第一話 『上陸』
父の遺言によりウガンダのビクトリア湖に浮かぶ、ブッシ(Bussi)島のジャリ(Jali)村に 640エーカーの土地を譲り受けたことを知った モーゼス(Moses Kibuuka Muwanga) が、初めてその地を踏んだのは1995年のことだった。モーゼスは1965年ウガンダに生まれ、幼くして資産家に引き取られエジプト、フランスへと移り住み、映像作家を生業とし、英国に妻子とともに暮らしていた。木製のカヌーを漕ぎ、パピルスが群生する密林の狭間を掻き分けてようやく辿り着いたジャリ村でモーゼスの眼前に現れたのは、赤い土と深い森の緑、そしてたわわに実る多種多様な果実であった。
「アフリカの真珠」と呼ばれるウガンダを象徴するかのような美しい小島に暮らす村の住人は300人程度でそのほとんどが不法定住者、つまり法的に居住の権利を持っておらず、96%以上が貧困層であり、未亡人や孤児の生活困窮度は高く、栄養失調が蔓延し、30%の児童が発育障害、または低体重であり、乳児死亡率は11.2%に上り、平均寿命は42歳という有様であった。ウガンダのGDP546米ドルに比して、jali村はそれを遥かに下回る112米ドル。しかしこの地にはなにより豊かな農業資源があった。パイナップル、マンゴー、バナナ、ジャックフルーツ、パパイヤ、コーヒー、キャッサバ等々ほぼ自生の状態で所狭しと実っているのである。 それまでは農業従事者の98%が自給自足農業であったが、農業経営基盤の創出・強化により、彼らの収入源が生まれ、生活基盤とすることができると確信したモーゼスは、長兄の エフライム(Ephraim Muwanga)と共にこの地で住民主体の『JALI ORGANIC ASSOCIATION』を立ち上げた。この長兄・エフライムもまた若くしてエジプト、キューバ、タンザニアと移り住み、農学者として経験を積み上げ1984年ウガンダに帰国したという経歴を持つ。 世界一美味しいと言われるウガンダのパイナップルに輪をかけてここジャリ村のそれは美味しいと確信出来てはいたが、土地の肥沃を生かしきれていない現状を憂い、エフライムは農業技術指導に当った。プロジェクトの当面の目標は慢性的な貧困の解消、豊富な農業資源の有効活用、人材の育成、住民の社会的、経済的な発展である。医療・衛生施設が整えば救える命があり、教育環境が整えば自ら道を切り拓ける。孤児8人実子7人の母ジェーンは「現金があれば医者にかかれる。助かる命がある。」という。
これまで住民たちが収穫した作物は仲買人の搾取により、信じられないほどの低価格で買い取られ、売れ残ったものは廃棄されるがままであった。 『JALI ORGANIC ASSOCIATION』ではこれまでの5倍から7倍の価格で買い取り、これをドライフルーツに加工し、海外でマーケットを拓こうと考えたのである。 1995年から5年をかけて、住民の生活や農地の占有状況を調査、2000年から具体的な準備活動を始め、2005年から本格始動となった。準備期間に都合10年の歳月を要した訳だが、Muwanga兄弟(モーゼスとエフライム)は住民との話し合いに時間を惜しまなかった。当初は住民たちの警戒心が殊のほか強く、身の危険さえ感じるほどであった。所謂不法占有を続けてきた住民たちにとっては、突然に土地の所有者が現れた訳である。住民達は追い出されるくらいなら闘おうという構えであったが、予想に反してMuwanga兄弟は彼らに土地の所有権を与えたのであった。
ーーーーーー第2話へ続くーーーーーー