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【呉さんインタビュー①経歴編】「一緒に歴史を作っていきましょう!」大阪のSEOベンチャーでインサイドセールスをやる面白さとは



セールスプロモーション部
インサイドセールス課課長
呉 和樹

高校時代はサッカー部に所属。全国大会に出場し活躍。
大学時代には2年間韓国とアメリカに留学。
新卒で東証一部上場の繊維染色メーカーからリクルートへ転職。
リクルートでは、新規獲得件数全国トップ5位に4ヶ月連続ランクイン。
Indeed Japanでも最優秀グループ賞を獲得するなど成果を残す。
その後、転職し会社に所属しながら個人でSNS運用代行を行う。
現在は、グランネットの中核的存在としてインサイドセールス課を引率する。


これまでの経歴をお願いします。

1社目は、新卒で東証一部上場している繊維染色の老舗メーカーで3年半勤めました。所属は国際営業部のアジア担当に配属。

入社した理由は、大学で留学して韓国語と英語をある程度習得して、韓国語はもとから喋れていたんですけど、よりビジネスに使える韓国語をということで留学しまして、せっかくなのでそれを活かしたいというところを軸に考えておりました。面接の時に「すぐに国際営業部に配属させます」とおっしゃっていただいて、ありがたいことに海外出張もすぐに行かせていただけてやりがいは大きかったです。

ただ、業界自体はあまり見ていないで就活してしまって。繊維染色とはいえエンドクライアントはモンクレール、ルイヴィトン、エルメス、アルマーニとかハイブランドのお客様がほとんどで、同期もパリコレクションやミラノコレクションは絶対見てますという人たちばかりでした。商談や社内での話し合い・研究・プリンティングでも、「10年前のパリコレに出てたフェンディのあれがいいよね」とかそういう会話をしながら繊維染色の生地の触感・質感・見た目の話になってくるんですよね。最終的には、そういった話題についていけなくなったっていうのがあって、そこから改めて、「自分の好きなことをやりたい、やらないとあかんな」ってなりまして、それで転職を決めました。


◆2社目でリクルート(当時のリクルートライフスタイル)に

ホットペッパーグルメの営業として入りました。

入社した理由は2つあって、まず1つは自分が飲食とかお酒とかすごい好きだったので、なんかそういう仕事だったらワクワクするかもとか、友人が飲食業界で勤めていたので、そういう方からどんなメニューがいいと思うとか、どんなコースがいいかとか聞かれたときにいろいろ発想が浮かんできたんです。店内はこうしたほうがいいんじゃないとか。20代前半の浅い知識ですけど。これがファッションでやってたらできてたかというとできてなかったですし、ワクワクしなかった。やっぱり飲食向けで何かサービス提供出来たら面白いかもと思いました。

で、そこでなにか一つ考えたところと、Webに興味があって、前はメーカーで繊維染色なのであるものというか、目の前の物を大事にする文化だったんですけど、ITが加速していく中でこれからはもっとWebのほうに業界としてもどんどん動いていくだろうなと思って。メーカーであり、古風な考えも多かったですし、社内報がいまだに手紙みたいな(笑)いや、これ電子版にしたらええのにみたいなところもまた発想が出てきて、そういう風に思っていたところにかみ合ったのがリクルートだったので、ホットペッパーグルメだったので入社しました。



◆リクルートも3年半勤められて、最終的になぜ辞めたんですか?

リクルートに入ったのがCVと言われる契約社員、3年半の有期雇用で入って、丁度3年半経とうとしたときにチームリーダーの話をいただいて正社員になるか、どうするかで迷ってました。

3年半の中で並行して採用試験もしていただいていて、実はその中でインディードと出会って興味を持ち始めました。ホットペッパーで飲食やったときに人材の課題に直面することが多くて、例えば、「バイト足らんねん、キッチンの社員足らんねん、店長足らんねん」がだいたい多いんです。

とはいえ、タウンワークやバイトルの話は結構聞いてて、興味を持ちつつ、でも「バイトルとか広告なので高いねんと、結局効果出んかったら無駄やねん」とか、まあ愚痴ですけどそういう話をいただいていた中でインディードというサービスを知ってこれは革新的やなと思って、丁度親父も経営をやっているのでインディード使ったら採用うまくいったんですよね。それでこれは今後の新たな価値になるなと思ってインディードに入ったんですね。給与もめちゃくちゃよかったのでそれもあります(笑)


◆最終優秀グループ賞もとられているんですよね。インディードは年収もよくて大手で、成績もよかった中で、、なぜ辞められたんですか?

良い面と悪い面があって、悪い面でいうとめちゃくちゃしんどかった。給与が高い分っていうのもありますが、毎日夜中2時まで仕事して…それがきつかった。(今は違うと思いますが。)

もちろんやらなくても別にいいですし、何かタスクを振られて追われてやっているというよりかは自分でやらないといけないと思ってやってるだけなんで、勝手にやってしんどがってるだけだったんですけど。ただ、目標を逆算すると、自分はまだ人材業界に入ってまだ結果がなかったので、量で何とかやらないと結果を出せない数字だなと思っていたので。

かつ達成し続けているとノルマも上がっていく中でこれは無理やというところで、まあ結婚もしてというところでちょっとライフサイクルが厳しいなと、社内でもこういうワークスタイルなのでみんな長くはやらないよねと、稼げるだけ稼いでやめようとか。これはあんまり続けられへんなというのが悪い点。


◆転機があったのは「副業」でしたっけ?

良い点は副業を始めることになりまして、昔のホットペッパー時代の飲食のお客様のところに結構食事も行っていたので、その中で媒体の運用とか、SNS、特にインスタが来ている時代だったのでそこのWeb担当をしてくれる人を探してるねんというお声を何店舗かたまたまいただいてました。で、その時によく一緒に飯食べてた後輩も運用代行とかをやっていて、「もしよかったら教えるんで一緒にやっていきませんか?」と声掛けしてもらって教えてくれてというタイミングだったので「今ならお客さんもおるし、やってみよか」と始めたらいい感じに売り上げも上がってきたので、だったら1回子供が生まれる前に独立してみたいなと。

かつその時に別で次に行った会社の社長さんと出会って、もとから知り合いでしたけどこんなんやろうと思ってますと話したら、「やったら結婚もしたばっかりやから固定給がないと不安やろ」ということで、「運用の支援をする代わりにうちに入ってもらってバックアップするけどどう?」と言われて、じゃあ転職しようかなと、これがいい点ですかね。


◆SNS運用で年間200、300万稼いでいたんですね。すごいですね!そこからグランネットにくることになった理由は何だったのでしょうか?

コロナが思っていたよりも打撃が強くて、飲食なのでどうしてもお客さんも最初は補助金とかで引き続きやっていただいていたんですが、あまりそこも長く続けられなくなって、ちょっとずつ売り上げも下がっていたりしたので、かつ3社目もバイトルの代理店でナイト系がメインで、ナイト業界もコロナで厳しくなって、19時から飛び込み始まるんですけど、行っても閉まってるしで実績取れず。

バイトルでは全国1位という成績を出しましたけど、もちろんこういう状況なので全体的に売り上げはそこまで高くない中でたまたまうまくいっただけです。コロナで辛いんですよね、エレベーターで上がったら真っ暗っていう(笑)っていうのもあって売り上げ下がって、3社目も給与高いわけじゃなかったので、これは厳しいなということろが悪い点。家族がいる中でこの不安定さはちょっとまずいなというのがあって、転職をしようかなと思いました。

次回は、\呉さんがグランネットに入ってからのご経歴を紹介!/ 

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