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【スピンオフ】 CEOスペシャルインタビュー、被災地支援編。未曽有の事態、自分にはなにができるのか。

今回は、CEOスペシャルインタビュー スピンオフ!被災地支援編です。

2011.3.11 日本中が悲しみに包まれた東日本大震災。この時、弊社代表の松岡が起こした行動は....

【被災地支援】
東日本大震災発生後、在籍している長崎大学所有の船に乗り、救援物資を運ぶ手伝いをしました。初日は、衣服や医療キッド、簡易食器、水などの支援物資が次々と船内へ搬送されていきました。


3/14午後5時半、東北地方太平洋側に向けて出発しました。2日目は、高知湾で荷物の載積が再び行われました。そして3,4日目は船内で生活をし、 5日目は小名浜港に入港、救援物資の半量を1時間かけておろしました。
そこでは、多くの工場、東京電力の石炭積載場、小名浜水族館アクアマリンと関連ショップ、魚市場と近隣の食堂、漁業体験施設の全てが被災、機能が停止しており、人影もありませんでした。
そして、6車線道路の両側に、震度6強の地震と津波被害の実態を目のあたりにすることになりました。電気はなく、夜は真っ暗、信号は全く機能せず車もめったに通りません。ガソリンの調達はほぼ不可能な状態です。
現地で給水車が調達できないとの連絡が前日にあったため、本船に積載している100トンの水の給水作業を行わないことを事前に決定していましたが、水を希望する住民がバケツ等をもって多数待つ、ような憶測も船内ではありました。
しかし実際は、海に近づくことを恐れるかのように港湾内に住民の人影は全くありませんでした。
物資を下ろす作業に来てくださった方々や、案内をしてくれた港湾部の方々は、明るくそして平常心を保とうを努力されているように感じました。

6日目、岩手県宮古港に到着しました。救援物資の荷卸し作業をした後市内を車で視察させてもらいました。
津波の被害は甚大で海辺は壊滅状態になっていました。市内を流れる閉伊川を渡る三陸鉄道の鉄橋が崩壊していたり、石を積んだ大型の作業船が海から遙か彼方の陸地に打ち上げられているなど、被害を受けた船舶は甚大な数にのぼっていました。
一方、高台にある津波の影響を受けなかった市街地はほとんど被害がなく平時と同様にも見えました。
出航してから1週間が経過し、満載した救援物資を福島の小名浜と岩手の宮古に届けて任務をひとまず完了しました。そこから日本海側を舟航し、長崎に戻っていきました。


以上、CEOスペシャルインタビュー スピンオフ被災地支援編でした。

次は、CEOインタビュー第三弾起業編 最終回です!




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