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代表インタビュー|現役医師として創業した医療テックのスタートアップにかける想い

私たちMEDICOLAB(メディコラボ)は、医療機関に向けて製品開発を行い、価値提供していくスタートアップ企業です。

今回、現役の臨床医でもある代表・井汲(いくみ)に、創業に至るまでのいきさつをインタビューしてみました。

ーーーまずは、あらためて経歴をお聞かせください。

このたびはこのような機会をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。

私の生まれ故郷は、群馬県高崎市という街です。知る人ぞ知る国内有数のダルマ生産地であり、利根川と上毛三山が見渡せる自然豊かな街です。

わたしはそんなのびのびとした田舎で育てられました。中高の校風は独特で、制服を着るかどうかはoptionalという自由な校風でした。

大学からは名古屋に移り、医学を学んだのち愛知県の病院に勤めました。病院は大変忙しい職場でしたが、周囲の環境とサポートがあって、一連の仕事がこなせるようになれました。

現在の専門は脳神経内科であり、脳や神経・筋肉などの症状でお困りの患者さんの診療にあたっています。特に、パーキンソン病、認知症などの神経変性疾患に関する診療が私の専門分野です。

ーーー本題ですが、MEDICOLAB創業のきっかけを教えていただけますか?

はい、ありがとうございます。

創業のきっかけは、

「自分の生い立ちと、研究の挫折」

にあります。

わたしは、群馬県の歯科医師一家のもとに生まれました。甘いものが大好きで、よく虫歯を作っては父に治療してもらっていました。親族も歯科医師として同じ医院で働いており、わたしは日々腕を振るう歯科医師たちの背中を見て、育ちました。

そんな一家に生まれたわたしですが、父からは医師になるよう勧められていました。背景には父自身が医学の研究をしたかったという思いがあったからでした。そういった思いを期待にかえてか、

“将来は医学の研究して、ノーベル賞を取りなさい” そんな風に言われることもありました。
そんな期待を抱かれつつも、これやりなさい、あれやりなさい、と強制されるということはほぼありませんでした。のびのびと育てられ、幼少期はゲームに熱中する毎日を過ごしました。

そんな私でも、"いつか世の中にインパクトを与える研究がしたい。"  "人の役に立つ研究がしたい。"  
おぼろげながらもそういった思いを抱いていました。

一つの転機となったのは、小学生のときでした。このとき、ノーベル賞の研究に関する図鑑を与えてもらい、そこに衝撃を受けます。"一流の研究は、驚くほど綺麗で単純なものなのだ。" ということをはじめて知ったからです。このときわたしは、研究の美しさとシンプルさにすっかり魅せられてしまいました。

家族から医師を勧められていましたし、医学に興味もあったのでそういった道に進みました。

ーーーそれで、希望をかなえて、医師になったんですね。

はい、そうです。医学生のときはのんびり過ごしました。

医師になってからは、うって変わってまるで血を吐くような生活になりました。1年目、2年目といった新米のときから、上司のきびしい指導、生死をさかいを彷徨う患者さんに囲まれ、はじめてのことばかり。戸惑いと緊張を抱きながらも、仕事を前に進めなければならない。そんな毎日でした。

ーーーとても厳しい環境だったということですね。

そうですね、厳しかったです。特にハードだったのは、救急外来でした。患者さんが続々と来る、救急車も次々に来る。一つ一つが待ったなしで重いことばかりでした。
仲間と一緒になって病院内を走り周り、途中でカルテを書き、電話をとり、検査を依頼し、結果を見て治療し、入院か帰宅かの方針を判断した上で上申する。5名の患者さんに対して同時にやっていたため、身体も頭もめいっぱい使いました。ついていけた自分を少し褒めたい気持ちにもなります。

ーーーなるほど、なかなかですね。そのような環境で、何が井汲さんを動かしていたのでしょうか。

一言で言えば、周囲のレベルの高さです。自らもスキルアップのために励んでいましたが、周囲がそれを上回るスピードで成長していたため教えてもらうことばかりでした。そして、ついていくことに必死でした。

必死な中でも研究への憧れは消えることなく、いつかこの経験が研究にも活きるに違いない。そう思いながら過ごしてきました。研究に進んでからは、”自らが持つ知識と技術を、広く世の中に問いたい。"、そんな考えを持って一所懸命取り組みました。

ーーーそういった経緯で、研究に向かわれたのですね。ところで、研究はどんなことに取り組んでいたのですか?

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という神経変性疾患の研究に取り組んでいました。

ーーーあ、聞いたことあります。具体的にはどんな病なのですか?

簡単に説明しますと、ALSは脳や脊髄にある体を動かす神経、運動神経という神経の細胞が少なくなることで、だんだん身体が動かしにくくなる、そんな病です。リルゾール、エダラボンといったお薬があります。根治に向けての治療薬開発の動きは進んでいますが、未だ根治ができていない病です。

ーーーなんだか、難しいテーマのように感じます。

まさにおっしゃる通りです。とても難しいテーマです。早々に見通しが立てば、と思って始めた研究。しかし、世界中の研究者が名乗りを上げようと必死になっている領域です。はっきり言って初学者のわたしが太刀打ちできるような世界ではありませんでした。

1年経っても2年経っても心から確信できる結果は出せず、壁の大きさは想像以上でした。

ーーーなかなか一筋縄ではいかないものなのですね。

そうですね。壁が高過ぎて出口が見えない、そんな感じでした。

ーーーなるほど。それで、この経験が創業に繋がっていくのですか。

はい。その通りです。研究での挫折経験、これは自分にとって一つの大きな有難い経験でもありました。
研究には不向きだったということを、心の底から感じさせてくれました。

そして、考え方もシフトしていきました。

”自分は研究には不向きだ、でも世の中には素晴らしい研究者が他にいる。であれば、彼らの研究を実業化すること。ここに全力を注いでみるのはどうか。それなら、自分のマインドと胆力、フットワークを最大限に発揮できるのでは。”

こんな考えに至りました。そして、そんな中ふと思い立ち、"新しい環境を作ることからはじめ、実力を身につけつつ、説得力ある結果を生み出す。" そう心に決めました。

正直険しい道ですし、まだまだ道半ばですが、わたしが取り得る最善の選択だったと感じています。
これがわたしの生い立ち、研究での挫折が創業のきっかけです。

ーーーマインドと胆力を発揮する。その中で選んだ道が創業だったということですね。

そうですね。マインド・胆力と言えばカッコ良いですが、"雑草魂や根性"みたいなところでした。これから創業を目指される方は、雑草魂と根性。これが欠かせないと思います。そして地を這いつくばってでも夢を描き、そこに向かって"一直線で突っ走るフットワーク"ですね。

夢と同時に大事なこと。それは、現在地を的確に知ることです。夢をもちつつも、本当にできるかという現実的な視点。これは考えを作っては否定して、の繰り返しでもあります。非常に骨の折れるものですが、"夢は果てしなく大きく、動きは細かく小さく泥臭く。そして勝負の時に大胆に。" これが創業の真実だと思います。今後創業される方がいたら、ぜひこんな心持ちで取り組んでほしいです。


インタビューの日は、珍しく?スーツでした。普段はラフな服装か、白衣です(医師なので!)


ーーーなるほど。創業は想いが大事ということですね。では、事業にかける想い、こちらはいかがですか?

二つあります。

一つは医療への想いです。

私は、幼い頃に心臓の病を患いましたが、幸運にも生き延びています。当時対応にあたった医師、そして両親のおかげだと思っています。そんなふうに救けられた命ですので、わたしは運が良いと思っています。事業についても、"ポジティブな運命というものを感じてもらえる。"、そんな事業にしたいと考えています。

もう一つは研究への想いです。

研究を通じてうまくいかないこと、思い通りにならないこと、いろいろなことに気付きました。そして、"研究者たちが感じる苦悩と努力""結果を生み出すまでの喜怒哀楽のすべて" を目の当たりにしました。

研究は一筋縄でいかない、きわめて難しいチャレンジです。
しかし、当たったときの "社会的インパクト" は計り知れません。
わたしは、"インパクトの生産と発展に、自らの全てを捧げる。" そう心に誓って楽しんでいます。

"研究が社会実装された先に、どれほど健康で幸福な未来が待っているか。"

こんな夢とインパクトもいつも想像しています。そんな未来を考えると、ワクワクが止まらない。
そんな想いで、日々活動しています。

ーーーそうですね。もし実現したらと思うと、ワクワクしますね。

はい!こういったワクワク共有したい方、ぜひ代表の井汲までご連絡ください。
紆余曲折を楽しめる運の良い方、成長意欲の強い方とぜひ一緒に仕事しましょう。

あなたとわたし、共に成長していきましょう!
興味を持った方、24時間365日いつでもお気軽にノックしてください。

あなたのストーリーをお伺いに、必ず代表井汲が参上します!

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