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【代表インタビュー前編】ソウルウェア代表、吉田超夫「余白のある働き方」を実現するための挑戦

こんにちは、ソウルウェア採用担当です!弊社は勤怠管理クラウドシステム『キンコン』とkintone(キントーン)の帳票出力プラグイン『レポトン』を主力製品とし、設立以降、持続的な成長を実現しています。今回は弊社の創業者であり、代表取締役である吉田超夫(よしだ のりお)のインタビューをお届けします。この前編では吉田の幼少期から学生時代のエピソードと、創業までのストーリーを紹介します!

学業と音楽の間で揺れ動いた日々

―― まずは幼少期から学生時代について教えてください。

幼少期はいつもニコニコしていた記憶があります。あまり怒ることもなくて。学力面では勉強をしなくても成績は良好でした。そのため高校は進学校に進みましたが引き続き勉強はあまりせず、定期試験では数学で4点など低い点数を取ることもありました。ただ物理だけは得意で、いつもトップでした。大学受験時は「ギター職人になりたいから専門学校に行きたい」と両親に伝えたんですが、大学に行ってほしいと言われてしまって。当時からテクノロジーへの関心はあったので、工学部電子工学科を受験しました。受験勉強もほとんどしなかったので不安を感じてはいましたが、無事に合格し大学に進学しました。

―― 無事に第一志望に合格されたんですね。その後の学生生活はどうでしたか?

大学ではFORTRANという今ではとても古いプログラム言語を勉強していたんですが、実は1年で辞めたんです。理由は異様なほどに混む満員電車と、バブル時代の特有の学生のノリについていけなかったから。その後は「もう1回勉強して大学に入り直したい」と両親に伝えて退学をしたので、とりあえず予備校に行くことにしました。でも急に勉強することもできなくて。結局、予備校の屋上で遊んでいるような状態だったので、予備校も早々に辞めました(笑)。

―― 大学も予備校も辞めてしまったんですね(笑)。ではその後はどのように過ごされたんですか?

予備校を辞めた時に、もう好きなことをやりたいなと思って。高校時代からの友人で当時のバンド仲間であるアキオくんと同居を始めました。バンド活動で食べていけるようになろうと、アルバイトをしながら暇を見つけてはベースを触っていましたね。でもバンドで生計を立てるのって実際は厳しいよねとも思っていて。23歳の頃には、そろそろちゃんとした職に就かなくてはと考えるようになりました。コンピューターサイエンスに関心があったんですが、何かアドバンテージがほしかったんです。当時は言語による情報速度の差が大きかったので、スピーディーに情報を得るために英語を勉強しようと考え、ニューヨークへ行くことを決めました。そこで約半年間語学学校に通い、その後​2年間は短期大学で学びました。

4社の職歴を経て目覚めた起業家精神

―― 社会人としてのキャリアはいつから始まったんですか?

そのまま現地で4年制大学への編入を予定していましたが、祖母の危篤状態を受けて帰国を決意しました。そして「これがタイミングかな」と就職を考えながら、日本での生活資金を貯めるために大阪でアルバイトをしていたんです。ある日、以前のルームメイトだったアキオくんに釣りに誘われて東京に会いに行ったんです。その時なんとなく職安に立ち寄り、もらった求人情報の一番上にあった会社に電話してみたところ、そのまま面接を経て内定となり、急遽、私の社会人生活がスタートしました(笑)。

―― 運命的な出会いだったんですね。その後の社会人経験についても教えていただけますか?

サラリーマンとして4つの会社で働きました。全て受託開発をメインにする会社でしたが、いわゆる孫請け・ひ孫請けのような案件はほとんどなかったので、上場企業の経営陣と直接やりとりさせていただくことも多く、この業界の中では幸せな働き方だったと思います。最初の会社は6年間働きましたが、会社が小規模だったのでこれ以上続けても展望はないのかな、もう少し面白いことをやってみたいなと考えて転職しました。2社目はカルチャーに馴染めず私自身がメンタルをやられてしまい、数ヶ月で退職しました。3社目でも面白さを感じられず、2年で辞めました。自社製品を持つ会社であれば面白いことができるのではないかと考えて4社目に就職しましたが、入社してみると自社製品なんてものは存在しませんでした。入社直後からPMを任されたんですが酷い激務で、血圧が190を超え始めたんです。これは無理だなと1年も経たずに退職を決めた時に、多分もう転職ではないんだな、と。自分で起業するタイミングなのかなと思いました。

『ITに魂を』起業を決意した理由

―― 改めて、なぜ起業の道を選ばれたのかお聞かせください。

正直、何か壮大なビジョンがあるわけではなかったんです。でも2つの動機がありました。1つは「絶対あんなにハードワークしなくても自分が満足するくらいには稼げるはず」という信念。どの会社でも仕事を評価してもらい良いポジションに就かせてもらってはいましたが、どうにも自分がすり減っていくような、人生を切り売りしているような感覚が拭えなかったんです。そしてもう1つは長年の受託開発業務で、「これは誰のための何になっているんだろう」という疑問です。そもそも目の前のクライアントが理解していないこともありましたし、格好良く言うなら、これまでの仕事には魂が感じられなかった。実際ソウルウェアを立ち上げた当初は「ITに魂を」というビジョンを掲げていたのですが、魂のあるシステム開発を実現したい、そのためには何ができるか、を常に考えていました。

―― 今も社内に浸透している考え方ですね。元々起業したいという思いはあったんですか?

全く思ってなかったですね(笑)。父親も会社を経営していたんですが、バブル崩壊とともに事業が苦しくなり、最後に倒産する様子を近くで見ていたんです。その時、自分にはそういった大きなリスクを取ることはできないと感じました。また、私自身がトップに立つような人間ではないとも思っていました。誰かの参謀や、補佐役が向いているなって。ただ一方で、自分のわがままな一面も理解していました。他人の指示は聞きたくない、上から下まで全て自分で決めたいといった気持ちもあったんです。そんな葛藤の中で、最終的にソウルウェアを立ち上げるという決意に至りました。

―― 最後に、『ソウルウェア』という社名の由来を聞かせてください。

4社目の会社は酷い環境だったと話しましたが、実は良い仲間が揃っていたんです。話の先出しになってしまいますが、ソウルウェア立ち上げ時にいくつも案件を紹介してくれたメンバーやその後ソウルウェアに入社してくれたメンバーもいました。『ピープルウェア(Peopleware)』という書籍が「技術やツールよりも人々の働き方やチームの文化がプロジェクト成功の鍵である」と提唱しているのですが、そんな理由から本の内容に共感を覚えつつも、その考えをさらに一歩進めたいと思ったんです。『ピープル(People)』に留まらず、『魂(Soul)』まで。その思いを込めて、社名を『ソウルウェア』としました。

いかがでしたか? 後編ではソウルウェア立ち上げ時の秘話から、今後の展望に迫ります。
どうぞお楽しみに!

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