アーティスト平川紀道氏、キュレーター能勢陽子氏、UD代表川口竜広のスペシャルインタビュー
作品《c》の点灯とともに営業を開始した、アンダーデザイン名古屋オフィス。これまでにないユニークなオフィスは、ビジネスやアートの分野に対してどのような意義をもち、どのように影響していくのでしょうか。道行く人々の注目を浴びる真新しいオフィスに、《c》の作者であるアーティストの平川紀道氏と、豊田市美術館の学芸員であり「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーター、勢陽子氏をお招きし、代表取締役社長の川口竜広と3人で対談を行いました。
会社のリブランディングプロジェクトの中で 始まったアートへの取り組み。
川口 この会社をリブランディングする中で、アートと共存する環境で働きたい、会社の中にアートを組み込みたいという思いがありました。我々はITシステム構築を得意とする会社ですから、アートの中でも電子デバイスやプログラミングを使ったものとは親和性があります。そこで、今日もここに来ていただいた平川さんにお願いしたのです。アート作品を飾っている会社はよくありますが、社長の趣味で飾っているだけでは一方通行になってしまいます。アートと働く人との間に関係性が生まれてこなければダメだと思うのです。オフィスというのは無機質なものですが、そこにアートがあれば変わってくる。アートの中で働けば、何か活性化されるものがあるはずなんです。
平川 オフィスという空間には、パブリックスペースとしての側面があると思いますが、そのような場所で展示するための作品はこれまで作ってきませんでした。依頼があった当初、既存の作品をオフィスに置くことはできないとお返事しました。僕の作品の場合、展示する環境が限定されるものが多いですし、独立して展示される前提で作っているので、そういった意味でも難しいと感じました。ただ、初めからオフィスで展示されることを前提とした新作であれば、その環境や文脈を考慮したうえで、何かを作ることができると思いました。活性化されるかどうかは受け取る側の問題なので僕には分かりませんが。
企業とアートの新しい関係、これまでにない展示環境。
能勢 先程、オフィスの外から拝見させてもらいましたが、オフィスに置くことを前提として制作された作品として、素晴らしい解が与えられていると思いました。オフィスにいると環境の変化はわからないですが、平川さんの作品は外界の変化を反映して、一度も同じ像を結ぶことがありません。たまたま外を通りかかった人も見られるのがいいですね。私が普段働いている美術館は美術鑑賞のために作られた空間ですが、この作品は働いている人たちの後ろに作品があって、それらの人たちもいる空間を含めた全体として作品を観ることができる。この眺めは新鮮に映りました。企業がコレクションした作品をオフィスに飾ることはありますが、こうした形でコミッションをお願いするということは、日本ではあまりないのではないでしょうか。
川口 外から鑑賞できるようにすることは最初からのアイデアです。社員が帰ると、暗闇の中でこの作品が光っている状態が外から見られます。それも、なかなか素晴らしいですよ。夜10時まで楽しんでもらえます。
アートが愛好家だけのものになっているのはもったいない、アートを楽しめる場所が少ないのはもったいないと思っています。この作品がここにあることで、美術館に行かないような人たちの目にも触れることになります。そうすれば、新しい発想や見方でアートを楽しむ人が増えるんじゃないでしょうか。
平川 「オフィスに置く作品を作る」ということの裏を返せば、美術館に置かれる作品を作るのとは違うアプローチができるということです。美術館にコレクションされるものには、“時間が止まったもの”と言っていいものもあると思うのですが、オフィスという環境への常設作品ですから、ある時点における作家の判断で一意に固定された作品ではなく、そこで働く人たちだけが気づくような揺らぎや、長いスパンの変化を伴うものにできないかと考えました。外からも見えるので、ある種の公開実験、もしくは社会実験的な位置づけもできると思います。
安定を拒み続ける作品。
川口 この作品のいいところは、常に変わり続けていることです。もしもプログラムされた同じ映像がループしているだけならおもしろくない。気象情報に連動して変化する“生きている作品”だからこそ、人に働きかけてくるものがあります。作品が人を活性化したり、インスピレーションを与えたりするものにしたいと平川さんに話しましたが、見事にカタチにしてくれたと思います。
平川 気象情報のように、変化のあるデータを使っているということは、僕自身にも、いつどういった表情が現れるか、完全には分からないということです。アーティストが作品を完成させるには、様々なことを決めていかなければならない。しかし、この作品では、その責務を放棄していると見ることもできます。リアルタイムの情報を取り入れるということは、「作品が生きている」といった分かりやすさだけでなく、「コードというメディアに作家性を外部化することはできるのか?」といった、非常に繊細な挑戦的意味も孕んでいます。
川口 天気や季節、月の満ち欠けなど、人間は自然と連動しています。単にプログラミングでかっこいい映像を作ったのではなく、自然を映像化していることが素晴らしい。見ていて心地いいのは、自然の中にいるような感覚になるからでしょうね。朝、昼、夜と、天気が変われば映像も変わるし、飽きることがない。仕事をしていて、ふと顔を上げたときにリラックスしたり、いろんな気持ちを感じさせてくれたりするのは、アートが日常にあることの意義です。作品が完成して改めてそう感じました。
能勢 絵画という媒体は、作家の主観がどうしても強くなるもので、見る人はそこに自分の視線を重ねます。ところが平川さんの作品は、平川さんの主観を超え、さらに人間中心主義的な視点も超えて、巨視的なものを見せてくれている。宇宙的な広がりの複雑さを体感的に分からせてくれるんですね。平川さんは、科学者と共同研究もされていたりしますよね。
平川 Kavli IPMUでの滞在制作や、ALMA望遠鏡の視察などに行きました。よく、アートとサイエンスの融合といったような言い回しを耳にしますが、融合という言葉は魅力的であると同時に妥協的でもあり、危険な言葉です。ただ、重なりあう領域はあるはずですから、そこへの興味はあります。今回のケースも、アートとビジネスが融合しているわけではなく、この場で重なり合っているということだと思います。ただ、能勢さんが最初におっしゃったように、外部からは、その状況自体が作品のようにも見えるということはあるのかも知れません。
日常のオフィスは、
巨視的/異次元的なものとつながるか?
能勢 いわゆるオフィスという日々の営みの中に、そことリンクしながらももっと広大な視野を持った作品があることは、長い目で見ると大きな意味を持ってくると思います。平川さんの作品は、すぐに理解できなかったり、言葉にできなかったりするかもしれませんが、何か宇宙的な広がりに触れているような感触があります。
平川 計算がもっている質感というものがあります。昔の図鑑に載っていた銀河は、イラストレーターが描いたものです。それに比べると、最近のシミュレーションによって描画された銀河は、根本的に質感が違う。それが、計算の質感なのではないかと思います。あるいは、作家の主観性というトップダウンではなく、ボトムアップ。構造そのものから立ち上がってくる何かとも言えるでしょう。論理的記述は簡単だけど、感じられるものは言葉にできない。そこが重要なのかも知れません。
川口 実際にこの作品を飾ってみると、異次元につながっているような感覚があります。これがなければ、ただのお洒落なオフィスでしかない。オフィスというのは閉じられた空間ですが、この作品があることで未知の新しい世界へ広がる空間になるのです。本当に不思議な入口の前にいるような感じがします。
能勢 オフィスにアートを飾ることには確実に意味があります。作品を見たことで仕事のアイデアがバッと閃くようになるかどうかは分からないけれど、この作品は日常を振り返らせ、世界を巨視的に捉える視点を与えてくれる。それはこの空間で働いている人たちにとって、長期的に意義があるはずです。