転職は一つのドラマ。そこには人の思いだったり、自分の果たしたいことを成し遂げるために飛び込む勇気や葛藤があります。誰しも今の現状より状況が落ち込むのは嫌なものです。
しかし、転職して自分の居場所を見つけた人もいます。
株式会社エーエスジャパンの『中の人』に自分の働き方や信念を聞くこの連載。2回目の今回はフリーランスで編集・ライターをしている道上さんにお話を聞きました!
若くしてママ、計算尽くしの共働き方に驚愕
自己紹介から話を聞いていくと社会の問題を丸っと背負いこんだかのような彼女の過去が明らかになりました。
――まずは自己紹介をお願いします!
道上 友紀(どうじょう ゆうき)と申します。2023年3月4日で29歳になりました! 小学校3年と2年の年子男児の育児に奮闘中です。
今の仕事は編集とライター、ライターの講師やSNSマーケティングのディレクションから保守運用、動画クリエーターをしています。
たまに名刺とかのデザインをしたりアーティストさんの個展を文章でお手伝いしたり。あ、そうだ。SEO記事やサイトのWebディレクションやコンサルタント。これが一番多いです。
――多岐にわたって活動されていますね!
よく言われます(笑)。昔から興味を持ったら一直線なところがあり、他のことには目もくれず極めちゃいます。極めたら、また今度は他のことが気になってくる。
子どもを妊娠して、可愛い我が子に洋服でもと思って、ミシンを買って習得した時だったかな…。楽しすぎて朝からコーヒー1杯しか口に含まず、18時間くらいやってた。これは、さすがに自分でも引きました…(苦笑)。気づくと窓の外が、やけに暗いんです。
――18時間!? よく集中が続きましたね
そうですね。これは幼少期からやっていた弓道で培われた集中力です。あと水泳。苦しくても、なんか立つと負けな気がする(笑)。途中で諦めたり投げ出したりするのが嫌なんです。
だから小さい時からゲームだけはやらないようにしていますね。健康や勉強、仕事に差し支えるからです。老後の楽しみにしています。
この熱中と投げ出さない性質は、恋愛も友情も同じです。1度関係を持ち始めると、最後までみたいなところはありますね。なんなら「その最後は、自分の最期」くらいの勢いがあって。身を滅ぼすような恋愛もいっぱいしたので、今は友達と仕事仲間にその愛を注いでいます。
そういえば、実家に小学校5年生頃にパソコンがやってきて、今でいうSNSの先駆けみたいなコミュニティで全国のネットの友達とやりとりをしたり、ブログで情報発信をしていました。
――身を滅ぼすような恋愛も気になりますが、小学校5年生からブログですか…(笑)。それは時代の先端をいっていますね
決められたページ、決められたやりとり、デザインに飽きて…(笑)。小学校6年生の時には、HTMLタグを触れるようになりました。当時の友達に「これ、どうやってやったの」と聞かれるのが快感だったのを覚えています。
――HTMLまで!? まさに『あそびの延長線』ですね
小さい時から中学生まではクラスで1人、本を読んでいるような子だったんですけどね。人見知りがすごくて。でも幼い時から心開いた相手に会話をふることが好きでした。
人見知りが完全に直ったのは、18歳くらいの時かな。やはり子どもを授かって役所に出向き制度の説明を聞いたり、他のお母様やお父様と歳の差があっても話さなくちゃいけない時があるので…。そこから今のような、いわゆる『陽キャ』になっちゃいました(笑)。
友達や株式会社エーエスジャパンのメンバーにも「ネタが尽きない」「話が止まらないね」と言われます。
――子どもの時から「大人になったらIT業界に入りたい」と思っていたんですか?
それは違います。
実は小学校3年生から大のおばあちゃん、おじいちゃんっ子であった私は「介護福祉士になる」という夢を持っていました。
これはブレることなく小学校、中学校の卒業寄せ書きにも書いてあります。
――すごい。小学校3年生で夢があるって素敵ですね
そうですね。他人から「大変だよ」「介護職員は給料安いよ」と言われました。今思うと夢見る子どもに「何を言ってくれちゃってんの!?」と思いますが、どう言われてもめげなかったんです。
進学時に「看護師になれるよ」「頑張れば医師にもなれるよ」と言われたこともあったな〜。でも何がなんでも介護職員がよかった。何回も教師から説得されましたけど、進路については曲げなかったです。
それは今の性格にも通ずることがあって。魅力的に伝えれば負けず嫌いで諦めない、根気強い性格。悪く言えば「強情」とも言えますね(笑)。
――なるほど。それで介護職にはなれたんですか?
結論、なれました。18歳の時に運命の人と出会い、プロポーズをされて交際3ヶ月で結婚したんですよね。
医師も看護師も嫌だったくせに、その時は一旦介護職になるのをおいといて「結婚しよう」と思って。恋愛って、おそろしいです(笑)。
その時、私は18歳でした。でも私は訳あって旧大検制度を利用して高卒程度の学力の修了証明書を所持しています。15歳から社会に出ていたので貯蓄もあったし、そこは迷いもなかった。
介護職と同じくらい夢を見ていたのが「お嫁さんになること」、ちなみにこれは小学校1年生からの夢でした。若くしてママ業をする女性に憧れていたんです。
――なるほど。でもその歳でお子さんを持つのは大変じゃ…?
大変だったと思いますね、今思えば…。
結局子どもは授かりものなので18歳には妊娠をしていて。19歳で長男を出産しました。その後「介護職員になりたい」という自分の夢を誤魔化せずに、生後2ヶ月でお姑さんに預けて介護の学校通いをしています。当時「若いママだから、子どもを放っておけるのね」と心無いことを言われたこともありますね。
まぁ、私の性格上「終わりよければすべてよし」だし、絶対終わりに「よし」とする。これは私の人生で絶対条件です。なので「言っておきな〜、違うから〜!」って感じで、気に留めませんでした。
――まさに鋼のメンタルですね(笑)
メンタルは思春期、豆腐並に弱かったんですが、母親になると肝っ玉が座るものです。
ちなみに当時は夜泣きが2時間ごと。長男の場合、2歳まで続いたんです。大変だったし、その時の私の写真はみんな目が半開きで。見返してみても、もうずっと眠かったんだろうなって(笑)。
保育園は待機児童が社会問題でしたが、田舎ということもあり運よく0歳で預けられました。その頃には介護職員の資格も取得していたので、介護職員として長男が生後半年から働き始めたんですよね。
――めまぐるしい(笑)
そうなんですよ。まさにその言葉通りでした。
念願の介護職員の夢を叶えて、実際に働き始めまして、それはそれは毎日幸せでやりがいにあふれていて、楽しかったです。
でも介護職員って夜勤はあるし変勤交替なので、そこはキャリアのためにも「早く子どもを産んじゃおう」と思って。年子で計画出産したんですよね。保育園も同時入所だと当時は月額保育料金が安くなるのと、優遇されるというのがあったので迷いない決断でした。
――日本では毎年、保育園問題が話題になりますものね
そうですね。これは本当になんとかしなくてはいけないし、企業も「どうにかするべきだな」と思っています。お互いのちょうどいい折り合いって必ずあると思いますから。
あ、あと私には3歳下の妹がいるのですが、子どもの3歳差って、すごく大きい。一緒に遊べない妹に「なんで?」しかない冷たいお姉ちゃんだったので、双子は無理でも年子ならと頑張りました。
あ、ちなみに妹以外にはすごく優しいんですけどね。今でも妹には「あの時のお姉ちゃんはひどかった」と言われます。
――介護職員をされていたので優しいんだろうなとは思いますけど、自分で言っちゃうんですね
事実はどうであれ、アピールはしないと(笑)。
――でも、そこまで子育てや制度を計算して、実行したのは「すごい」ってよく言われませんか
言われます(笑)。「長男がそれだけ夜泣きしていたのに、よく2人目を産もうと決めたよね」とも言われましたけど、人間やっちゃえばなんとかなるんですよ。
次男を出産した後に縁あって大きい会社に、介護職員の正社員として入社を決めたんです。そこから2年で立場が上り詰めた時に「このままだと現場からあがっちゃうのでは」と思えて。
夜勤がなくなるので子育てとしてはいいのですが、介護職員だったら私は現場にいたかったんです。でも、いよいよマネジメントや部下の指導、夜勤はそもそも1人なので責任者ですけど日勤帯もすべて自分が責任者という現実が辛くなって。「記録を書いてるくらいなら、高齢者と話したい」という欲求さえあったのを覚えています。
この時、次男は2歳でした。そろそろ夜勤の際におばあちゃんに預けるのも心苦しいというか。「ママは世界で私だけなのに申し訳ないな」というのはありました。
介護施設に出向いちゃえば、やりたい仕事なので楽しかったです。そして同僚もいい人たちに恵まれたので、そこに不満は正直なかったですね。人から「ありがとう」と言われるのも好きでした。
――育児と介護って、まさに日本の社会問題ですよね
そうですね。思い返しても「楽しかった」「眠れてなかったけど」くらいの印象しかないですが、おそらく充実していたんでしょう。負の感情は今振り返ってもないんです。
あ、でも食べても食べても太らなかったな。今とは体型が違いすぎて、戻りたい…(笑)。
――大変そうなお仕事ですものね
そうですね、大変かはさておき、育児と介護は重労働ではあると思います(笑)。ある時「このまま介護職員として働いてていいのかな」という疑問がわいてきて。
――あんなにやりたかった仕事なのにですか?
介護をしていると、1人ではどうしようもない壁にぶつかります。
それこそ、あんなに家族のように大好きだったご利用者様が亡くなられたり、ご家族からセンシティブなお悩みをお聞きすることもあれば、「もっとこうしてあげたいのに」という個人の気持ちが叶わず、介護保険法の狭間で葛藤もある。
人員不足オブ人員不足の業界に違いないので、これを変えるにはそれこそ私だけ声を上げていても「なんら変わらなくないか」と思って。そこで小学校5年生から続けていた「ブログ、ネットでの情報発信を利用したい」と思ったんです。
――思考の転換がすごいですね(笑)
ありがとうございます。実際に1年くらいだったかな。16時から翌朝10時までノンストップで38名の介護をした後に夜勤明けでブログで発信したり、文筆活動で副業する日々が始まりましたね。
そのうち、ありがたいことに「小学校5年生から文章を書いている子がいる」と大手出版社さんにお声がけいただき、気づけばライターになっていました(笑)。
ずっと小学校3年生から介護職員になるとしか思ってなかった私は「文章を書いてお金をもらえる人って、小説家以外にもいるんだな」と22歳で感じましたね。世間知らずもいいところで、これはちょっと恥ずかしい…な。
書くからには介護の社会問題を自分ごとに捉えてほしいと、介護職を辞めて3ヶ月くらいいわゆる無職で「もっと多くの人に見てほしい」と思ってアクセスを集めるために※SEO(Search Engine Optimization)の知見も勉強しました。介護職の知見を活かして大手メディアで連載をさせてもらったのもいい思い出です。
※SEO(Search Engine Optimization)
「SEO対策」とも呼ばれていて、具体的にはGoogleなどの検索エンジンのオーガニック検索結果(自然検索結果)で、特定のWebサイトをGoogleにインデックスさせたり検索上に上位表示させるためのテクニック。検索エンジンのクローラーに認識させるような書き方はもちろん、アクセス数を稼がなければ上位表示の維持ができず、読者が読んでいて不自然な文章にならないようにするなど技術を要する。
片手におさまる人を幸せにするだけでは物足りない。フリーランスのライター・編集者としてITへ飛び込む
ここまで忙しくも濃厚な日々を送っていた道上さん。なんの不満もなくフリーランス生活は、独立当初から今まで充実そのものだったそうです。
――フリーランスとして活動されてて困ったことはないですか?
それもよく聞かれるんですけど、面白いくらいないんですよ(笑)。記事的につまらなくてすみません…。
勉強のためにやめた介護職員ですが、やめた2週間後には継続発注をいただいていて、コネクションもないまま独立したのにラッキーでしたね。
自分の長所をあげるとすれば、人に恵まれることと『天性のラッキーガール』といったところでしょうか。「もうガールじゃないでしょ」と言われたことも数知れずですよ。
――ラッキーガール(笑)。SESが主流な弊社ですが、ここに所属したご経緯は?
もう忘れちゃったけど、大手回線会社かな? 何かの案件でWebディレクターを募集していたのです。クラウドワークスさんだったかな。
そこで社長と面談になった時、「ずいぶんとコミュニケーションがお上手ですね」と言われまして。
――おっと、予期せぬ展開ですね
そうですね。社長には「そうですか?」「でもよく言われます」というような感じで話したのを覚えています。それで、終始和やかに面談は終わりまして。
そこから社長が「都内の編集部に人がいなくて困っている会社さんがいるから行ってほしい」と案件をくれまして。気づいたらお取引が開始していました。
その常駐先の編集部も楽しかったですし、ここまで株式会社エーエスジャパンさんは一つのクライアントさまとしてよくしていただきました。
ちなみにその編集部の方は、今でも仲良くさせていただいてまして、女子4人でキャンプも行くくらい。その絆を与えてくれたことにも感謝ですね。
――おぉ。本当にコミュニケーション能力が高いし、フットワークが軽い(笑)
順調にその案件を終えて、家族でフィールドアスレチックに出向いた帰りの道中、株式会社エーエスジャパンの事務員さんからメールをいただきました。
運命を変える一通のメール「沖縄旅行に来ませんか」
クライアント先のうちの1社としてお付き合いしていただいていた道上さんですが、そのあと株式会社エーエスジャパンの熱狂的なファンになる決定打があったそうです。
――メールですか…?
そう。メールです。これまで株式会社エーエスジャパンの営業さんや社長とはオンラインでの面談やミーティング、お電話で話していました。
フリーランスあるあるなので、全くそれで問題ないのに、ある日突然「沖縄旅行を今年も開催します。参加費は無料なのでぜひ来てください」みたいな趣旨のメールをいただきました。
――えっ?
いや、本当に「えっ?」で、何か騙されていると思ってccも見ましたし、メールアドレスも自分の受信履歴でソートかけました。でも全く一緒のメールアドレスで(笑)。ccには社長のアドレスや営業さんの見慣れたメールアドレスもある。
これはまぎれもない「インビテーション」ですよね。
――インビテーションが届いて、どう思ったんですか?
いやでも、この性格だから「飛行機乗れるし沖縄行けるしタダだし、行くしかないな」って。
ちなみにこれまで子育てと仕事尽くしでこれまできていた私。この時に初めて飛行機に乗ったんです。現実に会ったことのない方たちと一緒に(笑)。これは生涯忘れることがないでしょうね。
子どもはおばあちゃんに預けて、羽田空港に行きましたよ。「なんかの夢じゃないか」という。でも行きの高速バス中では「この世に業務委託者も社員旅行に呼んでくれる、そんな素敵な会社があるのか」「事実か確かめたい」みたいなジャーナリズムもありました。
――沖縄旅行が嘘じゃなくて良かった!リアルな印象はどうでしたか
いや、みなさんオンラインそのままのお人柄でびっくりしました。2泊3日したのに、誰1人性格が変わらない。つまりみなさん自然体でお仕事されているということだし、ありのままの性格で超絶性格がいいという事実にびっくりです(笑)。
あ、でも羽田空港で落ち合う際に、テンション上がった社員さんの1人がアロハシャツにサングラスをかけていて。
オンラインや電話で何度もやりとりしているとはいえ、最初は背丈とかもわからないですし、ビジネスシーンは当然お互いにオフィスカジュアルだったりスーツですからね。
でもその方に「すごい見られてる」と思って、絡まれないように目を逸らしていました(笑)。そうこうしているうちに「道上さん」とお声がけいただいて、声で気づいたくらいです。
――声でわかって良かったですね! 本当に初対面だったと分かるエピソードですね
他の方ともその時に初めてお会いしました。フリーランスの方もエンジニアやデザイナーさんがいらして、異業種みんなと遊べて楽しかったですね。社員さんはいうまでもなくハイテンションで仲良しでした。
ハブ酒を飲みつつぶっちゃけトークやら、海で本気で遊んだり。これはもう学生のテンションですね。みんなで社長を担いで、海に投げ込むのも「仲がいいんだな」と感じました。
――え、社長を?
そう。シラフですよ。朝の9時半くらいだったかな、いきなり社長をみんなで担いで海にバシャーン! 社長も海パンにサングラスだったので濡れても問題ないけど、でもびっくり。
――社長、怒らないんですか?
え、全然怒らないですよ。むしろ仕返しに出てました(笑)。
この沖縄滞在中に「あ、この感覚久しぶり」と思ったものですね。介護職員の時からチーム医療を掲げられていたのもあったのですが、大勢で行動するのは嫌いじゃない自分がいて。
1人の楽しさもあるのでフリーランスでも「寂しい」って感じたことはなかったんですよ。もともと私は釣りやキャンプにアスレチック、ドライブに園芸、裁縫にボランティア、飲み歩きに料理や温泉巡りにサウナ、ランにマシンを使った筋トレなど、とにかく趣味が多くて。それこそ友達にも、ドン引かれます。
久々に会った人には、まず「最近、友紀は何しているの?」と言われる(笑)。趣味が多いと、そのぶん友達も増えていきますね。
――人生、エンジョイされていますね!
(笑)。
でもこの時ばかりは「大勢っていいな」と感じたんです。戻ってからも沖縄旅行で仲良くなった数名とプライベートでも、都内で飲みに行きました。この時、他の自分の案件との兼ね合いやSES主流の株式会社エーエスジャパンでは、私の稼働はなかったんです。
――そうなんですね。それでも弊社とのやりとりは切れなかった、と?
そうなんです(笑)。ある時、沖縄から戻ってきたあと、子どもたちが「ママだけ沖縄行ってきてずるい」と言い始めたので、プライベートでも再度沖縄に行きました。
だけど家族で行ったのに、どうしてもあの社員旅行の時の楽しさを思い出す。そりゃ家族旅行も楽しかったんですけどね。
急に「…あぁ、すごい好きになっちゃった」と淡い恋心のような気持ちになってですね…(回想)。羽田空港に戻り、翌日には社長に電話でご連絡をしたのを覚えています。
どうしても一緒に働きたいから自分で案件をとってくる
羽田空港に戻り次第、社長に連絡をしたという道上さん。ここから、途方もない株式会社エーエスジャパンへの愛があふれ出します。
――社長はなんて?
う〜ん。いたって普通です。「また行きたいですね!」「楽しかったですよね」って「沖縄に、また行かれたんですか、どこに?」みたいな。雑談で30分くらい話して。「また案件あったらお願いしますね」と終話しました。
でも、電話を切った後に「私、待ってられない…!」って思ったんですよね。
――もうそれ恋愛なら猛アタックじゃないですか?
いや、本当にそう。そこから3ヶ月、「編集部を立ち上げたい」と打診して。
――え? 社長に直談判ですか?
いや、聞いてくれるんですよ。社長ってそういう方です。「面白そう」とも言ってくれましてね。
並行して、私が仲良くしている別の社長さんで困っている方もいたので、その案件を「一緒にやりませんか」と社長にも声をかけました。一緒に仕事がしたいあまりに、巻き込んじゃいました(笑)。
――それはそれは…すごい愛情!
一緒に仕事がしたいというのもありましたが、プロフェッショナルが集まっている会社さんのイメージも沖縄旅行でずいぶん強まっていたので。
このクライアントさんに対して「私1人より、もっといいものを作れる気がする」って頼ったところもありますね。これは言葉に表せないくらいの『信頼感』です。
「いてくれるだけでいい」、そんな友達っていませんか。はたまた奥さんや旦那さんでもいいんですけど。
そこにいて、繋がっているだけで満足な見返りのない愛ってありますよね。その人がいるから頑張って仕事できたり、立ち向かえることってあると思うんですよね。
――もう、恋ですね(笑)
そうですね。(自分も)思いました。
株式会社エーエスジャパンの社長やメンバーは、私にとってそんなかけがえのない人たちで、大切にしたいメンバーなんですよね。
――ありがとうございます! すごく弊社への想いが伝わりました。
それはよかったです。今も月に2回はバレーボールをしているじゃないですか? そのほかにも、プライベートでも集まって飲んだり、帰りがけにスティックアイスを半分に割って、くだらない話をしたり。社員同士で家に行き来して泊まったりもあったかな。
本当に友達みたいな感じですが、なぁなぁにならずにみなさんお仕事の際は、真剣に頑張っています。その姿を見て、私ももっとフリーランスを楽しめるようになりました。繋がっている安心感もあると思います。
ですから、wantedlyを見た方にはぜひ一度でもいいからこの会社さんのお話を聞いてもらいたいです!
――わぁ…ありがとうございます! 最後に株式会社エーエスジャパンを漢字一字で表すと?
「愛」ですね! これに限る(笑)。
思いやりが多く、ユーモラスな人たちでいつも場が和やかです。誰かが孤立することもなく、本当に飲みに行くと家族の食卓のような団欒があります。この時ばかりは自分が母親であることを忘れるくらいです。
みなさんの包容力に感謝しつつ、これからも頑張っていきたいと思います!
***
以上、フリーランスで株式会社エーエスジャパンに所属する道上さんでした。
株式会社エーエスジャパンでは、エンジニアの方やSESに携わったことのある事務員さん、営業さんを大募集しています。そのほか、「自分のこんなスキルを活かせないか」といったお問合せも大歓迎です。
気軽に「今すぐ話を聞きたい」でアピールください。道上さんのようにとっておきの居場所が仕事でも見つかるかもしれませんよ。