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はじめまして!株式会社ヘルスベイシス 専門職新卒 1期生の眞壁梨乃です。
この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシス・コンストラクションに決めた理由をお話しします。
こんな方は、ぜひお読みください。
✔ 自分に自信がもてない人
✔ 好きなことをとことん追求してきた人
✔ モノづくりが好きな人
最後までお読みいただければ嬉しいです。
<プロフィール>
名前:眞壁梨乃(まかべ りの)
大学:聖徳大学
見ていた業界:アパレル企業、美容業界
出身:宮城県
趣味:雑誌を読む、筋トレ、刺繍
私とファッションの出会い
私は、好きな物や興味をもった物への探究心が強い子どもでした。4歳の頃に流行したファッションコーディネートのカードゲームにはまり、攻略本やファッション雑誌を穴があくほど読んでいました。これがきっかけとなり、ファッション業界に興味を抱くようになりました。そして小学6年生の時、県内で3校しかない家政学科がある高校に進学し、専門スキルと知識を磨きたいと明確な目標を立てました。母には、「見えてない選択肢が転がってるから焦らないで」と諭されましたが、当時の私は聞く耳をもちませんでした。
中学3年生になり、一向に変わらない私の気持ちを許容してくれた両親と祖父母の期待に応えるべく、第一に合格すること、第二に高校で成し遂げたいこと、第三に高校卒業後の進路について人生設計を立てました。
晴れて第一志望に合格し、充実した学校生活を送ることが出来ました。私の高校時代は、被服製作に明け暮れる日々でした。毎年行われる被服製作技術検定に合格するため、夏休みや冬休みも学校に通い、作品が完成したら糸を解きを繰り返し何度も練習しました。高校3年間ではものづくりの経験を通し、諦めない根性と忍耐力が身につきました。その後、アパレル産業の構造やビジネスについて学びたいと思い、家政学部服飾専攻へ進学しました。
大学に入学したら、3年生の後期までに卒業単位を修得し、残りの学生生活は世界のファッションショーを見に行くと意気込んでいましたが、コロナ禍の影響で想像もできない生活が待ってました。外出規制により、通学ができず淡々と課題に取り組む日々を過ごし、何のために大学へ進学したのか目標を失ってしまいました。
追い討ちをかけるように、アパレル企業の倒産、未就職卒業や退学をする先輩方をみて、漠然とした不安と焦りを感じ、私が好きを貫いてきた学問は世の中に必要とされていないと心が折れた時期でした。不安や焦りを感じる環境で足踏みしたまま過ごすのか、社会に出た時必要とされる人間になれているのだろうかと自問自答をし、現状にいることの怖さを痛感したため、編入学に挑みました。22年間を振り返ると、「目標に向かって計画を立て、着実に実行する」、「貪欲に学び試行錯誤を続ける探究心」という特徴をもった性格であることに気付きました。
私の就活
大学2年生の8月頃から説明会に参加し、幼少期からの憧れであったアパレル業界だけを見ていました。当初は、就活の知識や仕組みの理解は0だったので、合同説明会に参加することで就活している自分に満足していました。また、就活の最終地点は「内定をいただくこと」だと思っていたので、企業が求める人物像に無理やり当てはめ採用したい人と思われるように偽っていました。演じる自分に苦しさを感じ始めた頃、アパレル存在の危機や需要の低下というネガティブなニュースばかり目にし、「私は世の中に必要とされない」と自責の念に駆られるようになりました。
そこから、世の中に必要とされるにはと自分の存在価値を見出すため、
「苦しんでいる人を助ける」
「社会課題を解決する」
職に就きたいと思うようになり、業種•業界を絞らず社会貢献度の高い会社を探し始めました。
そうして、私は、アパレルの仕事だけではなく、自分が本当にしたいことが何かについて、改めて、自己分析をし直すことにしました。
人見知りのやんちゃ少女
私について、改めて、振り返っていきます。私は宮城県にある人口3万人の小さな町で生まれ育ちました。3歳年上の兄と、両親、父方の祖父、母方の祖父母の7人で暮らしていました。家では、兄とプロレスごっこをしたり、霧吹きで家中を水浸しにしたり活発に遊んでいました。何よりも家族を笑わせることが好きだったので、幼少期の写真は変顔をしているものが多くあります。しかし、一歩外に出ると人見知りを発揮し、家族の後ろに隠れて歩くほど恥ずかしがり屋でした。
臆病者のヒーロー
ある日、保育園でいじめが起こりました。一人の女の子を、5,6人が集って暴言を吐いていたのです。私が登園した頃には、泣いている状況でした。私は「自分がされたら嫌なことは人にするな」と教わっていたので、咄嗟に「何で意地悪しているの」と仲裁に入りました。この言動が後々自分に降りかかってくるとは知らずに…先生にもいじめられていた子にも「助けてくれてありがとう」「強くて優しい子だね」と感謝され、弱気な自分を変えた瞬間だと思いました。次からは皆で仲良く遊べると思っていた矢先、今度は、私がいじめのターゲットになってしまい、先生から見えない所で、私が描いた絵を破かれたり仲間外れにされたりしました。苦痛の日々でしたが、泣いたら負けだと思い何事もないように振る舞っていました。この出来事が、強さを演じることと周りの目を気にする自分を作り上げたのです。
真面目な小学生時代
保育園の時と同じ思いはしたくない一心から、意思がない子どもになっていました。誰もやりたがらない役割を引き受けたり、先生に言われる前に行動したり、優等生でありたかったのです。しかし、兄の姿を見て葛藤が生まれました。昔と変わらないおちゃらけた性格で、周りを笑顔にする偽りのない兄の姿に、私は感化されました。
ありのままを肯定してくれた友人•先生との出会い
中学生になり、いつしか兄の姿を追いかけていました。合唱コンクールで指揮者をしたり、運動会では先頭に立ち盛り上げたり、先輩•後輩から愛される人気者と評されていたことを先生方から聞きました。この時に感じた、殻に閉じこもっていた自分から抜け出したいという思いが原動力となり、何事にも挑戦する姿勢が身につき、自分らしさを見つけることができました。それは等身大のリーダーであることです。特別成績が良いわけでもスポーツ万能なわけでもないけれど、「ついていきたい」と思われる人間味に溢れた存在へ成長できました。
将来を誓った高校時代
私の家族は、子どものやりたいことを尊重し陰で見守ってくれる存在です。両親に口酸っぱく言われていたのは「赤点だけはとるな」の一言です。しかし、高校2年生の時に一度だけ数学で赤点をとってしまい「怒られる・どうしよう」と焦りましたが、父は「その点数があなたの実力なら仕方ない」と無関心な様子でした。この言葉と態度に闘争心が燃えた結果、数学にのめり込むようになりました。今振り返ると「女性は数学が苦手」というステレオタイプに甘んじていたと思います。何かと言い訳を探し、苦手なことから目を背けていた自分に嫌気がさしました。「敷かれたレールがないからこそ、自分で道をつくらなければいけない」環境で育った私は、目標を立て達成することで自分を奮い立たせていました。
このような経験から、温かさとユーモアを兼ね備えた人間になること、自分自身と向き合い妥協しないこと、先入観を捨て「まずはやってみる」という挑戦心を持ち続けられる大人になりたいです。
ヘルスベイシスを選んだ理由
私がヘルスベイシスを選んだ理由は、主に二つあります。
一つ目は、私の将来ありたい姿を体現する方々と出会えたからです。ヘルスベイシスで働いてる社員さんに共通することは、挑戦を恐れない個々人の強みと、仕事に対する当事者意識の高さです。選考を重ねていくにつれ、この方達と働きたい!日本の山積みされた課題を解決するにはここでしかない!と心が動かされました。
二つ目は、偽りのない自分でいられたことです。拙い言葉を拾い、私の将来と本気で向き合ってくれました。「選考が進むから自分に適している職なのかな」と勘違いし、ビジョンが定まらないまま内定をいただくことに罪悪感を抱くようになり、自分を見失っていました。そんな中、就活サイトでオファーを頂きカジュアル面談をした際、無知な私の考えや悩みを真剣に聞いてくださり、思わず涙してしまいました。同級生は皆ライバルであり戦いだと鎧を着た私が、はじめてありのままを出せた時間でした。
最後に。就活生へのメッセージ
私は就活を進める中で、無意識に周りと比べ、目先の目標に捉われていました。
当初は、納得するまで就活を終えないとやる気に溢れていましたが、月日が経つにつれ内定をもらうことがゴールになり、「自分のやりたいことって何だろう」「将来どんな大人でありたいか」と疑問に思いはじめ自己嫌悪に陥りました。
悩んだら立ち止まって休憩して下さい。
ゴールも正解もないので、全て自分次第で変えられます。だからこそ、自分の信念や経験を誇りにもち、堂々と面接に挑んでください!