◆プロローグ
「いらっしゃいませ。」
高い天井に、曇りひとつなく丁寧に磨き上げられた巨大な全面ガラス。
開放的で贅沢な空間に、来客を出迎える声がよく響く。
「○○様、今日はお乗り換えのご相談でしたね。こちらにどうぞ。」
ここは、某高級外車ディーラーのショールーム。
1千万円は下らない、真っ白に輝くスポーツタイプのセダンが
通りに面したショーウィンドウに威風堂々と展示されている。
高級外車と、主婦であり職人の橋本が興したAnimo。
一見、なんの結びつきもないように見えるが
ここにもまた、『事実は小説より奇なり』な物語が存在する。
◆人を変えうるもの
さて、さきほど来客を出迎えていたこの女性。この高級外車ディーラーに勤めて10年のベテランである。顧客のアテンドはもちろん、新車を販売したこともあるものの、いわゆる営業職ではないという不思議なポジションだ。
このディーラーには、最初は受付としてアルバイトで入社した。その時、運転免許を持っていなかった彼女には耳に入ってくる用語が呪文にしか聞こえず、自動車用語辞典を買いに行くところからだった。しかし、もともとアパレルショップで店長として店を任されていた経験もあり接客の仕事は好きであったし、新しい言葉も覚えて仕事が楽しくて仕方がなかった。当時のカーディーラー受付というのは、入れ替わりの激しい世界だったが、3年・4年といて、さらに正社員になると、いろいろな仕事を任されるようになり、もはや、よろず屋状態で今に至っている。
高級車という高額で特殊な商品を扱う、この空間そのものを売るつもりで
『また来たい、ここで買いたい』
そう思ってもらえるような接客をすることに全力を注いできた10年。その自信を、自分の実力を、『試したい』という思いをこの頃、静かに抱いていた。
当時の自動車業界は、航空業界のような良い接客・良いサービスをやっていこうと変わりはじめた頃だった。彼女が働く外車ディーラーも例外ではなく、接客コンテストが開かれ全国の店舗から選りすぐりの猛者が250人近く集まったこのコンテストでなんと、1位に輝いたのだった。自分の力を試したい、と思っていたところにこの結果。
「これはいける・・・!」
確かな手応えを掴んだ彼女は、サービス接遇検定を受けようと決心していた。それも下位級をすっとばし、いきなり1級からの受験であった。
日頃から、接客という仕事に真摯に向き合い
『人って、実体のある物を手の中に持っていなくても満足を得られる方法があるのかも…』
と感じ、それを提供できることが自分の価値なのでは?と、実践してきた。それをとことん追求できる接遇は、彼女にとって夢中になれる楽しいものであり、時給700円の受付アルバイトからスタートした自分をここまで連れてきてくれるほど、可能性に満ちたものだと感じていた。
人は学びで変われる。
身を持って知ったその心強さが、彼女を接遇の道へ導いたのだった。
◆運命の日
サービス接遇検定1級の試験に、みごと一発合格してから、さらに2年ほど。彼女は件のディーラーに勤めながら、接遇という学びの素晴らしさを伝えたいという想いを育て、インストラクターへの道を模索していた。
そんな心の動きを知ってか知らずか、ある日、取引のあった人材系企業の担当者から、別の外資系ディーラーへの移籍話が持ちかけられた。ブランド名にあぐらをかいて、接客がなおざりになっていると言う。
『次の生き方への転機になるかもしれない。』
直感的にそう感じた彼女は、移籍を承諾し、13年近く勤めたカーディーラーを後にした。
新たな環境でも、接遇の知識と15年以上に渡る接客経験を総動員し、顧客満足の向上に腐心したのは、言うまでもない。それだけでなく、インストラクターとしての独立を描いていた彼女のもとにはいくつかの講師依頼が舞い込むようになっていた。外資系ディーラーに勤めながらの二足のわらじ、である。
そんなある日、遠方の旅館から従業員向けの研修依頼を受け、彼女は伊丹空港のターミナルを歩いていた。平日だが、搭乗ゲートはそれなりの人で混雑しており、ビジネスマンらしき男性、家族連れなど、それぞれの様相を呈している。ふと、ベンチに座り本を読んでいる女性が目にとまる。知的で、どことなく厳しそうな目が印象的なその女性を横目に、搭乗開始を待った。
ほどなくして、搭乗手続きの開始を告げるアナウンスがロビーに響く。今回の研修をコーディネートしてくれた女性と並んで機内へと進み指定の座席を見ると、幸いにも隣の乗客はまだ搭乗していなかったので、おちついて手荷物を収納することができた。
それから数分、空席だった隣の乗客が乗り込んできたらしい気配を感じ、ふと顔を上げた瞬間
「あ。」
と声が出そうになったのを、すんでのところで押さえこんだ。小さく会釈をして席についたのは、先ほどロビーで本を読んでいる姿が印象的だった、あの女性だった。
この物語を熱心に読んでくださっている読者ならば、もう察しがついていることだろう。この女性こそ橋本典子、その人である。(何のことかわからない方はこちらを読んでほしい。)そして、接客のプロフェッショナルとして研修依頼を受け、熊本行きのフライトを待っている、この物語の主人公は他でもない、"隣の席の貴女”だ。
Animo創業の双璧をなす2人の人生が交錯した瞬間だった。
2015年の初夏のことである。
◆第2の人生
彼女は、橋本との出会いに少なからず衝撃を受けていた。
行き先が同じ旅館であるという運命とも呼べるような偶然はもちろんそうだか、いま言いたいのはそういうことではない。社会人として接客業に就いてから約17年、ずっと仕事に生きてきた。出産をすれば女性はどうしてもブランクができる、そのことを受け入れることができなかった。
しかし、目の前にいる力強い目をしたこの人は、3人の子どもを抱えながらも職人として腕ひとつで仕事をしているだけでなく「会社を興したい」と話す。やりたいと感じたこと全てを、ここまで純粋に、ストイックに追求できる人がいる―。その驚きは、『この人が思い描く未来のために、なにか自分も手伝えることがないか』と考えるには十分なインパクトだったはずだ。おそらく、この時すでに彼女の頭の中には、自分の次の生き方が明確に浮かんでいただろう。
運命の日から約半年が経った2015年の暮れ、彼女の携帯電話が鳴った。画面は、橋本からの着信であることを知らせている。電話の向こうの橋本は、半年前よりもさらにパワフルさを増したように感じる。貴女と出会って以降この半年、事業計画を練っていたこと、保育園をやりたいと思っていること、年明けにも具体的に動こうと思っていることなどを興奮気味に話してくれた。彼女の心ももう、決まっている。
―人は学びで変われる。
かつて、彼女自身が身を持って掴んだ手応えを軸に、社会との関わりに悩む女性の力になりたい。橋本が描く未来をともに追いかけよう、そう決意する彼女の目もまた、力強かった。
外資系ディーラーでそれなりのポジションを築いていた彼女が退職するまでには、多少の時間を要したが、その間に橋本とともに会社の基盤づくりに取り組んだ。こうして、保育園運営とマナースクール、2つの事業を主軸とする会社の姿ができあがり、Animo株式会社と名前がついたことはご承知のとおりである。
◆自分がここにいる意味
彼女が正式にAnimo株式会社に参画したのは、創業から約1年後の2017年1月29日だった。
あれから3年半と少し、ここまでの日々を振り返って彼女は言う。
「必要な人に必要な時に手を差し伸べられる会社であるためには、会社が大きくなること・存在を知ってもらうことが大事だし、そこに自分がいることも意味のあるものにしていきたい。」
「1人1人の明日の職場を作るのが私の仕事だと思っているから、そのためにも心身ともに健康であり続けないと、と思っている。」
そのために何か気をつけていることはあるのか?と問うと、彼女は「毎日、納豆を食べる…!」と重大な秘密を打ち明けるかのように、いたずらっぽい笑顔を見せる。
時折、少女のような無邪気さを見せる橋本と彼女が作り上げたAnimoは、現在260名を超えるスタッフが支えている。個性的で、それぞれに熱さを内包するメンバーがいる限り、この連載もまだまだ続く。
*次回は、マナースクールのこれまでとこれからを、専属講師にインタビュー!
2020年11月中旬頃に公開予定です。