「核融合の最後のチャンス」エネルギー問題にキャリアを捧げてきた杉山さんがHelical Fusionに参画した理由
こんにちは!株式会社Helical Fusionの採用担当です。
本日は、事業開発担当の杉山さんにインタビューをしてまいりました。
- 日本のエネルギー問題に危機を感じた学生時代
- ヘリカルフュージョンに入社するまでのキャリア
- ヘリカルフュージョンに参画した理由
についてお話しして参りますので、「エネルギー問題に興味がある方」や「エネルギーの未来を変えたい方」はぜひ最後までご覧ください。
杉山さん プロフィール
東北大学工学部に入学、原子力燃料研究で学士号を取得。大学院では、核融合炉構造材料研究で博士号を取得。2006年に株式会社東芝(電力システム社)原子力機器設計部に入社し、原子力構造材料の研究・開発を担当。2015年から東電設計株式会社にて海外火力発電所建設プロジェクトのコンサル業務に従事。2020年から一般社団法人日本海事協会にて、船舶材料の研究プロジェクトを担当。2022年からは、株式会社奥村組にて再生可能エネルギー事業の開発を担当。2024年9月よりHelical Fusionに参画し、事業開発を担当している。
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学生時代
ー大学で原子力の燃料研究を学ぼうと決めた経緯を教えてください。
高校時代から日本のエネルギーを取り巻く状況に課題を感じていて、「日本のエネルギーに関わる研究をしたい」と考え、東北大学工学部に進学しました。入学当初は、工学部の中でも機械知能系という広い分野に所属しており、機械、航空、環境などについて幅広く学びました。その後、大学3年生で学科ごとに細分化されるのですが、そのタイミングで原子力を選択しました。
というのも、当時、日本のエネルギー問題の中でも、特に「日本がエネルギー資源を海外に依存していること」に危機感を抱いていたので、燃料を自国で生産し、それを海外に輸出できる可能性のある原子力発電に興味を持ったんです。
ー高校生ながら「日本がエネルギー資源を海外に依存していること」に問題意識を持ったのはなぜですか?
映画好きの親の影響もあり、戦争映画に興味があったことが影響していると思います。
戦争の原因には、様々な要因がありますが、「経済的な理由」も大きいと感じていました。例えば、近くに豊かな資源や美味しい食べ物があれば、それを求めて争いが起こる。したがって、無用な争いを避けるためにも自国で賄えることの重要性を意識していましたね。自給自足まではいかなくても、自国で何とかできる状況を整えておくことが必要で、仮に、また日本が鎖国のような極端な状況に陥ったとしても、対応できるようにしておくべきだという考えを、高校時代から抱いていたんです。
ー大学院で核融合炉構造材料研究の道を選んだ経緯を教えてください。
大学時代の原子力の燃料研究では、一度使用した燃料を再処理して作る“MOX燃料”について、「添加物を加えることでより効率を向上させられないか」というテーマの研究に取り組んでいました。この研究が非常に面白くて、そのまま続けたいと考えていましたが、私が大学を卒業すると同時に教授が退職され、研究室もなくなってしまったんです。
そこで進路を考え直した際に、核融合という新たな選択肢が目に入ったんです。核融合発電は、より未来志向の発電方式であり、将来的に有望であると感じ、核融合炉構造材料の研究室に入ったという経緯です。
これまでのキャリア
ー新卒で東芝に入社した経緯を教えてください。
大学院を修了後、大学に残って研究者としての道を進むか、民間企業に入るかの二つの選択肢がありました。
その中で、私自身、「実際に発電所を作りたい」という強い想いがあったため、研究主体の大学ではなく、ものづくりが主体となる民間企業への就職を選びました。日本で原子力発電所、特に原子炉の設計・開発を手がける企業の一つである東芝に入社することを決めました。
ー東芝→東電設計に転職した経緯を教えてください。
東芝での原子力関係の仕事はやりがいがあり、業務内容的にも非常に面白かったです。しかし、大きな転機となったのが東日本大震災。福島の事故の影響を受け、震災後も数年間は東芝で業務を続けていたものの、「もう新たに原子力発電所を作ることは難しいだろう」と感じるようになりました。その時、「自分のやりたいことは発電所を作ることである」と再認識し、転職を考え始めました。
転職先として、東電設計を選んだ理由は二つあります。まず一つ目は、「海外で仕事をしてみたい」という思いです。以前から、日本のエネルギー問題に取り組みたいと考えていましたが、震災後に原発の将来性が厳しいと感じ、意気消沈してしまいました。その状況から抜け出したいという思いがあり、海外で働くことに興味を持ちました。二つ目は、「やはり発電所を作りたい」という思いです。この二つの希望を同時に叶えられる場所が、海外で発電所建設に携わることができる東電設計だったので、転職を決めました。
ー東電設計→日本海事協会に転職した経緯を教えてください。
東電設計から転職を考えた理由の一つは、発電所のプロジェクトを0から100まで一通りやり切ったという達成感があったからです。東電設計での5年間で、発電所の計画から稼働開始までを一貫して担当し、一つのプラントを完全にやり遂げたという実感がありました。その後、ちょうどコロナウイルスの影響で日本に帰国することになり、一般社団法人日本海事協会に転職しました。
日本海事協会は、船舶の安全を確保するため規則を制定し、建造時や運航している船舶の検査をすることで人命及び財産の安全、海洋環境の保全を期すことを目的とした法人です。なぜ、日本海事協会に転職したのかというと、これまでの東芝や東電設計での経験から、物を安全に運ぶことの重要性を強く感じていたから。発電所を作ることからは少し離れた分野ではありますが、エネルギーを作る上でも、輸送を円滑に行うことが大切だと考え、日本海事協会での仕事に魅力を感じ入社を決めました。
ー日本海事業協会→奥村組に転職した経緯を教えてください。
物流の大切さを実感して日本海事協会に参画したものの、「やっぱり発電所を作りたい」という想いが強まり、転職を考えました。
ちょうどその頃、奥村組が新たにバイオマス発電所の計画が進行中で、「これから再生可能エネルギーを使った発電所を次々に手がける予定」という話を聞いたことがきっかけです。
やはり日本のエネルギー問題にはずっと関心を持っていて。東日本大震災で原子力が難しくなった時、再生可能エネルギーであれば、日本国内でできることも多く、日本のエネルギーを支える意味でも、タイムリーな選択肢だと考えていましたね。また、これまでの知識や経験も活かせると考えたので、入社を決意しました。
ヘリカルフュージョンに参画
ーヘリカルフュージョンとの出会いを教えてください。
実際に奥村組に入社してみると、再生可能エネルギーの有効活用は非常に重要であるものの、思い描いていた業務内容とのギャップに直面してしまい、転職を考えるきっかけになりました。ちょうどその時、転職サイトを通じてスカウトをいただいたのが、ヘリカルフュージョンとの出会いです。
核融合は、もともと大学院時代に専門としていた分野だったこともあり、常にエネルギーの選択肢の一つとして意識してきましたし、ここ数年で、注目を集めるようになってきているのを感じていたので、「核融合が本当に実現に向かっているのではないか」と興味を持っていました。
その中でも、ヘリカルフュージョンは、「2034年までに核融合炉を完成させる」という明確な目標を掲げている点が印象的で、具体的なビジョンと計画を持ちながら挑戦している姿勢に惹かれましたね。
ースタートアップに参画することに不安はありましたか?
もちろん不安はありました。前職でスタートアップとは多く関わってきましたが、自分自身が参画することになるとは思っていなかったので。
でも、家族の応援もあり、「核融合が世に出るチャンスはこれを逃せば二度と来ないだろう」という考えから、入社を決意しました。現在、世界的に核融合が盛り上がっている中で、もし日本で再び勢いが失われてしまったら、もう二度と立ち上がれないのではないか、と危機感を覚えたこともあり、「今が勝負時だ」と思ったんです。また、「自分が核融合に関わるきっかけもこれが最後だろう」とも考えていたので、入社する以外の選択肢はありませんでしたね。
ー現在の業務内容を教えてください。
R&Dチームと一緒になって、実験炉を整備していく業務を行っています。これまで培ってきたゼネコンや発電所設計の知識、研究者としての経験などを総動員しながら、取り組んでいます。
ー事業に懸ける想いを教えてください。
大学時代に学んだ核融合の世界に、再び仕事として携わることになるとは、まさか夢にも思っていませんでした。こうしてチャンスをいただけたので、ぜひこの機会を活かし、何か一つでも成果が出るまで頑張りたいと考えています。
ー杉山さん、ありがとうございました!