貿易の歴史
かつて金と塩が等価で交換されていた時代があった。とんぼ玉と奴隷が交換されたことさえもあった。その時代や社会通念によって現在とはかけ離れた価値観によって物の交換、つまり「交易」がなされていたのである。そもそも交易とは何であろうかと考えるに、つまりは等価の価値の交換、言い換えれば互いに合点のいく形で物と物、金銭と物、或いは無形の何かを交換する行為なのであるが、それを外国と行う場合に「貿易」と呼び、その際、商品を送り出すことを「輸出」受け入れることを「輸入」と呼ぶことになっている。貿易は異なる国の間で行われる商品の売買であり、それにより互いに利益を生み出すことが重要なのはいうまでもないが、それを通じて行われる異文化と異文化の交流、異なる慣習や言語の交わりによって互いに生じる変化にこそ貿易というビジネスの醍醐味がある。異文化に触れ、その怪しさや非日常に違和感や畏怖、或いは畏敬などを感じながらもその距離を縮め、差異を埋め、時には取り込み、自らの世界観といった観念を作り上げていくことで互いの文化の多様性を生み、それに歌や芸術、文学などといったものも交わりながら、貿易は発展してきたのである。ただ良いことばかりでもなく、遠距離貿易がペストを媒介し蔓延させたことで、中世ヨーロッパや東方地域の人口を半減させ所謂「暗黒時代」の引き金となったこともまた疑いようのない事実である。アダム・スミスの謂うように、人間には「ある物を別の物と取り替え、引換え、やりとりする性向」が本質的に備わっているのかもしれないが、ただの物質面での「交換」に過ぎないのであれば、古来人々が生命を賭してまでそれに臨む価値もなかったのではないか。豊かに生きる為に、或いは生存競争に生き残る為、盛んに余所の文化を取り入れては変化を遂げてきたのではないかと考えられるのである。
サハラ砂漠では、古来、世界遺産トンブクトゥとタウデニ岩塩鉱の間を「隊商」と呼ばれるラクダのキャラバンが、毎年2400kmもの距離を六ヵ月かけて塩を運ぶ。タウデニでは今でも塩が貨幣の役割を果たす。こうした交易路には、バザールやスークが発生し、その側には「キャラバン・サライ」と呼ばれる隊商宿ができ、これがまた文化の交流点ともなる。「バザール」の原意は、「(物の)値段の決まる場所」で、元来バザールには定価はなく、商人達が互いに合点のいくところで値を決めてきたのである。「スーク」は市場を意味し、(語源は、送る、運ぶ、手渡すという意味の動詞)元来、キャラバン(隊商)の通る街外れに定期的に立つ交易の市を指し、それは祝祭の場でもあり、部族紛争のときも中立性が担保されていた。ほかにも塩、香辛料、乳香の交易路など地域により様々な交易路があり、またそれぞれに違ったバザールやスークが生まれたのである。また、砂漠では、長い道程に水が不可欠な為、オアシスとオアシスを繋ぐかたちで交易路が形成されていった。かようにかつては栄華を誇った数々の交易路や交易拠点も、便利な交通手段の発達とともに衰退していった。今もそうしたオアシスは、賑やかであった当時の痕跡や遥か遠くの文化の足跡を残しながらひっそりと砂塵の彼方に佇むのである。
貿易という仕事
「貿易」という「仕事」に持つイメージとはどういったものであろうか。飛行機を乗り継ぎ、華麗に世界を飛び回るビジネスマンであろうか。昔ながらの汽船は想像しまいが、船で遥か遠くの海の向こうへと渡る商人の姿を想いうかべるだろうか。実際には、ここまで交通手段やインターネットが発達した現在の日本では、世界の国々と容易につながることが出来るため、あらゆる業態が商社、小売、卸、メーカーの区別なく世界と貿易を行っている。さらにインターネットの飛躍的な普及により格段に手続きそのものは簡略化され、個人による小口の輸入もまた格段に容易になっている。 輸入にも様々な形態があるが、1963年国連貿易開発会議で「開発輸入」という概念が提唱された。これは先進国が、開発途上国に資本や技術を供与し、輸入国の仕様、需要に合うように開発し、その生産物を輸入するものであるが、途上国にとっては、未開発の資源を生かすことができるうえ、様々な技術やノウハウも習得でき、雇用の創出、収入基盤の創出につながる。一方、輸入者側は原材料や人件費などのコストが軽減でき、自国のマーケットに合った製品を安価で購入できるなどのメリットがある。海外ですでに……
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