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【新卒4期生】メーカーの研究開発を目指していた私が、ヘルスベイシスを選んだ理由

はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒3期生の渡会未夢です。

この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシスに決めた理由をお話しします。

こんな方は、ぜひお読みください。

✔ 社会課題解決に取り組みたい方
✔ 研究職を考えている方
✔ 就活に悩んでいる方

最後までお読みいただければ嬉しいです。

<プロフィール>
名前:渡会 未夢(わたらい みゆ)
大学:岩手大学大学院
見ていた業界:IT、人材、食品、化粧品
出身:秋田県
趣味:ダンス、サウナ、ラジオを聞く

人見知りの目立ちたがり屋だった小学生時代

私は秋田県のごく一般的な家庭の長女として生まれました。2歳年下の弟と、祖父母、両親の6人家族です。父は公務員、母は病院で勤めていたため、幼少期のほとんどは祖父母と多くの時間を過ごしていました。どちらかというと教育熱心で厳しい家庭だったと思います。

小さい頃は人見知りでしたが、とにかく目立つことが好きで、親戚が集まるとよく歌ったり、踊ったりしていました。そんな私を見て、母はバレエを習わせてくれました。踊ることも目立つことも好きだった私はすぐにバレエが大好きになり、4歳から小学6年生まで続けていました。小学1年生になってからは、そろばん、習字、水泳も習い始め、5年生になってから剣道も始めました。今考えても多忙な小学生でした笑。学校での成績も良かったです。当時は賞をとったり、テストの結果が良いと家族が褒めてくれたので、それが嬉しくて頑張っていました。

(習い事に行くのが嫌で泣きながら行くこともありましたが、、)習い事の送り迎えはほとんど祖父母がしてくれていました。祖母はいつも「薬剤師が一番いい、薬剤師になりなさい」と言っていたのを覚えています。当時の私はそれを間に受けていたので、小学校の行事で「将来の夢」を発表する場面では、「私の将来の夢は薬剤師になることです!」と豪語していました笑。

負けず嫌いだった中学生時代

中学は地元の中学校に進学しました。ほとんどが顔なじみだったので、人見知りの私でもすぐに慣れることができました。勉強では常に学年トップの成績でした。ずっと仲が良かった友達と毎回順位を競い合っていたので、負けたくない!と言う気持ちと単に勉強が楽しかったので頑張っていました。成績が良かったこともあり、1年生の頃から学級委員長に選ばれ、中学2年生の頃から生徒会にも入りました。学校行事を先頭に立って進めるのは、私にとってとても楽しい時間でした。小学校の頃からオリジナルのキャラクターをよくノートに書いていた私は、中学校のマスコットキャラクターを作ることを提案し、美術部にお願いして、着ぐるみまで作ったりしていました。この頃から新しいことを考えたり、何かをつくることが好きでした。

部活では剣道部に入部しました。当時は剣道部に入るのが本当に嫌で、どうやって入部するのをやめようかばかり考えていましたが、親に反抗できず、渋々入部しました。先輩や同期は大好きだったので、楽しい思い出ですが、剣道に対する熱意はほとんどありませんでした。そんな気持ちとは裏腹に同期の中でスタメンに選ばれることが増え、中学3年生の代では女子キャプテンに選ばれました。「こんな私がなっていいのか、」という気持ちもありましたが、責任感が強い性格だったので、「なんとかいい成績を収めなければ」という使命感にもかられていました。しかし、周りからの視線を気にしてしまう私は、後輩に強く注意したり、自分の意見を言うことがすごく苦手でした。時には「もっとこうしよう!」と言えることがキャプテンとして必要ですが、それが出来ないまま、最後の大会を迎えることになってしまいました。結果、チームの目標には届かず、個人の目標にも届くことができませんでした。チームのマインドだけでなく、自分のマインドすらも上手く持っていけなかったことにキャプテンとしての非力さを感じ、チームのみんなに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そんなこともありながら、高校受験では県内1位の高校を目指して勉強していました。母に「医者になったら安泰だし、稼げるよ」と言われたことがきっかけで漠然と医者になりたいなあと考えていたので、医学部への推薦枠がたくさんあった高校を目指し、無事合格することができました。

目標を見失った高校時代

地元の小さな中学校で育った、まさに「井の中の蛙」状態だった私は、高校入学後、周りの優秀さに圧倒されていました。しかも人見知りだった私は新しい環境に馴染むことにとても苦労しました。入学して数ヶ月はストレスで胃がキリキリしていました。

医者になるという漠然とした夢はありましたが、高校入学がゴールになってしまっていた私は入学後の勉強にあまり熱心になれませんでした。私の高校は医学部志望者が3分の1くらいいたので、一年生の頃に医学部志望者の講座があり、それになんとなく参加しました。「稼げるから」という理由で医者を考えていた私はそこで、本気で医者になりたいとは思っていないと気付かされました。そこで私の将来像がぷつんとなくなってしまいます。何のために勉強しているのかわからなくなり、担任との進路相談でも「絶対この大学に受かりたいと言う熱意が感じられない」と言われ、図星だった私は涙が止まりませんでした。しかし、進路は決めないといけないので、とりあえず友達に何になりたいか聞いてみました。そこで知ったのが、メーカーの研究職でした。ミーハーで、小さい頃から何かをつくることが好きだった私は、「化粧品やお菓子を作るの楽しそう!」と思い、食品や化粧品に関する研究をしているところに進学することを決めました。

部活動では、剣道部には入らず、ダンス同好会、チアリーディングなど自分の好きな「踊ること」に没頭していました。とにかく熱心に取り組んでいたので、3年生のときには副リーダーに選ばれ、曲決めから、振り付けや構成を一から考えていました。頭で考えた構成を形にしていくことがとにかく楽しく、やりがいを感じることができた瞬間でした。また、中学時代、剣道部でリーダーとしてうまくまとめられなかった経験から、「自分の考えは言葉にして伝えよう!」と思い、改善のための意見は積極的に発言するようにしました。最初は、少々怯えながらでしたが、意外とすんなり受け入れてくれることが分かり、自分の意見を言うことへの苦手意識はどんどん無くなっていきました。

好きなことに没頭した大学時代

岩手大学農学部に入学した私は、学業の傍ら、居酒屋でのアルバイトやダンスサークルでの活動にも取り組みました。

ダンスでは自分のスキルを高めるため、サークルだけでなく外部のスクールにも通いました。そこでは、たくさんの学びがあり、自分の上達スピードがぐんと上がったことでダンスへの熱がさらに高まりました。体幹を鍛えるために筋トレを始めたり、上手な人の見せ方や角度を研究したりすることでさらに上達し、その成長が楽しくてさらに熱中していきました。また、イベントなどでは自分たちで曲や振り付けを考えるので、どうしたら見ている人を飽きさせずに楽しんでもらえるかなどを考えながら、構成を練ったりすることにとてもやりがいを感じていました。とはいえ、サークルなので全員が熱量高く取り組んでいたわけではありませんでしたが、そんな中でも何とか作品を完成させ、披露したときに歓声をもらえたり、「よかったよ」と言ってもらえることに大きな達成感を感じました。

居酒屋のアルバイトも楽しんで取り組んでいました。アルバイトが楽しいと思い始めたのは、自分でいかに効率的に動くかを考えて行動するようになってからです。初めは先輩の指示に従うことで精一杯でしたが、次第に、どうしたら効率よく業務をこなせるかを常に考えるようになり、気がついたら、人の何倍もの業務をこなせるようになっていました。それが評価され、より多くの仕事を任せてもらえるようになり、自己効力感やたくさんのタスクをこなせることにすごく達成感を感じていました。

そんな中、大学3年生になり、就職か大学院への進学かを決める時期になりますが、メーカーの研究開発職しか考えていなかった私は迷わず大学院に進学しました。

私の就活

両親や祖父母の影響もあり、安定思考だった私は、地方公務員か、大手メーカーの研究開発職に就きたいと考えていました。

夏になり、いざメーカーの研究職について調べてみると、意外と局所の仕事であることに気づき、本当にやりたいことはこれなのだろうか?と疑問を抱くようになりました。研究職への期待感が薄れた私は、安定しているという理由から地方公務員への道を強く意識するようになり、公務員試験に向けた勉強にシフトしました。同じ研究室の先輩もほとんどが地方公務員になっていたので、それ以外の道をほとんど考えていませんでした。

しかし、大学院1年の1月頃、安定という理由だけで決めてしまっていいのか?と思い、自分が何が好きで、どうなりたいかを考え直すことにしました。そこで、一旦業界や職種を絞らず、色々な企業を見てみることにしました。

そこで興味を持ったのが「ビジネスをつくる」ということでした。今までの私を振り返ったとき、「自分で新しいことを考え、実行していくこと」が好きだった私は、やりたいことはこれだ!と確信が持てました。コンサルティング会社も視野に入れていましたが、新規事業の立案などの上流過程には関わることはできますが、実行のフェーズには関われないと思い、新規事業に力を入れている事業会社を中心に探すことにしました。

私のありたい姿

昔から漠然と仕事に熱中できる大人になりたいと思っていました。土日を楽しみに仕事するのではなく、仕事が楽しみになれば、そんな幸せはことはないと思います。

これまでの人生で熱中することができていた時は、自己効力感や責任感が伴っているとき、目的意識がはっきりとしているとき、自分のアイデアを形にしているときでした。なかなかやりたいことがはっきりしなかった私ですが、就活を通して自己理解が深まり、ようやく方向性を見出すことが出来ました。

ヘルスベイシスを選んだ理由

ヘルスベイシスはスカウトをいただき、目にとまった企業でした。新規事業に取り組みたいといっても、自分の興味のあることでないと熱量をもってやり遂げられないと考えていたので、社会課題の解決、なかでも少子高齢化に取り組んでいるところに興味が湧き、面談を申し込みました。

最初の面談ではいきなり代表との面談で驚きましたが、失敗してでも挑戦を後押ししてくれる環境にすごく魅力を感じました。また、少子高齢化という課題に本気で向き合っている姿勢に心を打たれました。

面談を通して、何度もお話をさせていただきましたが、その中で私の自己分析や言語化もしていただき、ぼんやりとしていた軸がはっきりと見えてきました。

・挑戦できる環境である
・成長のための主体的な思考と行動の数が多くこなせる
・スピード感を持って取り組める
・組織への介在度が高い

これらが私の求めている軸だと気づき、それが実現できる環境がヘルスベイシスだったので、入社を決めました。

最後に。就活生へのメッセージ


就活では周りと比較したり、周りの目を気にしてしまいがちです。私も実際そうでしたが、就活のゴールはあくまでも自分に合う企業に入ることです。他人と比べて、自分を見失ってしまわないことが一番大切なことだと思います。


中には、やりたいことなんてないという方もいるかもしれませんが、自分の長所や、行動の傾向に必ずヒントはあると思うので、自分だけでは見つからないときはたくさんの人と話してみることをおすすめします。(案外、自分の長所は自分では気づけないものだと思うので)新たな視点から見てもらうと意外な発見があったりします。

皆さんが納得のいく就活ができるよう応援しています!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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