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【新卒4期生】就活に窮屈さを感じた私が、「もっと自信を持てる」と思ってヘルスベイシスを選んだ理由

はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒4期生の花田絢美(はなだ あやみ)です。
この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシスに決めた理由をお話しします。

こんな方は、ぜひお読みください。
✔ 何者かになりたいと感じる方
✔ 自分に自信がない人
✔ 社会貢献がしたい、社会を豊かにしたいと思う方

最後までお読みいただければ嬉しいです。

<プロフィール>
名前:花田絢美(はなだ あやみ)
大学:秋田県立大学
見ていた業界:IT・不動産・人材
出身:秋田県
趣味:コーヒー、カフェ巡り

この記事では、おとなしく自分を出すことに不器用だった私が、
「誰もが地元を誇れる社会をつくりたい」
という想いを抱きヘルスベイシスの内定を得るまでの出来事をいくつか紹介します。

いわゆる「いい子」だった幼少期・小学生時代

私の家族構成は両親と兄弟の5人家族です。2歳下の弟と、4歳下の妹がいる3人兄弟の長女として育ちました。生まれは岩手県で、現在の住まいは秋田県ですが、ふるさとはたくさんあります。父親が転勤を伴う職に就いており、幼少期は秋田県のほかに青森県、東京、神奈川県など、様々な場所を点々と移り住む暮らしをしていたからです。私が5歳になる頃、父親の地元である秋田県に家を立てたことで、父親が全国各地に単身赴任をする形の家庭環境に変化しました。

生まれてから現在の実家に落ち着くまで少なくとも5回は引っ越しをしており、頻繁に変化する環境に置かれていた私は、あまり泣かずおとなしくて主張の少ない、手のかからない子供だったと母は言います。幼いながらにやや大人びた一面のある性格だった様です。また、喘息やアレルギー体質であったからか、走り回って遊ぶよりも1人静かにお絵描きや粘土で遊ぶことが好きなインドア派な子供でした。

母は虚弱でおとなしい私を心配し、1人でもたくましく生きていける体力と体を得られるようにと、私が5歳のころから水泳を習わせ始めました。水泳を始めたきっかけを作ったのは母でしたが、練習を重ねるごとに泳げる距離が増えていくことが楽しく、小学校に入学するころには、水泳に夢中でした。

小学生時代は、悔しい思いをたくさんした時期でした。

卒園した幼稚園と入学した小学校は少し離れたエリアにあったため、小学校は知っている生徒が少なく、クラス内には既に仲良しグループができあがっている状態でした。私の住む地域は田舎で子供が少なく、同級生20人1組のみであったこともあり、友達つくりには苦労しました。この頃の私はまだまだ人見知りが激しく引っ込み思案な性格で、言いたいこと、思うことがあってもうまく伝える方法が分からない。適切な表現で気持ちを伝えられずにクラスメイトを傷つけてしまったり、それが原因で仲間はずれにされたりなど、とにかく人間関係に悩み、悔しい思いや経験をたくさんしました。

幼稚園から続けていた水泳は、小学校生活を満喫できていなかった私にとって、楽しみな時間となっていました。4泳法をしっかりと泳げるようになった小学4年生の頃、もっと水泳を頑張りたいと考え、泳ぎを習うクラスから競技大会に出られる競技クラスへとレベルをあげました。競技クラスにあがり新たな友達ができたことで、水泳にはさらに夢中になります。のめりこみすぎて、テストの点数が急降下するレベルでした。あまりにも点数が悪く、「水泳を辞めさせるよ!」と両親に怒られて、テストのせいで辞めさせられてたまるか!!と泣きながら勉強したのが今でも記憶に残っています。


変わろうと決意した中学生時代

小学校での生活に満足できなかった私は、もっといろんな人と交流できる新しい環境に身を置くことで引っ込み思案で自信のない自分を変えたいと思い、中高一貫校への中学校受験に挑戦しました。中学校受験をすると言う選択肢は、友達から中学校受験という存在を教えてもらい、学びの環境を自分で選べると言うことに魅力を感じ挑戦することにしました。両親は急に受験を決意したことに心配そうでしたが、自分で受験すると決意したので、塾には通わず学校と家庭学習のみで自力で受験に挑みました。

己の実力のみで挑んだ受験にしっかり合格できたこと、新しいクラスの中で、初めての定期試験の英語科目で学年1位を取れたことが、成功体験として大きな自信につながります。自信のついた私は、今までにないくらい、学校生活も、水泳も、全力を注ぐようになりました。

そのころの生活は、毎日の学校生活に加えて放課後に週6回・2時間の練習、帰宅後は2〜4時間の勉強、朝5時から2時間勉強と言うように、狂ったような生活をしていました。毎日4〜5時間くらいしか寝ていなかったと思います。その他クラス委員長に立候補する等、根暗だった小学生とは別人のような生活をすることで周囲の人から評価してもらえること、努力するだけ学業成績や水泳のタイムなどで結果として見えることが、大きな充足感をもたらしました。

しかし、当然この生活は長くは続きません。中学1年の終わりころに、体を壊しました。水泳はカロリー消費が非常に大きいスポーツなのにも関わらず、摂取カロリーが少なく、低体重に陥り、クラス委員としての活動で人と人に挟まれることに大きなストレスを抱えてしまったことなどが重なり、肌はかさかさで、いつもけだるく、貧血で常に顔色が悪いなど様々な体調不良に陥ってしまいました。

体調を崩して初めて、こんなに頑張って私は何がしたかったのか?と疑問を持つようになりました。褒められたい、認められたい、人気者になりたい。小学校時代に十分に得られなかった承認欲求を満たすために、体を壊すまで頑張るなんてもったいないことしたな。と反省しました。

それからは家庭での勉強時間を減らして睡眠時間を確保し、1日三食きちんと食べるなど、ストイックになりすぎずほどよく頑張る生活に変えました。別にテストで一位じゃなくても死なないし、完璧な優等生じゃなくても全員から嫌われるわけではない、気楽に生きよう。と考えるようになりました。

この頃から、ワクワクすることにはなんでも取り組んでみようと考えるようになり、英語の弁論大会に出場してみたり父親の単身赴任先やフィリピンへ旅行にいったりなど、水泳と勉強に注力していた時間を減らし、いろいろな経験を積むことができた時間になりました。フィリピン旅行の際家族で滞在したホテル内の敷地が広すぎて迷子になるなどいろんな失敗もしましたが、充実した良い時間だったと感じます。

体調こそ崩してしまいましたが、様々なことに全力で取り組んだ経験は、中学卒業後にも大きな影響をもたらすバイタリティとなります。

初めての挫折と、大器晩成の高校生時代

高校は中高一貫校であったため、受験せずにそのまま入学し、水泳も継続して取り組みました。

水泳自体は中学の時と変わらず好きでしたが、選手歴が同級生よりも少なく、納得できる成績を納められていないことにコンプレックスを感じていた私は、高校受験でライバルが一時的に水泳から遠ざかる中、中高一貫で受験のない私はここぞとばかりに一層練習に励みました。

しかし、ライバルと対等に競えるレベルに到達した1年次の東北大会出場が懸かった大切な大会は、目標タイムに僅かに届かず東北大会を逃しました。出場できなかったのは所属するチームの中で私1人だけでした。ショックで、次大会への出場権をつかんだ同期達を素直に応援することができませんでした。

ただ、それが負けず嫌いな性分に火を付けた瞬間でもありました。課題を見つけ、ひたすら解決することを繰り返した2年次の夏、目標タイムを切り東北大会に出場を決めることができました。周りと比べていた劣等感、挫折した経験が報われた瞬間でした。

この成功体験は、「努力は報われる」あらためて、「報われるまで努力する」という私の信条となっています。また、引退するまでの10年間、もっと早く水泳を始めていたら、皆と対等に競えたのに。いろんな大会に出られたかもしれないのに。と悔しく感じることが多かったせいか、何事も早く取り組もう、思い立ったら行動しようというような意識が根付きました。

私は高校1年のとき、中学生時代の担任にあこがれがあり教師を目指していたので、大学に進学することは高校入学時から考えていました。水泳で根付いていた早く取り組む姿勢があったため、高校に入学してまもなく大学の説明会やオープンキャンパスに出向いたり高校生向けの教員実習プログラムに参加したりなど精力的に進路選択に向けた活動をしていました。

しかし、大学で学べること、教員を目指す学生を知れば知るほど、「なにか違うかも」と言う感覚が募っていきました。そこで気が付いたのは、“教師と言う職”ではなく“担任の人間性”にあこがれを抱いていたと言うことに気が付きました。進路希望が振り出しに戻ります。しかも、このことに気が付いたのは高校2年生の秋、受験シーズンまで時間がありません。自分が夢中になれることはなにか、必死で考えました。

そこでたどりついた答えは、「自分にとって当たり前にある物こそが、自分にとって大事なこと」と言うことでした。これは仲の良い友達に言われたことです。

自分にとって大切なもの、それは「食」と「その文化」でした。

中学生のとき、低体重で体調を崩した私に一番必要だったものであり、家族で食卓を囲む団らんの楽しさや、食材の美味しさを教えてくれたもの。また、私の高校には、外部講師を呼び秋田県について勉強し、課題解決についてプレゼンを行う「郷土学」と言う授業があり、そこで地域経済と地域活性化について学び、強い興味を持ったことで大学に進み「農業」や「経済・経営」について学びたいと強く思うようになり、現在所属する大学への受験を決めました。この時が高校3年生に進級する直前でした。

ただ、私は高校の文理選択を文系にしていたのにも関わらず理系の大学を志望すると決めたので、周囲の反発は少なからずありました。受験まで1年を切ったのに、これから理系科目を履修するのは現実的では無かったので、プレゼンが合否の大部分を占めるAO入試を受けることを決めました。

ここからは怒涛の日々でした。プレゼンは「高校で研究したこと」がテーマだったため、前述した郷土学で学んだことを強化する形で単独で県内農家さんにヒアリング調査にいき、よりリアルな農家の課題・現状などを研究し、ビジネス案の提案を発表し、無事合格することができました。

好きを追い求めた大学生時代

唐突ですが、私は吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」という歌が好きではありません。

私は田舎が、秋田県が大好きだからです。秋田県民の「秋田はなんもね(何もないよ)」という発言に対し、「本当に何もないのか?」と反感を持っていました。

「美しい自然も、美味しい食もあるのに、なぜ何もないと言うのか?」
「ありふれたものこそ魅力的なのに、どうしたら気が付いてもらえるのだろう。」
と考えるようになり、

「ありふれた物こそ魅力的であることを、どうしたら再認識してもらえるのか」と言うことが私の行動指針になっていきました。

「急速な人口減少、地域経済の衰退などから来る「あきらめの雰囲気」を少しでも和らげるために、なにかできることはないのか?」と言う一心で、地域活性化のために活動する学生団体やインターンシップに参加しました。市の観光協会と学生団体共同で県内外の観光客を周知するためのイベント企画・運営に携わったり、地元の飲食店や中小企業のSNS広報に挑戦したりなど、とにかく「何もない」に反発するように地域振興に関わる活動を行ってきました。

そのうち、大好きなコーヒーや勉強ししてきたことを活かした活動をしたいと思うようになり、SNSで自家焙煎コーヒーを販売する地域密着型の企業に連絡とり、3年生からインターン生として活動しています。現在は念願叶って地域密着型コーヒースタンドのプロジェクトマネージャーとして、スタートアップに挑戦中です。なかなか応募が集まらなかったり、資金的に自分でDIYをしなければいけない部分があったりなど大変な部分が多かったですが、何とかオープンにこぎつけました。

これらの経験から見える私の性格

上記の人物像をまとめると、以下の点が見えてきます。

  • 好きに一途
  • 困難なことや難しいことほど燃える
  • 挑戦することに躊躇がない

私の就活

  • 「誰もが地元を誇れる社会」をつくること
  • 理想の社会をつくるに足りる自分に成長できること

以上の2点を中心の軸として、2年生の冬から就活をスタートしました。当初はガクチカになりうる出来事はあれど、数値的な実績はなく自分に自信がなかったことに不安を感じ、自己分析に時間を掛けたかったので早期に就活を始めました。

実際の活動としては、開始~3年7月頃には、自己分析・企業の自己分析系イベントに参加し、7月~9月にサマーインターンの選考/参加しました。9月~11月に、企業説明会へ参加、早期選考をはじめていきました。

志望業界に特にこだわりはなく、事業を見て社会貢献がダイレクトにできる、地方のために活躍できるなどときめきを感じる企業を、なぜときめくのだろうか?と分析していくというような探し方をしていました。

3年の夏頃までは自分に適性がある業界・業種を選ばないといけない弱みよりも強みを活かさないといけないと思い込み、就活って思っていた通りしんどいなと感じていました。自分を理解すればするほど、どの業界業種も自分には適性が感じられない、私って社会人になれるのだろうか?とどんどん負のループにはまってしまって、落ち込んでしまうときもありました。面接を受けている私は取り繕ったつまらない自分であって本当の自分ではないと感じ、人生を大きく左右するかもしれない就活にまったく身が入らないことに、大きなフラストレーションが溜まっていきました。

そんな時期に、就活プラットフォームを通じてヘルスベイシスの2daysサマーインターンシップのオファーを頂きました。就活に退屈さを感じる今を変えるきっかけになればという気持ちで、インターンシップの選考を受けることを決めました。

サマーインターンシップは、チームで協力して2日間を通して事業案を練り、最後に発表して講評を頂くという内容でした。リアルな条件下のもと協力してアイディアを出し合い形にするワークはとても難しかったですが、己を見直す有意義な体験を得ることができたと感じます。

インターンシップに参加したことで課題点をクリアにできたことで自分を見直すきっかけとなり、就活に感じていた「退屈さ」から抜け出すことができたように感じます。加えて、インターン内で交流した社員の方や24卒のインターン生の多角的な視点や分析力の高さに憧れを持ち、私もこんな社会人になりたい、追いつきたいと思い、早期選考に挑戦することを決意しました。

早期選考の面接はお決まりの質問に定型文で返すようなものではなく、カジュアルな面談形式で行われました。私のたどたどしい話の中から悩みを引き出し、一緒に方向性を考えたり言語化を手伝ってくれたりしました。

将来像=どんな具体的なスキルを体得していたいかだと思い込んでいた私に対して「何ができるのかではなく何をしたいのか」と問う社員の方の言葉が一番印象的に残っています。就活の型にはまりたく無いと思っていた私も、無意識のうちに型にはめこんでいたことに気が付き、もっと素直でいよう、自信を持とうと思えました。

私のありたい姿

今までの自分を見つめ直すと、常に漠然とした未来への不安や自分の欠点がまとわり付き、それを解消するために行動をおこす。そんな人生を送って来たし、きっとこれからもそうなんだろう、と思います。

自分のレベルがあがるほど大きな壁にぶち当たり苦悩するのだと思いますが、いつまでも自分に満足せず、そんな状況こそ楽しんで取り組める、いつまでも挑戦的な人物でありたいです。

私がヘルスベイシスを選んだ理由

大きな理由としては、visionに親和性を感じたことです。日本一少子高齢化が進む秋田県で育った私こそ、ヘルスベイシスが掲げる「少子高齢化」と言うワードを無視すべきではない。その解決が困難であることを痛感してきた身であるからこそ、面と向かう必要があると思いました。

また複数回の面談を経て、挑戦したいことに素直に取り組める環境に魅力を感じたこと、数年後の自分はどんな人間なっているのだろうか、いい意味で予想がつかないことにワクワクしたことが、入社を決めた理由です。私のありたい姿を一番体現できそうだと期待しています。

就活生へのメッセージ

どうか素直でいてください。特に、自分を抑えたり押し殺したりしないでください。

等身大の自分を理解し伝えることが、企業とのミスマッチを軽減し、満足度の高い就活にするコツです。自信のなさ、未熟なところをひっくるめて認めてくれたのが、私にとってはヘルスベイシスでした。ほかにもそんな企業が必ずあると思います。

名の知れた大学でもなければ、有用な資格も持ち合わせていない平凡な学生であった私が納得できる企業と出会えたのは、愚直に対話をしようと心掛けていたこと、そしてヘルスベイシスの社員の方々が真摯に話を聞いて常に助言をくれたことが大きいと考えます。

ただ、素直になれといわれてもすぐにできるものではないと思います。そんなときこそヘルスベイシスの社員や内定者とお話することをおすすめします。傾聴力のある方が多く、いい意味で土足で踏み込んで来てくれるので、こちらもおのずと自然と素直に話すことができます。

もしこの記事を読んでみて、ヘルスベイシスのカジュアル面談を受けて見ようと思ってもらえたらうれしいです。使える物はなんでも使う勢いで来てください。

皆さんが自分に合う企業に出会い、心から満足できる就活になるよう応援しています!


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