそんなとこ私が考えていいの?!)」と思い不安ながらも、仕事を任せてもらえた喜びのほうが勝ち、「はい!わかりました!!」と返事をしてました。
てか考えたところで、自分には今経験もないし、いわばまっさらな状態です。やるしかない。
今思えば本当にありがたいなと思うのですが、私は「自分のできること」がわからなかったのですが、浅野さんはじめiputの方は沢山のチャレンジをさせてくださいます。
結果的に、自分で沢山調べてツールを使いながらなんとか完成をさせたところ、沢山褒めてもらえました。全体LINEやSlackで共有して、みんなで「良いね!すごい!!」と言い合うのも日常。
納得いくまでとことんこだわってやることの楽しさを感じました。
その時、「あ、私ってデザインとかもできるんだ…!」と新たな発見がありましたし、何も経験のない私に対してでも大きな仕事を任してくれるiputさんは本当にすごいです。
iputのすごさ
上京就職をするとき、父にはこんなことを言われました。
「その会社は上場してるのか?小さな会社ってなんか不安なんだけど。」と。
たしかに従業員は10人前後と少ないかもしれないけれど、iputに入社して思うのは、「一人一人が熱量を持って仕事をしている」、「組織力が本当に大切」ということ。
私はiputさんが初就職のため他の会社がどんな感じなのかはわかりませんが、その会社それぞれで特徴はあると思いますし、その会社にしかない強みもあると思います。
iputは、一緒に入ってきた新卒の子も関係なく、すべてのメンバーが尊敬できる人間です。
新卒の子たちも、毎日何か新しい施策に取り組んでは失敗し学んでまた次の仕事を考える。まだ始まったばかりですが、現時点でそれが日常茶飯事です。
また、iputの朝会で行われるスピーチで、社長のゆきさんや取締役の浅野さんがこうおっしゃっていました。
「失敗してくれたほうがこちらとしては嬉しい。あなたたちが失敗する領域は私たちがカバーできる領域だから、何度でも失敗して学びなさい。それで沢山成長して。」と。とても印象的でした。
失敗することを恐れることが多いけれど、この言葉を聞いてからは「沢山チャレンジをしよう。失敗しても次に活かせばいいんだ。チャレンジしたことが価値であり経験となるんだ。」と思えるようになりましたね。
最初に書いていた通り、私は今まで何も熱中できるものがなかったし、人間関係も特に苦手な人間でした。
学生時代は全然勉強せず、本も全然読まず、少しでも嫌なことがあればすぐに避けて逃げてきたような。
でも、今は変わりました。
iputの人と関わり仕事をするようになってからは、仕事で「辛い」と思ったことはないし、自分が頑張った分だけきちんと評価をしてくれて、支えてくれる人たちがいるからとても毎日が楽しく感じています。
やった分だけ成長できるし、結果がどうなっても、行動を起こした時点で決して無駄なことはないんだと強く思います。
仕事に対して、どうすればいいだろうとかもっとこうしたら良いかも、ということも沢山考えるようになりました。
▲入社式後の歓迎会の様子です
「こいつ胡散臭ぇな~ほんとかよ!」と思った方もいるかもしれませんが、実際自分が一番嘘みたいだなと思ってます(笑)。こんなにキラキラして仕事に取り組むなんて思ってもいませんでした。
自分がみるみる成長し、認めてもらえることの嬉しさや楽しさ、メンバーのために頑張る楽しさを最短で感じることができたのは、iputに入社をして本当に良かった出来事だと思います。
長くなりましたが、高卒で何もなかった私が、今では、主軸メディアのディレクション業務、ライティング、サイトデザインの構築、新規事業のアシスタントなど様々な業務に日々全力で取り組んでいます。
今何も考えていなくても、明日からでも自分はいくらでも変われる。
自分が成長するのを実感し、周りの人と協力をして仕事をする楽しさ。iputで一緒に働いて感じてみませんか?