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営業で塩をまかれたことも!創業ヒストリーからビジョンまで20期目のIT社長に密着

転職は一つのドラマ。そこには人の思いだったり、自分の果たしたいことを成し遂げるために飛び込む勇気や葛藤があります。誰しも今の現状より状況が落ち込むのは嫌なものです。

だからこそ転職を決めるときは、その社長の人柄や会社のビジョンに注目している人も多いのではないでしょうか。

株式会社エーエスジャパンの『中の人』に自分の働き方や信念を聞くこの連載。初回の今回は、株式会社エーエスジャパン代表取締役である新保社長にお話を聞きました!

創業のきっかけは所持金30,000円で購入したゲーム機


創業当初のドラマを聞くべく、軽い気持ちで自己紹介をお願いした筆者。聞いてみると創業当初の運命とも言えるような興味深いエピソードが聞けました。


――まずは自己紹介をお願いします!

新保 智彰(しんぼ ともあき)です。23歳から会社をやっています。ちなみに会社をおこした時、所持金30,000円でした(笑)。


――え、な…!? 30,000円はガチで、しかも所持金だったんですか?

そうです。所持金です。口座の30,000円で会社をはじめました! 若くして結婚していたので、リアルにお金がなかったです。

――えっ! いきなりびっくりです

当時の郵便局、今で言う郵貯にリアルで32,000円しかなかったんですよね。これは嘘でも盛ってもいません。

当時は自転車操業だったんです。稼いだら家に入れて、稼いだらまた入れて。それで本当に貯蓄はなかったんです。

――素敵。これは面白い話が聞けそうですね

(笑)。

それで32,000円をプールしてそれを使って、アミューズメントのゲーム機を買ったのが創業のきっかけです。


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――面白い! それでどうされたんですか?

最後に勤めた会社さんがカラオケ屋さんだったんですよね。アルバイトから入って社員になって、それで店長になって、すぐにマネージャーになったんですよ。

それでネットサーフィンしていたら、たまたま「ゲーム機を販売している」というページが出てきたんです。本当にこれは、たまたまです。

気になって読み進めていくと、安い機械もあれば一番高い綺麗なアミューズメントのゲーム機などもあって。この中で一番安いのが30,000円だったんですよ。

「これ買ってどこかに貸してみたら、売り上げとして月に4,000円か5,000円くらいになるかな」と思ったのがきっかけでした。それだけにしようと思ったら、終わらなくなっちゃったんですよね(笑)。

――終わらなくなっちゃった、と言いますと?

1台で終わらせようと思ったら、終わらなくなっちゃったんですよね。結論、そのアミューズメント事業は今もやっています。

自分のやりたいことを追求した20代!ごみ収集から探偵のアシスタントに翻弄

SESでよく聞く創業エピソードと比べて、思いもよらない“こぼれ話”。新保社長が創業までに歩んだ道のりに、まずはフォーカスしてみることにしました。

――終わらなくなっちゃったのがすごい。でも、月に数千円になればいいと思っていたわけですよね?

本当に、そうです!(キッパリ)

カラオケ屋さんの前は、ごみ収集トラックの運転をしていました。夜中の12時から朝8時まで8時間労働。

1人で運転して、渋谷とか新宿とか恵比寿とか銀座に繰り出していましたね。当時飲食店の生ごみを1人で集めていたんですよ。

――想像を超えてくる生活(笑)

そうですよね(笑)。1日だいたい1.5トンから3トンくらいの生ごみを1人で集めるんですけど、それは辛かったですね。

――いや、聞くだけでそれは辛いでしょうね

それは〜(笑)、つらかった〜ですね! 辛かった〜!(笑)

朝8時に終わって、車を掃除して生ごみ臭いまま家に帰って、自分の体も掃除して、10時に自分の事業の営業をしたり、機械整備したりしていましたよ。当時はフリーランスで。

その時は、ほったて小屋って言うんですかね…? そこがオフィスを兼ねた倉庫で10時から7時くらいまで仕事して、家に帰って食事をする。ちょっと休憩して22時くらいに起きて、夜中のごみ収集に出かける日々でした。

ごみ収集の前はチラシ配ったり、築地でも働きました。それ以外にも探偵事務所のアシスタント、ドリンクのルート販売とかもやってました。

あ! 惣菜のセントラルキッチン…。これは怖かった。惣菜のセントラルキッチンだけは、ずっとチキンを切らされていたので、1日で逃げましたね(笑)。

そのほかにも10〜15回くらいは職業を変えたかな…。いろんなことをやってました。


――なんでそんなに職業を変えていたんですか? 好奇心ですか?

自分がやりたいことが決まらなかったのと、もともと自分がやりたいことがなかったんです。高校まで野球ばっかりしていて、まるで勉強をしていなかった。だから何をしたらいいか分からないまま社会人になってしまいました。

20代を超えると、野球で培った体力だけは自信があって。それでその時に勤めていた社長とか役職者に気に入られて、 妬まれることも多かったですね。そういう妬みに疲れて辞めた会社も数社はあります。

――同性からの妬みが一番怖いですよね(笑)

(爆笑)。そうなんですよね。

それは本当にそうだと思います!!!

――アミューズメントのゲーム機をある日買った創業秘話もユニークですけどね

そう、それで1台ずつ増やしていきました。最初買ったゲーム機が1ヶ月で20,000円をたたき出して、それをお客さんと折半して。そしたら、お客さんから「もう少しゲーム機を増やしたい」と言われたんですよ。

――え? でも売上10,000円ですよね

そう。だからその10,000円と、よそで働いて得た自分の所持金をまた20,000円足して、また30,000円のゲーム機を買ったんです。すると今度は2台で、僕の取り分が15,000円になったんですよね。

でも、お客さんがまた「ゲーム機を置いてくれ」って言うから、所持金とこの売上金を足して1台ずつ、どんどん増えちゃったんですよ。

――じゃあ全然利益になってないですよね(笑)

そうですよね。利益になってないどころか、赤字ですよね(笑)。

――それなのになぜお客さんの要望をくみ取り、置いていってあげたんですか?

基本、飛び込み営業をしていました。近くのゲームセンターに飛び込みで営業に行った際に、安い中古のゲーム機だったから「置きたくない」と断られたんですよね。

でも、しつこく僕も営業したから「じゃあ、わかった。置いてあげるよ」と了承をいただきました。でも「汚いから店の中じゃなくて外に置いて」と言われちゃって…。「汚くて店の入口にも置きたくないから、裏口の従業員通路ならいいよ」と言われたんですよ。

――え?まさかの店外で従業員用、ですか?

そうなんですよ。でも僕は必死なので「どこでもいいから置いてもらいたい」と。

それで従業員通路に置かせてもらったんですよね。そしたら従業員さんが、面白がって遊んでくれたんだと思います。

――福利厚生的な感じで役立ったんですね

そうですね。そうしたら決裁者の方が、どんどん増やしてくれるって。でも通路がせまいので、さすがにもう置けなくなっちゃった。

「雨は当たるけど、もう少し綺麗なゲーム機なら入口に置いていい」と言われて、その時やっと50,000円のゲーム機を買えるようになったので置きました。どんどん増えて、そこのゲームセンターだけで最終的に50台くらいになって。

大手ゲーム機があるなか、店内も少し置かせていただけるようになりました! 嬉しかったですね。


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――地道に少しずつ増えていったわけですね

そうですね。機械を入れ替える時に「この使わなくなったゲーム機どうしよう」ってなって。ほかにまた営業かけて、違うゲームセンターに置かせてもらったんです。お金はないから、また飛び込み営業ですよ(笑)。

そうやって少しずつ販路が拡大して今1,300台くらいになっています。

――ほかのゲームセンターといっても、また0からの関係を築くのは大変だったのでは?

すんなりいかないですよね。名は知れないし個人だし、「うるさいし、しつこいな」みたいな感じで煙たがられて。

今もお付き合いをさせていただいている大手会社さんは、2年間毎日欠かさずに営業に行き、それでようやくって感じでした。

――もうそれ「娘さんをください」とか、好きな子に「どうしても付き合ってくれ」と言うより大変ですよね

いや〜〜〜、もうもうもうもう…(回想)。

大変でした。取引先の社員に「あいつ、しつこいから」と言われて、塩をまかれたこともあったんですよね。本当にまかれたのかは確認したくなかったし、わからないですけど手には持ってましたね。

取引先に塩をまかれても負けない!その強いメンタルに迫る

熱心に営業をするも、実績がないフリーランスということで煙たがられてしまうこともあった新保社長。それでも折れないメンタルの強靭さが魅力です。その秘密に迫ることにしました。

――塩って結構きつい…! なんでメンタルが折れないんですか?

結婚して子どもがいたというのもありますけど、父親がもともと公務員でした。「経営者なんて大変なんだから、やめなさい」という感じで、すごく反対されたんですよ。「地道に安定した生活を送りなさい」「あなたは大学も行ってないし、できない」「90歳くらいまで雇われの身でコツコツやりなさい」とまで言われてしまいました。

でも僕は、そこで反骨精神が芽生えたんですよね。もともといた会社でも、妬んできた先輩より仕事で成績はあげていたし、「僕は仕事ができる」という変な自負もあったので。

――なるほど。折れないメンタルがすごいです

やっぱり体力にも自信あったので、これは自分で事業をやったほうがいいと思ったんです。もう「どこに勤めても、自分にあわなかった」ということは理解できていたので。

成功するかしないかは分からないけれど、後戻りはできないし「会社が潰れる、その時は死ぬ」。そんな覚悟でやっていました。

だから「やめよう」とは思わなかったです。あと年齢が若かったのもあり、助けてくれる方は助けてくださいましたね。



――お、明るい話しがきました…!

やっぱり、目の下にクマを作っていけば「大変だね」とお客さんにも言われて。これは未だに覚えてくださっていて「あの時の新保くんは、大変だったからね」とか言われます。

その売り場の物をどかして、わざわざゲーム機を置かせてくれるお客さんもいました。それは嬉しかったですね。

「新保くんがやっているうちは、ここは一生使っていいからね」と言ってくださるお客さんもいて。それでなかなか辞められなくなっちゃいました。

――それは確かに嬉しくてやめられないですよね。それでも会社を経営されていると、やっぱり多くのアクシデントがあるのでは?

あります。あります、あります!(笑)

辛かったことは、もう「お金がないこと」ですよね。お金がないので、事業がまわらないです。それに人も雇えないから、全部1人です。

トラックもレンタルできないし運送会社も頼めないので、当時自分の住んでいた賃貸の1階に工務店が入っていたんです。

そこで「絶対このまま壊さずに返すので、借してください」って話して。でもゲーム機は大きいのでね。そこで…尋常じゃない積み方をしてました…。

――尋常じゃない積み方が気になる…(笑)。

機械の片方だけ荷台にのせて、車のギアをバックに入れて“てこの原理”で荷台に乗せる(笑)。今思えば、相当無茶なことをしていましたね。お客さんのところまで行けば、手をかしてくださるんです。

それでも“XX工務店”と書かれた泥付きのトラックで、もともと汚いけどさらに見すぼらしいゲーム機が運ばれてくるんですからね。お客さんもびっくりですよ。でもそういうのを見て「大変だな」と支えてくださったことは、今でも心から感謝しています。

あ、あと困ったのはファックスね。

――ファックス、ですか?

コピー機がない、ファックスもない。だからリサイクルショップで中古のワープロを買って、その印刷物をコンビニでファックス送信しました。だからお客さんには「うちにファックスは送らないでください」って言って(爆笑)。

――お客さんが送ってくれても、行ったきりで戻ってこないからですか?

そうです、そうです! お客さんのところに行った時に書類をもらったり、送られてきそうな前に書類取りに行ったりとかしてました。その状態が2年とか3年続くんですよ(笑)。よくやってましたよね〜!

創業4年目、無茶でも思いやりや熱意は必ず伝わると感じた

これまで多くの逆境を工夫して乗り越えてきた新保社長。しかし、懸命になんとかする様子に、次第に周囲の人も手伝ってくれるようになったといいます。



――2年とか3年して、その後は?

さすがに4年目くらいですかね。それまで「なんかやってるな」くらいの認識だった友達も手伝ってくれるようになりました。

多分今見たら、色々とおかしいし無理があったと思うので心配してくれたのでしょうね。

――でも辞めたいとは思わなかったんですね

やろうとなった以上は、絶対やり抜きたかったんですね。「諦めないぞ」って思いました。今だから言えるんですけどね。当時はとにかく必死でした。

社員は家族も同然!だから大切にするのは当たり前

これまでの社長の歩んできた道のりは決して平坦ではないことが理解できます。今は従業員も71名に達したということで、これからビジョンについて聞いてみました。

――そういえば弊社は、とにかくイベントが多いですよね。業務委託者も呼んでバレーもやるし、食事にも行きます。これは何か狙いがあるんですか?

僕はいろんなところで働いて、いろんな職場に行きました。そこでやっぱり社員に対する気持ちというか…「ただ働いてくれてればいい」みたいな姿勢の会社さんが多い印象を受けて。

一緒に仕事をして一緒に稼いでいるということは、そこには絶対に人との繋がりがあります。

だから、仕事以外でも共感とか楽しい時を過ごした方が仕事のパフォーマンスも上がると感じましたね。本当に長い時間を過ごしているので、家族みたいな存在だと僕は社員を思っているんです。

――家族というワードにジーンときました。社長の優しさに感動です

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だけど、どうしても本当の家族以上にはなれないんです。どう頑張っても血縁じゃないし。「でも家族に近い状況には持っていけるかな」と思うんですよ。

社員で誕生日の人がいたらお祝いしてあげたいし、なんかあったらその人の話を聞いてあげたい。家族ならご飯も一緒に食べますよね。社員旅行も、家族旅行だと僕は思っています。

ちなみに、社員旅行も僕自身が「本当に楽しい」と思っています!!!

――私も同行させてもらいました。本当に沖縄の社員旅行は楽しかったです

見返りの計算をしていないからこそ、社員旅行が経費の範疇を超えて、超えたぶんを「自腹で出す」とかになっちゃうんですよね。

でも僕はそれでいいと思っています。「そのぶん、また稼ごうね!」って感じでした。

――月2回のバレー部もそのような思いからですか?

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そうですね。社員旅行は年に1回なので「もっと話したいな」と思ったのがきっかけです。

IT業界ではパソコンに向き合っていることも多くて。リモートワークの社員が「1日外に出ない日も多くある」というのを心配してたというのもあります。

今はSES事業の社員が多いので。そうなるとお客さんのところに、うちの社員を行かせてもらうことが多いです。でも、もっと社員の話を僕も聞きたかったんです。会えば話すので、そこでコミュニケーションとか繋がりを強めたいというのがありました。

――その社員さんは社長から見てどんな人が多いですか?

一言で言えば、とにかく優しいですね。自分より、相手のことを考えられる社員が多いです。とにかくお互い気にしあえる社員が多くて、学校みたいな感じです。

――いや本当に! たまたまクラスが同じになったんだけど、3月くらいになると「寂しいね」みたいな感じの絆がありますよね

そうそう! 本当にそう(笑)。それですごいのが、社員さんだけではなく業務委託の方もみんな優しくて、コミュニケーションが盛んなことですよね。僕から見ても、弟とか妹という感じです。

大きな括りで「同じ仕事をしている仲間」と思っていて、僕には何より大切な存在です。

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――社内の雰囲気は、いつでもウェルカムないい意味で海外のホームパーティのような様子ですよね。このような雰囲気を保つために意識していることはありますか

まだやれていないことも多いんです。でもコミュニケーションは、ずっと意識しています。連絡をとっていない社員がいたら「LINEしてみようかな」と送ってみたり。実際に「元気?」と送ってみたりしています。

――そういえば社長、めちゃくちゃLINEもメールも折り返し早いですよね

ありがとうございます! 僕のポリシーでもあります。社内でも連絡が早い人がうちは多い印象です。そもそもコミュニケーションの取り方に悩むような会社にはしたくないです。

もうちょっと余裕が出てきたら「月に1回はオフィスで、カレーをみんなで作って食べたいな」とか、まだやれていないこともあるんですよね。

――楽しみ! 入社を考えている人に伝えたいことは?

絶対に幸せにします!(笑)

これで大丈夫そうですか?

――大丈夫です! そういえば、カップルで入社する方もいますよね

そう言われてみればそうですね。会社の中でできるカップルはよく見かけますけど、もともとカップルの2人が入ってくることは少ないですよね。うん、言われてみれば確かにです。


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――最後に弊社、株式会社エーエスジャパンを一言で表すと?

「結」ですね。決断力とか、沖縄では仲間を「ゆいまーる」というので!

――ありがとうございました!

***

以上、株式会社エーエスジャパン代表取締役の新保社長でした。


株式会社エーエスジャパンでは、エンジニアの方やSESに携わったことのある事務員さん、営業さんを大募集しています。そのほか、「自分のこんなスキルを活かせないか」といったお問合せも大歓迎です。

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