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【あびら職員#4】日々の積み重ねが作る、自分だけの仕事観

岡 康弘(Yasuhiro Oka)

北海道富良野市出身。大学卒業後、追分町役場に入庁し、教育委員会で社会教育事業に取り組む。29歳から2年間北海道庁へ出向し、法制文書課に配属される。町職員として戻った後は合併協議会、総務課、企画財政課を経て、現在は地域推進課道の駅グループに勤務する。これまで役場の様々な重要事業を任されてきた職員だが、本人曰く「家では何一つ決めたことがないポンコツ」。

現在取り組んでいる仕事について

私は現在、地域推進課の道の駅経営推進グループというところにいまして、道の駅「あびらD51ステーション」の役場側の運営支援を行っています。道の駅の運営自体はあびら観光協会に委託されていますが、役場で道の駅の基本プランが策定されたのが平成24年度で、私はそこから基本プランの見直し、基本設計、 住民説明、実施設計、建設工事やキハ183系車両のクラウドファンディング、そして震災後の対応など、少しずつ立場や役割を変えて関わってきました。総工費は10億円ほどの安平町では大きなプロジェクトでしたが、昨年4月にオープンしてから1年間で80万人以上のお客様にご利用いただき、目標の200%以上を達成することが出来ました。まだまだ改善しなければならないことはありますが、担当としてはひとまず胸をなで下ろしているところです。

道の駅あびら D51ステーション
2019年4月19日(金)に、北海道安平町にオープンする『道の駅あびら D51ステーション』。鉄道資料館やレガシーギャラリーのほか、テイクアウト&ベーカリーコーナー、地域の特産品、農産品直売所等があり、安平町の観光情報の拠点となります。
https://d51-station.com/

「練習は嘘をつかない」と信じていた幼少期

私は北海道富良野市の出身です。自分の幼少期は、なんと言っても「母親と離れるのが嫌で、幼稚園に行けない子」でした(笑)。今でも実家に帰ると光景を思い出しますが、幼稚園バスに乗りたくなくて家の前で泣いてましたね。母親が見えなくなるまでずっと手を振ってましたし、たまに母がいなくて父親が見送りをするときはもう寂しくて寂しくて(笑)。小さい頃は人と接するとか、新しい環境に身を置くということがあまり得意ではなかったですね。

一番の転機になったのは、学生時代に野球をやったことだと思います。 元々そんなに運動神経が良い人間ではありませんでしたが、やるからには試合に出たい。高校の時に一人飛び抜けた才能を持ったメンバーがいて、どうやったら彼に勝てるかを常に考えていました。ただ特別な工夫をしたというよりも、僕の座右の銘である「練習は嘘をつかない」というアプローチですね(笑)。練習を終わった後も休みの日も、とにかく繰り返し反復練習をしました。

あと、高校時代には理不尽に耐えることも学びました。夏場は朝4時に皆で集まってグランド整備をしたり、先輩から無茶ぶりされてモノマネさせられたり(笑)。でも、世の中って基本的に理不尽だと思ってて、今はこれも学びだったと思っています。

生涯の友と「将来」を語り合った大学時代

高校も卒業間近になり、色々考えた挙句、札幌の大学に進学することにしました。でも、高校時代は部活ばっかりだったんで、受験に落ちちゃったんです。そこから浪人生活に入るんですが、「浪人生って社会的に何の価値もないんじゃないか」と痛烈に思ったのを覚えてますね。自分の中で色んな思いはありましたが、まずは大学に受からないと何も始まらないと思って、必死になって勉強しました。

無事に入学することができましたが、自分の大学時代は胸を張れるものではないんです。麻雀ばかりやってて(笑)。でも、本当に「生涯の友」と言える友人に出会うことができて、色々な学びを得ました。その仲間との関係性は僕を育ててくれたと思っています。友人の家で夜中ずっと麻雀牌を囲みながら、自分達はどうやって生きていくかをめちゃめちゃ語っていました。時にはよく分からない口論をしながらも、自分の価値観や羅針盤を決めていったのがその4年間だと思います。

がむしゃらに、現場経験を積んだ20代。

僕が当時の追分町役場に入って、最初に配属されたのは教育委員会の社会教育という部署で、「社会教育主事」として仕事をしました。社会教育の分野はとても幅広い仕事ですが、特に求められていたのは青年・成人教育の領域。ざっくり言うと、「町にいる若い人達の意志を束ねて、町を盛り上げるためにはどうしたらいいのか」を一緒に考えていくというものでした。

その時の町長は「まちづくりは人づくり」という考えに重きを置いて、町民と向き合うことを特に大事にしていた人でした。だから今の60~70代の人は、何かあって呼びかけると、こぞって集まってくれる。町の一大事には自分たちも参加しなくてはというマインドがあるんですよね。僕の社会教育主事としての役割も、本来はただ町民と向き合って背中を押してればいいというのではなくて、町民とコミュニケーションを取って信頼関係を築き、「町に対する町民の考え方・関わり方を深める」ということだったと今は思うんです。でも当時はよく分かってないし、体力も負けん気もあったので、とにかく自分が動きまくればいいと思って、よく遅くまで仕事してました。

その時、当時の町長に「あんたはいっつも忙しく仕事しているけど、あんたの考え方を町民3人に伝えて役割分担したら、あんたの仕事はもっと楽になる。社会教育主事ってそういうことだから。自分がバタバタしてたって、なんの役にも立ってない。」と言われました。結局、役場職員がいくら優秀だろうと「まちづくり」は全然進まないんですよ。そこにいる町の人たちが同じ思いで進んでいかないと、過疎から脱却は出来ない。やっぱりみんなで動かないと、「町」は生き残れないと思うんです。当時は本当の意味が分からなかったけど、今はとても大切にしている言葉です。

働き始めてから6年が経って30歳前になった時、急に「俺、このままじゃやばい。この6年間、何やってたんだ。」という不安が襲ってきたんです(笑)。事業は動かしているのに、何も動いていないというか、自分には何も積み上がっていないんじゃないかといきなり不安になったんですね。このままじゃ自分はこの分野ではプロになれないこともなんとなく分かってて、しかも他の役場の部署のことも全くわからない。あの時は「オレの公務員人生って大丈夫か?」って思ったりしたものですが、今は、この時の現場経験がとても貴重なものだったと思ってます。あれがあったから、今の自分がある。今、難しい案件が降ってきても、現場のすごく細かいことまでイメージしながら計画を作れる。総合力が働くんですね。やっぱり経験というのは後になって点が線になっていくと思うんです。だから「今のこの仕事ってなんの意味があるのかな?」なんて思ったりしても、それは間違いなく後になって意味が出てくると思いますね。

キャリアを切り開いた30代。食らいついた先に見えてきた、自分だけの仕事観。

30歳前で焦りを抱えていた時、2年間道庁で研修をする制度ができて、自分に声がかかりました。「渡りに船」とばかり、奥さんにも相談せずにその場で「行かせていただきます」と返事してました(笑)。そこから札幌の北海道庁で、条例文書の審査や法律相談を受ける部署で働きました。勤務初日、道庁の上司からサラっと「君が来たおかげで一人が別の部署に異動したんだよね。そこはちょっと考えといてね。」という先制パンチを喰らったのを覚えています。「おいおいプレッシャーだね。1ラウンドでそのジャブかい!」と思いましたよ(笑)。もちろん遊びに行った訳じゃないし、町の職員たちのためにも何かを持って帰らないとダメだと思ってました。これまた必死になって仕事を覚えましたね。ここで法律や北海道の条例を調べまくったことは今の仕事にもすごく役立ってますし、 道庁の仕事の仕方を学べたのも大きかったです。

2年間の出向が終わった後、今度は「町の合併を検討する協議会」に配属になりました。当時の追分町と早来町の合併シナリオを描いて、財政面や条例面でどのように変わるかをシュミレーションするというものです。道庁から帰ったばかりで、「この恩を町に返すぞ!」と意気込んでいましたので、それはもうめちゃくちゃ働きましたね。やりがいもあったし、めちゃめちゃ楽しかったです。


合併し、安平町になったのが33歳のとき。その頃から、少しずつ役場のことや町全体が見えるようになってきて、自分が立案したものを町長に説明し、承認をもらわなければならない案件も増えていきました。こちらの考えなんてお見通しの当時の町長に対して、「で、ですから、、!こうした方があああ」なんて震えながら訴えかけてました。ちょっとお顔も怖かったので(笑)。でも、町長って存在はものすごい孤独だと思うんです。町長は自分で決定したものを部下に指示します。腹の底で部下は違うことを考えていたとしても、トップが判断したものに対して指示に従うのがピラミッドです。それが正しい。でも、しっかり判断を下してもらうための材料を用意するのが公務員の仕事だと。自分の場合は少し煙たがられましたが、町長が右に行くって言っても、「左の線はないんで すか」とか言ってしまうんだよね(笑)。もちろん反対したいということではなく、本質的にはこちらの方がいいと思ったことに対して提案するということ。何度も怒られたこともありますが、孤独なトップは職員の良質な判断材料を求めているんだと思います。また、そうやって未来を見据えて自分の意見を明示していくことが自分の成長のためにもなるし、結局「自分の仕事観」も作っていくと思うんです。

あと、自分の意見をどんどんぶつけることで、「町長がなぜそうした決断をしたか」という意図も見えてくるんです。自分たち職員が仕事を行う上で、目的を知っているのと知らないのでは、効率も何もかも違うと思います。トップの判断の本質を察知する力だったり、そこに対して意見する勇気だったりをみんなで分かち合うことが出来れば、安平町役場はもっと活気が出て、良い仕事ができるようになると思いますね。

役場職員を志す若者に向けて

志の高い人は、自分の想いがすぐに伝わるところで働いた方が絶対面白いと思います。

大きな組織で仕事をすると、自分が一生懸命やっている仕事が何に繋がるかが分からなかったりすると思うんです。けれど、安平町役場くらいの規模の組織であれば、数人の上長の許可を得れば実行できます。本質が分かると何のための仕事なのかが見えるし、そこに自分で一から十まで携われる。これほどやりがいのある仕事はないと思いますよ。

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安平で一緒に"挑戦"する仲間をWanted!

一般職情報通信担当
令和時代の地方自治体の情報システムを保守・運用するエンジニア募集!!
北海道安平町は、「北海道の玄関口」である新千歳空港から20分ほどの距離に位置する、人口約7700人(2021年1月現在)の町です。札幌市まで1時間、千歳市・苫小牧市などの中規模都市から30分と距離が近く、生活の利便性が高いことが特徴です。また国内有数の馬産地でもあり、ディープインパクトやアーモンドアイなどの有名な競走馬が生まれた町でもあります。 安平町では、「子育て・教育を軸としたまちづくり」を進めています。安平町の教育には三つの大きな魅力があります。 一つ目は、平成28年に全国に先駆けて設立した公私連携・幼保連携型認定こども園。園内に馬や鶏を飼い、身近にある自然や動物とのふれあいから命の大切さを学ぶこと、豊かな自然を生かした環境づくりをするなど全国から高い評価を受けています。 二つ目は「遊び」「探求」「挑戦」をテーマとした「あびら教育プラン」です。子どもの「やってみたい」をサポートする取り組みで、子どもの好奇心や探究心を育みつつ、それを挑戦に繋げられるための支援を行っています。 そして三つ目は令和5年度開校を目指す「早来小・中学校施設一体型校舎」の義務教育学校です。地震で被災した校舎をただ建て直すのではなく、「未来に繋がる全く新しい学校に創り変えよう」という学校づくりのコンセプトに、社会のグローバル化に対応した英語教育環境や情報教育環境づくり、多様性の中で豊かな社会性を育てる環境づくりを実現するため、小学校と一体型の学校整備による早来中学校の再建を目指しています。 安平町では上記の取り組みを中心とした多種多様な取り組みを行いながら、安平町に住む町民のみなさんが豊かに過ごすことができ、また町外の方に安平町で楽しい時間を過ごしていただくためのお手伝いをしています。町全体がチーム安平として一丸となって、未来に向けて進んでいけることを念頭に置きながら、日々の業務を行っています。
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