小坂 善朋(こさか よしとも)
むかわ町出身。平成5年に保育士(当時は保父職)として旧早来町役場に入庁。その後旧安平保育園・おいわけ子ども園など計5つの保育園で保育士・幼稚園教論として、26年間保育業に従事。平成31年より健康福祉課に異動し、健康福祉課課長補佐として子育て相談や虐待の対応など、地域の子どもたちの生活を支えている。趣味は登山・水泳・バイク。自宅にはジムを設置し、日々健康づくりに励んでいる。
“全校生徒=兄弟”のような地域で育った幼少期
安平町の隣町であるむかわ町に生まれ、田園風景の広がる自然豊かな環境で育ちました。小学校は全校生徒20人程という小規模校に通っていたので、全学年みんなが兄弟で、保護者は親戚のような感じでしたね。田舎だったので近所付き合いもよくあり、地域に育ててもらったという実感があります。
小規模校ならではだと思うのですが、人数が少ないので団体スポーツはできなくて、縄跳びなど個人スポーツがメイン。子どもの頃からあまり活発な方ではなかったのですが、大きな川や山遊びなど自然をフィールドに、自分の兄弟も小学校の友達もごちゃまぜで、学年の垣根を超えてみんなで遊んでいました。相手の考えを聞いて寄り添ってともに考える点や、環境を問わず、どのような人とでも協働できる力はこの頃に養われたように思います。
▲幼少期時代(右) ▲幼少期時代(左から4番目)
子どもに好かれる特性を活かした進路
子どもの頃から様々な年代と分け隔てなく接していたり、従兄弟の中で一番年上ということもあって、昔から年下の面倒を見たり世話を焼くのが好きでした。元々人に興味があったのと、相手が大切にしていることがなんとなくわかる素質。高校卒業後の進路を決めるにあたり、自分の特性を活かし、保育職を目指すのがいいのではないかと考えるようになりました。
当時は保父職と呼ばれていたのですが、今よりももっと男性の保育士さんは少なかった。札幌幼児保育専門学校(現在は廃校)に進学したのですが、保育部門の男性は珍しかったです。でもその点は特に気にならなかったし、何より保育実習がとても楽しかった。幼少期の経験が大人になってからとても重要となってくることを実感したのと、実習の時に子どもたちの笑顔やひたむきな姿に心打たれ、この道に進もうと決心しました。
父は事業を営んでおり、私は三人兄弟の長男でしたが、家族は私の決めた道には反対せず応援してくれました。余談ですが、次男も三男も今は役所勤めをしています。
▲専門学校時代(前列右から2番目)
「子どもの歴史や思い出の一部になる」という、子どもを真ん中に置いた考え
私が就職する当時としては珍しく旧早来町役場では保父職の募集があり、町立の保育士として勤務することとなります。一つ上の先輩である、現はやきた子ども園 園長の福田 剛先生の存在は大きかったですね。福田先生からは保育の基本となる考え方を教わりました。関わる子どもたちにとって保育士は「その子の歴史や思い出の一部になる」存在だという言葉を聞いて、仕事の向き合い方や、子どもだけでなく人との接し方が変わりました。
もう一回生まれ変わっても保育士になりたいと思うくらい、保育職は自分にとって大好きな仕事です。子どもたちは体験からできることの幅が広かったり、言葉がけ一つで反応がグッと変わったり、何の色もついていない貴重な時期をともにできることが保育の醍醐味ではないでしょうか。子どもが自分で何かを見つけた時の目の輝きや、何かを乗り越えようと思って頑張っている姿を目にすると、「“育つ”というのは本当に素晴らしいこと」だと常々実感していました。人生は経験したことの積み重ねであって、自分を受け入れてくれる場所や人がいるという信頼や安心が子どもたちの能動的なチャレンジに繋がっていくと思います。
保育で心掛けていたことは「先生に頼らない自立したクラスを目指す」という点です。教育において重要なのは「環境」。子どもたちの成長を促す園の方針や考えを具体化するのが環境で、先生がすべてを教えるべきではないと考えています。その考えがより強まったのは、平成28年に恵庭幼稚園に出向した時。実習以来の私立の幼稚園勤務でしたが、子どもたち自身に“選択”をさせる環境や仕組みが非常に勉強になりました。恵庭幼稚園での経験は私の宝物です。
少し話は逸れますが、胆振東部地震の時に町の明かりはすべて消えて真っ暗な中、はやきた子ども園だけは非常電源で明かりが灯っていました。「ここにいれば安心だ」と思える出来事となり、改めて環境や場作りの重要性を思い知りました。
▲保育士時代の様子
保育で得た経験を糧に、子どもたちの家庭環境に寄り添う
平成31年には子ども園が公私連携となり、26年間続けた保育士から心機一転、自ら希望して役場の健康福祉課へと異動になりました。現在は保育現場での経験を活かし、主に子育ての相談や虐待などの対応を行っています。
現場では、保育で接していた子どもの時間は氷山の一角だったのだと思い知る、悲しく辛い実情もたくさん目にしてきました。他者が家庭というデリケートな部分に介入するのは非常に難しく、就任当時は越えられない高い壁を感じることもありました。
信頼関係がベースにあってこそのコミュニケーションです。目の前の相手に心を開いてもらう為にはより専門的な知識を身につけることが必要だと感じ、公認心理師、カウンセラーの資格を取得しました。現在は、学んだ知識を活かしながら、最速で最善の対応を行えるように関係各所と連携を図り、その場に応じた根本的な課題解決を心掛けています。
困っている方に寄り添い、解決策を一緒に探っていく。命に関わる仕事は常に緊張感を伴いますが、いつかこの業務がなくなっても成り立つ町になることを心から願いながら、子どもの輝きを守るという重要な役割に携わっています。
役場職員を志す人へ向けて。
今安平町が「子育て・教育」に力を入れていることは、私にとって夢のようです。子どもを大切にする社会=みんなを大切にしている社会だと感じています。
役場の仕事は“町民の人生に関わる仕事”だと思います。福祉や教育・産業・税務・水道など、どの課もひとの人生や生活に沿った業務を担当している。そういう視点で見ると役場の仕事はどれも繋がっていることが分かると思います。
ひとが人らしく生きていくために必要な環境や制度を整え、困りごとを解決するための知識や法律などのお手伝いをする。仕事を通して、ひとの人生に関わり、全ての経験が自分の人生の糧になっているとも感じています。
▲お気に入りの一コマ:NHK「みんなで筋肉体操」に出演した際の様子(前列右)