【取材前編】29歳までのみちしるべ - プロマジシャンGO! 銀座バー経営者(My Future Campus様) | ファイブエンターテイメント株式会社
先日、My Future Campus (マイナビ)様より、オーナーマジシャンGO!が取材を受けました。以下、本編を公開致します。 ...
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先日、My Future Campus (マイナビ)様より、オーナーマジシャンGO!が取材を受けました。以下、本編を公開致します。
このページは、【取材後編】29歳までのみちしるべです。
【取材前編】はこちら!▼
—いよいよプロのマジシャンとしての人生が始まるんですね。
東京で知っている地名は、漫画で読んだ葛飾区しかなかったので、とりあえずそこで安いアパートを借りました。隣の家のマナーモードが聞こえるくらい壁の薄い部屋です(笑)。そして、大きな紙を名刺サイズに切って、こう書きました。”マジシャンの GO!です。1回1万円でマジックを披露します。腕には自信があります。連絡ください”。それを駅前で毎日配って、とにかく連絡を待ちました。
でも、まったく連絡が来なくてね(笑)。生活は苦しかったですよ。パン屋さんでパンの耳を分けてもらってしのいだ時期もありました。焼き鳥屋さんにはタレを分けてもらったなあ。でも、アルバイトは一度もしませんでした。「僕はマジシャンで食べていくんだ」と決めたのだから、他のことには頼らない。そこには、プロとしてのプライドがありました。
—つらい下積み時代という感じでしょうか
確かに大変ではありましたが、僕は努力をするのが好きだったんです。それに、物事を長い目で見ていましたね。名刺配りだって「俺、こんなにすごいのに、なんでこんなことしなきゃならないんだ?」という気持ちにはならなかったです。アメリカで教わった時と同じ。いきなりすごい所には飛べません。一段ずつ階段を登って行けば、次の景色が見えてくるだろう、だから必要なことだと思っていました。
—初仕事のことは覚えていますか?
忘れません。名刺を配り始めて1ヶ月半。「居酒屋で、会社の集まりで飲んでるから、マジックを見せてくれよ」と電話を受けたのが初仕事です。そこで200パーセントの力を出して、できるマジックは全て見せました。お客さんたちはものすごく喜んでくれて、ぜひまた来てほしいと依頼されました。「その時は2万円ですよ」と交渉すると「それでも安い、また見たい」と何回も呼んでいただけて。今でもその方はお店にご来店くださるんですよ。僕にとっては本当に大切な人。あの時の恩返しができるようにと頑張っているところもありますね。
—そこからは軌道に乗っていったのでしょうか。
当時の一番の営業先は、マジックをしに行ったお店でした。そのお店にいる他のお客さんにも、マジックを見せて「あなたの会社にもマジックを見せに行きますよ!」と宣伝しながら、少しずつお客さんを増やして行ったのです。そうして徐々に仕事を増やしていくと、当時のアパートは家賃が4万円だったのですが、それをギリギリ払えるくらいになりました。そこで、今度は家賃8万の家に引っ越したんです。当然、暮らしはまた厳しくなります。
でも、「僕は、みんなにはできへんことでお金を稼いでいる。だったら、本当なら同じ年のサラリーマンよりもお金を稼げるはずや。8万の家にも住めるはずやし、月収が20万を切るはずもない。やっていけなかったら、やめるしかない」という感じで、自分を追い込みました。寝ていられないですよね。「今月いくら足りない!追い出される!働かなあかん!」って。そしてまた、8万円の家賃でやっていけそうになったら、16万円の家に引っ越して。その4年後には32万円と……どんどん上げていきました(笑)。
—どうして、そんなに頑張れるのですか?
まず、第一に絶対にうまく行くという自信があったからですね。あの人がうまく行くなら、俺もいけるだろうって。今の僕にはチャンスが少ないだけだから大丈夫だと信じていました。それから、自分を甘やかすのが嫌なんです。自分にプレッシャーをかけて、こんなところで甘んじるわけにはいかないって。常に自分に課題を与えるようにしながら、全力で取り組んで、上を目指し続けてきました。
―そこから、銀座にお店を構えることになったきっかけは?
27歳くらいになると、全国津々浦々から声がかかるようになっていました。47都道府県制覇して、人気も出てきた頃、何人かのお客さんに「GO!さんのマジックって、どこにいけば見られるの?」と聞かれるようになったんです。それまでは、電話で呼ばれたら、行く。ずっと「待ち」のスタンスでマジックをやっていました。でも、日本のど真ん中に自分の拠点をつくれば、全国からお客さんを呼ぶことができる。そう思ったら、自分の店を出したいと強く思うようになりました。
ただ、僕の場合、目標を決めると言ってもがむしゃらに頑張るわけじゃないんですよ。それを達成するには具体的に何が必要なのかを、分解して行動を起こすようにしています。この時も、銀座と決めたら、家賃はいくら必要で、それを何歳までに叶える、という細かいところまで決めました。そして、いくつかのマジックバーに修行に行かせてもらい、マジック以外の店舗運営の経験もさせていただきました。そして、ある程度の資金も貯まった段階で「よし、自分のお店出せそうだな」と銀座に「BarⅤ(ファイブ)」をオープン。32歳の時です。
今では2店舗目も構えて「大切なお客さんの、大切な人を連れてきてもらえるお店」として完全紹介制のマジックバーを運営しています。でもじつはね、2店舗目は悪戦苦闘しているんですよ。決して順調じゃない。ただ、それが今はとても楽しいですね。これを乗り越えたら、また新しい景色が待っていると思っているから。
—うまくいかない時をも楽しむ心の余裕……。GO!さんなら、どうにかしちゃう気がします。今日はありがとうございました!
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