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作りたいのは、360度カメラが”当たり前”になる文化。RICOH THETAの開発を率いた男が、スタートアップに挑戦するまで

日本発のハードウェアスタートアップで世界を獲る。そんな夢の元に集まったベクノス初期メンバーたち。彼らはなぜ大企業の安定よりも、成功が難しいハードウェアスタートアップを選んだのか。

今回紹介するのは、リコー時代、THETAの開発を牽引してきた寺尾です。リコーに入社後、一貫して研究開発に携わってきた寺尾は、とある偶然からTHETA開発に関わることになります。

ベクノスの一体何が彼を引きつけたのか、その過程を紐解いた。

ベクノス株式会社 開発本部長 寺尾 典之
兵庫県加古川市出身。東北大学理学部卒
1986年 リコー入社。半導体や複合機の研究開発に従事。2010年よりTHETAの開発を牽引。
2019年 全天球カメラ「THETA」の実用化により「市村産業賞 貢献賞」受賞。
2020年からベクノス株式会社で開発本部長として製品開発に従事。

教師志望から一転、技術職の道へ

ーー寺尾さんは、元々、大学時代から技術職に就こうと思っていたのでしょうか。

いえ、もともとは高校の物理の教師になりたいと思っていたんです。理学部を選んだのもそのためです。大学時代には、家庭教師のアルバイトもしました。ただ、教員実習を経て自分には向いていないと思ったんです。集団授業だと、どうしても理解度に差が出てしまうので。うまく授業を進めるのは難しいし、ついて来れない生徒がいるのは辛いなと。

ーーそこから、どういった経緯で技術職の道へ?

教職実習が終わったのが最終学年の7月だったので、就職するか否かと悩んでいた時に、仙台にリコーの研究所ができると知って一度見学に行ったんです。研究所では、垂直磁気記録の研究をしていて、使っていた装置がたまたま私が大学の研究室で使っていたものと同じだったんですね。そこで、ダメもとで入社試験を受けたら運よく内定をいただきまして、技術職として研究開発に携わることが決まりました。

後から入社できた理由を聞くと、私の測量や排水路拡張工事、運送業など様々なアルバイトの経験を面白がってくれたからだそうです。

ーーリコーではTHETAに関わるまでずっと研究開発をされていたのでしょうか。

そうですね。1986年に入社してから2010年にTHETAに関わるまで、約24年間研究開発一筋でした。入社して最初に携わったのは薄膜トランジスタの研究開発。実験結果を早く見たくて、遅くまで研究していたのはいい思い出ですね。

印象に残っているのは、入社後に研究生として派遣された母校である東北大学の研究室での超低消費電力デバイスの研究。世界の第一線の研究を学べた貴重な時間でした。その他、リコーの主力商品である複合機や半導体の開発などにも関わりました。

世に出るプロダクトを生み出す喜びを知った


ーーTHETAの事業部に異動されたきっかけについて教えてください。

当時、私は仙台の研究所に勤めていたのですが、横浜の中央研究所で、生方がTHETAの企画説明会を開くタイミングに、たまたま私も居合わせたんです。上司から『寺尾に関係がありそうな説明会だから聞いてきたらどうか』と言われて、それがきっかけとなりTHETAに携わるようになります。

ーー初めてTHETAの話を聞いた時、どんな印象を持ちましたか?

とにかくワクワクしましたね。空間を丸ごと切り取る「写場」というコンセプトは、これまでの写真にはなかった発想。この発想はカメラの開発経験のない生方だからこそ生まれたもの。理想から逆算して考えるものづくりの姿勢に、これまでの研究とは違う面白さを感じました。

ーーTHETAの事業部ではどんなことをしていたのでしょうか。

始めの頃は、まだ生方の構想を製品企画に落とし込むための技術検討会を開いている段階でした。並行して、社内外問わず、優秀な技術者を探している最中。私は社内の技術者の知り合いが多かったので、新しい挑戦をしたいと思っている人に声をかけるリクルーティング活動も行っていました。

技術者も集まって来た頃、研究開発部門の上司からTHETA開発の責任者として横浜に来てほしいと声をかけていただきました。ついにTHETAの開発に携われるのだと思うと胸が躍りましたね。

THETAの事業化当初は、研究開発部門がすべての責任を担っていたので、プロダクトを開発するだけではなく、様々なマーケティング活動や、工場に赴いて生産立上げのサポートなども行いました。研究開発だけしていた時代と異なり、商品発売後は生産数量を伸ばすためにどうしたらいいかを生産区と一緒に検討したりと、視野が広がったなと思います。

初代THETA開発の後も、3代目「THETA S」までは研究開発部門主幹で製品化しました。その後、新規事業部門に移って「THETA SC, V, Z1」などの新製品を開発してきました。生方が提案した「RICOH R DK」では初代THETA開発当初から仕込んできた半導体の技術で画像電子技術賞も受賞させていただくなど、様々な体験をさせていただきました。

ーー寺尾さんは生方さんがTEATA事業から外れた後も、ずっと携わっていらっしゃいますよね。それはなぜでしょうか。

私がTHETAに携わったのは50歳をすぎてからでしたが、そんな自分でもずっとワクワクし続けられる環境があったからですね。THETA事業部のメンバーは、常に世の中に新しい価値を提供していこうと挑戦をし続けてきました。苦労の連続でしたがそれが世に出て、ユーザーの反応を見るとやっぱりやって良かったと思う。プロダクトが世に出た瞬間の高揚感にハマっているからかもしれません。

360度カメラでの撮影を、新しい文化にしたい

ーー寺尾さんがベクノスに参画した理由を教えてください。

理由は二つあって、一つは60歳も近くなって、最後に新しい挑戦をしたいと思ったからです。ちょうど、THETAの開発を後継者に引き継いだタイミングで生方からカーブアウトで会社を作る話をもらいました。半信半疑な時期もありましたが、本当に作るもんだから驚きましたね。

もう一つは、360度カメラを使ってくださるコンシューマーの裾野をもっと広げたいと思ったからです。THETA事業に携わる中で、コンシューマーの中にもまだホワイトスペースがあることを感じていました。生方の構想を具現化できれば、そこにリーチする商品ができると確信し、自分がそれを開発したいと考えました。

ーーベクノスではどんな挑戦をしていきたいと思っていますか

360度カメラで写真を撮ることが当たり前の文化を作りたいです。まだ私の母が生きていた頃、兄弟家族全員でTHETAで写真を撮る機会があったんです。家の雰囲気やたしかにそこに皆がいたんだっていう温もりを感じました。この感覚は普通のカメラでは味わい難いと確信したんです。これからVR技術が発達したら360度写真を通じて、昔にタイムスリップするような感覚を得られるかもしれない。

ーーその文化を作るために、今後どんな人と一緒に働きたいですか

良い意味で主張が強い人と働きたいですね。THETA事業部のメンバーも皆が確固たる意見を持っていて、よく議論が起こっていました。ここにいる全員が本気で新しい価値を作ろうとしているんだなと感じて、そのぶつかり合いがとても楽しかったんです。

カメラ事業に関わったことがあるかどうかはあまり気にしません。THETAの時もそうでしたが、初期の開発メンバーはカメラ以外の商品の開発者や、中途入社の面々でした。むしろ、業界や会社の常識などにとらわれない方がいいものが作れると思ってます。

ベクノスは60歳近い私ですら、心が躍った組織です。ぜひ、世の中に新しい価値観を生み出していきたい人と一緒に働きたいですね。

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