こんにちは!株式会社LOHASTYLE 採用広報部です。
今回は、中途で入社したWEB事業部の期待の星 竹内にインタビューを実施しました!
プロボクサーとしての珍しい経歴を持つ彼がなぜLOHASTYLEに辿り着いたのか。彼の歩んできた過去と、仕事への想いについて聞いてきました!
何事も楽しむ気持ちを忘れない彼の想いを是非ご覧ください!
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|まずは簡単に自己紹介をお願いします!
竹内と申します!
所属しているのはLOHASTYLEのWEB事業部です。
入社したのが2023年10月なのでまだ5ヶ月目くらいです!
趣味はもともとボクシングをやっていたので、格闘技を見るのが好きです!
プロボクサーへの道
|では早速、幼少期について教えてください!
今も変わってないんですけど、小さい頃から言われていたのは話すのが好きで、人見知りとは真逆の性格だねと。
父の影響で小学校では6年間極真空手をしていて、空手が楽しいというより空手で新しい人と知り合うのが楽しいという気持ちで続けていました。
小学生だと尚更、殴られて痛いのは嫌いと思っていたのであんまり空手自体が好きなわけではなかったです(笑)
なぜ6年間も続けられたのかと今振り返ってみると、人と知り合って話すのが楽しいし、それ以外の習い事の選択肢をあまり知らなかったというのが大きいですね。
小学校を卒業して、中学校に上がるとハンドボール部に入部しました。
これも実は父がハンドボールをやっていたというのが背景で、結構父の影響が強かったように思います。当時はそこまで父に対して傾倒しているわけではなかったのですが、単に身近にあったスポーツだったからだと思います。
でもそこそこ長く続けていたのですが、その理由はやっぱり「人」で、
友達と会うのが楽しいというのが一番ですし、その先にスポーツ自体が楽しめたという気持ちがありました。
仕事もそうですし、何事もそうですけど楽しむ気持ちを持つことはとても大事なんだなと昔から感じています!
高校に上がってからボクシングを始めたんですけど、そこからはずっとボクシング一筋で、高校卒業後にはプロにもなりました。
大学にも行っていないので、勉強をしていたというよりかは、ボクシングにずっと打ち込んでいた時間が長かったです。
ボクシングを始めたきっかけは、3つ年上の兄なんですけど、その兄には、思春期によくあるような喧嘩とかで一切勝てなくて、ボクシングを始めたら勝てるようになるんじゃないかっていう本当に子供っぽい理由なんです(笑)
初めはプロの道は考えていなかったんですけど、やりこんでいくうちに楽しくなっていって、奥の深さもあって、どうやったらパンチを貰わずに済むかとか勝てるかとか考えるようになって、気づいたら「こういう選手になりたい」というイメージも持つようになって高校卒業後にプロデビューを目指しました。
プロデビューしたのは20歳の時。
当然それだけではご飯が食べられなかったので、知り合いのツテを頼り、建築関係の仕事をしながらボクシングに打ち込む日々でした。
|プロの道に行くという決断に対しての葛藤はありましたか?
今だったらすごい将来のことを考えてとか葛藤していたかもしれませんが、高校の頃は、「自分ならチャンピオンになれる」と本気で信じていたので、この道で生きていけるのかという葛藤は正直ありませんでした。
ただ、それだけで食べていくのはかなり厳しい世界で、ボクシングだけで生きていくのは一握りの人間なんです。
だから建築の仕事も並行してやっていたのですが、建築を選んだ理由としては試合の日程などの融通が効くところがいいだろうということで、知り合いが経営している会社という目線でその仕事にしました。
それこそ、仕事はなんでもよくてボクシングができれば、ITだろうと飲食だろうとなんでもやっていただろうなと思います。
ただプロとしての活動期間は短くて4年ほどでした。
首のヘルニアになって、ドクターストップがかかり、突如としてプロの道を諦めなければいけない状況になったんです。正直当時は、ボクシングしかやってこなかったので、この先どうしようと考えた時期もありました。
私自身、切り替えは早い方だったので、なってしまったことは仕方ないと受け入れて、上京してからボクシングジムのトレーナーになりました。これが第二のキャリアです。
歩み始めた別のキャリア
|トレーナー時代について教えてください!
初めのうちはトレーナー業で、トレーニングを教えて楽しんでいただくのがメインだったんですけど、入社してから1年くらいのタイミングで大宮店の立ち上げに携わり、その店舗のマネージャーを任されました。
接客ももちろんですけど、ジムの売り上げをどうしたらあげられるか、退会率をどうしたら下げられるかというビジネス寄りのことを考えるようになったのはこの頃からです。
マネージャーとしての体験を通して感じたのは、トレーナーの時は目の前のお客様にどう楽しんでいただくのかしか考えてなかったのですが、マネージャーとしての立場を担ってからは、店舗としての成績を意識し初めて、楽しませることは退会率を下げることに繋がるよねという感じで、今までの行動が経営部分のどこに繋がっているのかというのを自分なりに考えるようになりました。
それからは、YouTubeで店舗経営に関する動画とか、売り上げを伸ばす方法を沢山見て、トライアンドエラーを繰り返す日々を過ごしました。少しずつ目に見える成果へとつながっていくことが嬉しくて、仕事に夢中だったなと、客観的に振り返って思います。
|その後のキャリアはどのように歩まれたのですか?
マネージャーになって以降、ビジネスの知識を独学で身につけていく中で、
WEB市場の可能性の大きさに気づき、自然とWEB業界で働きたいなと漠然と思うようになりました。
惹かれた要因としては、ポスティングだったりとか、チラシ配りとかアナログな施策もありますが、効率だったり費用対効果などを考えた際に重要になってくるのがMEO対策だったり、メディア立ち上げだったり、リスティング広告だったり自然と結論がWEBに辿り着くなと思ったこと。
あとは、これまで全く触れてこなかった領域に対してのワクワクしたからです。
興味を持ったら動くのが自分なので、早速WEBの基礎を学ぶための講座に申し込みました。
本職と並行して、WEBの基礎から応用までの勉強を約1年継続して、これならいけるなと思ったタイミングで、WEB会社に転職。
最初はコーダーとして日々サイト構築のためのコードを書き続けていたのですが、その転職先で出会った社長さんに「こんなに話せるのならコーダーはもったいないよ」と言われ、そこで初めてディレクターという仕事を知り、教えてもらいながら始めていきました。
|チャレンジしたからこそ気づいたこととかありますか?
業界知識はあまりなかったので、当初のイメージはパソコンをカタカタしていて人とあまり関わるイメージをもっていなかったのですが、ディレクターになってみて思うのは、どんな仕事も人とのコミュニケーションだったり関わりだったりはとても大事だなということです。
当時はディレクター以外に営業も行っていたので、今まで培ってきた「人と話す力」というのはWEB業界に入ってからも役立つんだなと感じました。
現在に至るまでWEB職として働いた会社は2社で、1社目は営業兼ディレクターをしていたのですが、今後のキャリアを考えた時にディレクターとしての仕事に特化していきたいと思ったので、ディレクター業務に100%リソースを注ぎ込める職場に転職をしました。
そのような想いで転職した2社目では、希望通りディレクター業務に打ち込むことができ、誰もが知るような有名企業様との案件も多かったのですが、自分のクリエイティブやアイデアよりも、コツコツと進捗管理を求められる働き方にギャップを感じてしまい、再度転職を考え始めました。
そんな時に出会ったのがLOHASTYLEだったんです。
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続く