コンピューターの専門学校を卒業後、中小企業向けのオフィスコンピュータのプログラマからSEに従事、その後もアミューズメント企業で社内管理SEを務め、2005年に有限会社ヴァリエを立ち上げた久保社長。
実は勉強が大嫌いで、学生時代は難しい問題に直面すると『これを解いて何になるんだ?』と手を止めていましたが、ヴァリエを立ち上げてからは『これを解いたらお客様の喜ぶ顔が見られる』という一つの答えに辿り着いたそう。2020年には5年後(2025年)の社長卒業を宣言。卒業を目前に控えた今、考えること、そしてこれからの未来の話をお話いただきました。
――2020年に「2025年・社長卒業計画」を宣言されました。なぜ卒業を?
当時は自分の店を持ちたかったんです。例えば、川沿いの景色の良い場所にあって、ヨーロッパで買い付けた小物を並べて、仕事をできるスペースもあって、お客様とゆっくり話せるカフェも併設されているような…楽しそうでしょ?(笑)
そもそもずっとSEとしてやってきて、ヴァリエでもWEB制作を行っているのに、今までの人生で一度も店舗運営をしたことがないのは説得力にかけるんじゃないかという想いがずっとあって。
――お客様の本当の気持ちを理解できていないのでは、と。
僕がヴァリエを立ち上げたのは、お客様にとって“本当に必要なもの”だけを提案したかったから。システム開発・販売をしていた時に結局は“会社が売りたいもの”を売らなきゃいけないということに葛藤がありました。もちろん誠実に仕事はしていたけど、どこかでお客様を裏切っている気持ちがあったんです。その後、僕自身がシステムを買う立場になったら、やっぱり『それを売らないといけないから提案してるんじゃないの?』と思うことがあったんですよね。僕は本当に必要なものだけを提案したいし、必要じゃないものは必要ないと言える仕事がしたかった。
ヴァリエを立ち上げて2025年で20年。その節目に、自分の店を持つことでもっとお客様の“本当に必要なもの”を知りたくなって、僕がいなくなってもしっかり会社が回るようにメンバーを育て上げるのに必要な時間として5年という期間を設けました。卒業後、お店を開いた経験を活かしてまた仕事をして、ヴァリエのメンバーと卒業した僕と、どっちが良い仕事をしているか勝負をしてみたかったんです(笑)。でも、今は少し気持ちが変わってきました。
――宣言した2025年を目前にひかえ、気持ちに変化が。
今思えば、卒業宣言をした当時は自分の中で方向性が定まっているようで、定まっていなかったのかもしれません。まだ自分自身がプレイヤーとして、やりたいことや思い描くことがたくさんあった。この5年間で、それらをやりきったような気がします。やりきったことで新たな景色が見えてきました。これまで、できあがった成果物に対して僕もお客様も「うんうん、こんな感じね」と、なんとなく納得している感覚があったんですよね。でも最近になって、それがめちゃくちゃ悔しくなってきた。
――反骨精神が沸々と?
ヴァリエという会社が船だとしたら、僕は船長。「これが僕のヴァリエ号や!」と本当に胸を張って言えるだろうか?と考えるようになりました。海に出て、豪華客船とすれ違った時、負け犬の遠吠えみたいに「あんな派手な船、ナンセンスだ」なんて言いたくない。豪華客船になりたいわけじゃなくて、豪華客船が停泊できないような小さな港にも行けるような小回りの利く船でありたいなと。卒業して自分の店を持つ前に、そんな船を完成させたいと思っています。
――だから求人に力を入れ始めたんですね。
今のメンバーはもちろん頑張ってくれていますが、新しい人が入って新しい風が吹くことでさらに良くなるし、きっと楽しくなる。例えば「もっと変わりたい、成長したい」と思っているメンバーがいたとしても、いきなりひとりで空気を換えるのは難しいんですよね。新しい人が入ることで、新しく変わった流れに乗る方が簡単なはず。実際、もうそういう風に変わり始めているように感じます。
――会社が変わり始めて、久保社長自身に変化はありましたか?
「言いきれる」ようになってきましたね。前はもっと「これもいいけど、あっちもいいな……」と迷いがあったんですが、今はそれがなくなりました。卒業を宣言し、自分のゴールが見えてきたことで選択肢が減ったというか、「これ!これがいいねん!」と言いきれるようになりました。もう終わりが見えているのに、たくさんの選択肢を抱えて「どうしよう」と悩んでいる時間はもったいない。「この道を走ります」と言いきることができたら、きっと自分のお葬式で「こういう人だったね」と皆に笑って話してもらえるんじゃないかと思うんです。2025年に本当に卒業できるのか、今は正直わかりませんが(笑)、「これが僕の人生です」「これが僕のヴァリエ号です」と胸を張れるようにやっていくつもりです。