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組織の重要性を知った20代後半の 【夏】

みなさんこんにちは!株式会社SIG 営業部の藤井です。

ここでは藤井が転職をした時に感じたことを記載したいと思います。

藤井のプロフィールでも記載した通り、私は新卒1年目よりIT業界に身を置いています。

藤井のプロフィール https://www.wantedly.com/id/goriate


なぜなら、好奇心の塊で、おもしろそう、楽しそうということなら

まずはやってみようの精神で色々チャレンジしたかったからです。

参考として色々な写真も貼っておきます。

ドバイに行ったり、砂浜で黄昏たりしています。




そんな私がIT業界に飛び込んだのも必然でしょうか。

なんせ、かっこいい、なんせ面白そうという気持ちと営業なら出来る!と

謎の自身からこの業界に飛び込みました。



大学卒業が限界ぎりぎりだったので、当時のSNSであるmixiの広告で未経験募集の記事から

入社したのが、前職の会社でした。


気持ちがあれば何でも出来る!と何も知らないなか、最初の1年は実際の開発現場に何でも屋という体で

アサインされることに。

当時は、商流も深く、自社名すら名乗れない違和感を感じていましたが、逆に我は我なりと

自身を猛アピールすることに必死でした。

自身の頑張りが相手に伝わり、名前を憶えてもらったり、私だけに作業を与えてもらったりと

大変充実した1年でした。



そんな時もあっという間に過ぎ

次はいよいよ希望である営業職として活動することに。

当時はエンジニア提案以外、特に商材がなかったため、新規部隊が新設されHPの作成とインフラの運用サポートというサービスを武器にテレアポ、アポなし訪問をひたすら行っていました。

アポなし訪問では山手線の4/1ぐらい、見えるビルは上から下まで突撃しました。

怖い人のビルに間違えて入り、人生論を語って頂いたり、タワー級のオフィスビル(40階クラス)の最上階から非常階段を使って1階ずつ突撃しようとしたら、オートロック的な機能にやられ一番下まで階段で降りたりしたのは今では良い思い出に感じます。

そんな営業も甲斐あってか、わずかですが新規顧客とのお取引が出来たことは大変に嬉しかったです。

(某ブライダル企業様のHPを作らせて頂き、感謝感謝です。)


しかしながら、あまりに非効率であったため、3年も立たずにチームは解散。

本業のエンジニア提案=通称SES(System Engineering Service)をメインに行うことになりました。

全体で100名程度の規模であったため、主要顧客やエンジニア、対応業務など徐々に覚えていき

打合せや提案・クレーム対応、見積・受発注・請求・採用など色々なタスクをこなしていました。


そんな中で、中小企業であったためか、あまり大きな仕事やスタート段階からの仕事に携われなかったり

金額が安かったり、とあれ?あんまり楽しくないなと思い始めたのが5年目ぐらいでしょうか。

その中でも新規部隊でインフラの運用サポートを作った技術のリーダーが退職することも大きかったです。その方は技術はピカイチでしたが、求める金額もピカイチであったため、なかなか営業が難しいところではありましたが、それでも顧客の評価は高く大事な方でした。

そんな方がこれ以上給料もやれることも変わらないから、やめる。となってしまい、その時思いだしたのです。

あれ?IT業界面白そう、楽しそうで!飛び込んだんじゃなかったっけ?と


その当時は、インフラの運用や24/365のサポートといった業務がメインであったため、そういったエンジニアは20~30歳代が多く、結婚などライフイベントでの給与増希望に対して、スキルチェンジもかなり難しく出来るエンジニアは40歳では主ターゲットである業務にコスト面、ライフバランス面でもアンマッチでやめてしまう。このままだと20~30歳代の仕事をぐるぐる回すだけなのでは?それじゃつまらない!

と一念発起し、転職を決意しました。


いくつか相談してみたところ、一番取引のあった顧客=今の会社では営業が3名しかいなくそろそろやばい、藤井ちゃんならぜひ、とのご相談を頂きました。

業界では同業転職はタブー視されていますが、自社の専務に相談してみたところ、今の売り上げが倍になるならいいよ。と快諾を頂いたので、そのまま今の会社である株式会社SIGに入社致しました。


入社当初は前職との体制の違いに大変に苦労しました。


一番は、前職では面接~案件アサイン~クレーム対応、見積~請求まで全て営業担当が行っていましたがSIGでは営業事務、人事部門もあるため、今まで自身でやっていた・出来ていたことが、他の部門が主担当になるため、やってはいけない。いつまでの情報を連携しなければいけない。と連携や共有、タスクの分担やステータス把握を他者と連携しなければいけないことでした。

はじめはこれが大変に面倒に感じました。

何故、わざわざ伝えなければいけないのか?何故、そちらの期日に合わせなければいけないのか?

とフラストレーションを感じ、時には正面でぶつかりあうこともありました。


青かったんですね。いや、業務全体が見えていなかった。が正しい答えでした。

文書やデータの管理、監査における決裁ルートの証跡を残す、など各部や担当でチェックや保管をしていたり、情報をマージし活用していたりなどしていました。

前職であれば自身が覚えているので欲しい資料のピックアップは非常に簡単に見つけられましたが、資料の保管やファイリング作業はとても億劫に感じていました。そういった業務も担当部署が行ってくれていること、そういった会社としてやらなければいけないことを各部が分担していることを改めて知ることになり、あぁこれは自分がやらなくていい、やってはいけないところなのだな。と理解し、率先してお願いするようになりました。

すると、他部署の担当者とも円滑に業務が進むようになり、営業たる業務に専念することが出来るようになっていました。

その結果、前職では1担当当たり100名が管理面、フォロー面でも限界だと感じていましたが、今では、それ以上の案件や要員管理が出来るようになりました。


話は長くなってしまいましたが、このように1名が出来る限界はたかが知れています。

良く例えるのが、みなさんも経験している学校の1クラス30名程度、これがある種の見渡せる範囲に感じます。これ以上の体制を作るためには1つ1つのタスクを分担化、専門化させることにより、一層の範囲拡大が出来るということですね。(当たり前すぎて書いてて悲しくなってきましたw)

分担化、専門化させると俗人化や凝り固まってしまう所も出てきてしまうので、何がゴールか、それに向かえているか?と管理、修正、鼓舞するリーダーもまた必要になります。


私は、真っ向勝負で他の担当者とぶち当たることによって、本音が聞け、行っている業務が見えたからこそ、今ではうまくやれているとは思いますが、他の担当者の懐具合によってはそこで関係性が断たれるリスクも多聞に孕んでいるので、私のやり方はおすすめしません。

ぜひ、関係する会社の内部の人にどんなことをしているか。興味を持って話をする。こうったことから始めてみてはいかがでしょうか?相手を知ることにより、その人の業務、はたまた会社はどういった業務を行い、どの部署が何を担っているのか、そして、そのゴールは何なのか?そのためには自分がやっていることは貢献しているのか?逆に自分のやっていること、求めていることと、会社のベクトルは合っているのか?こういったことが見えてくるかもしれませんね。


いずれとしても、ある程度の規模になるorを目指すのであれば、組織は必要である。ということを学んだ27歳で転職し、会社の違いによるカルチャーショックを受けた内容と解決に至った方法、なぜそれが必要だったかを駄文乱文で申し訳ないですが、書き連ねてみました。

最後までご拝読頂き、ありがとうございます。



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