皆さん、こんにちは!MiL広報の川出(カワイデ)です。
昨年末からスタートしました、MiL株主のみなさまとの対談インタビュー。
第2回目は、元 ルイヴィトン新規事業 COOで現在株式会社ドラマティック 代表の斉藤(矢野)麻子さんです!
今回は”女性の働き方”をテーマに、女性社員を代表して紀千草との対談でお届けいたします! 前半は斎藤さん自身のキャリアのお話、後半は女性としてのワークライフバランスについてお伺いしました。
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対談:
斉藤(矢野) 麻子さん【矢】
紀 千草【紀】
インタビュアー:
川出 朱夏
矢野さんのこれまでの経歴を教えてください!
【紀】これまで国内外で、バリバリにキャリアを築いていったかと思うのですが、どういう経歴を歩まれてきたのでしょうか?
【矢】私が大学を卒業して就職したタイミングは、いまと違って、空前の売り手市場でした。本当に、皆さんの世代には申し訳ないくらい(就職することは)簡単だった中で、「なんだか楽しそう」という理由だけでメルセデスベンツに入社しました。当時、バリバリ働いている人って実はそんないなくて。私自身もそんなにバリバリ働いていなくて、1年目の年末年始には誰よりも先に休みを取って、海外に旅行にいったぐらいです。上司がドイツ人だったので、そういうことに寛容だったのもあります。途中で「サポート業務に徹したい」と話したこともあったのですが、「若いうちは自分が成長できるところまで行くべきだから」といってあえて責任のある仕事を任されていました。今思えば、そのときの働き方が今に繋がっているんだと思います。
【紀】すごいきっかけですね!
【矢】そうなんです。若いのに責任のある仕事を任されることで、取引先に怒鳴られたり、手土産持って平謝りに行ったり・・・仕事のベースはそこで学びましたね。自分一人でできることは限られていて、どれだけ周りの人が喜んで手を貸してくださるかで仕事って決まるんだな、と感じました。
あとは、周りにおじさまたちが多かったので「あ、私娘キャラでいこう!」と思いついたんです。その方が物事がスムーズに進む気がしたんですよね。
【紀】娘キャラですか!当時はどのくらいの人数で動いていたんですか?
【矢】課は6人くらいで、いくつかあった新車整備工場の一つを任されていました。当時は特に「お客様は神様だ」といわれていた時代なのですが、逆にお客様が「売ってください!」とおっしゃられるくらい、ベンツでSLが売れていたんです。そのときに「面白い!」と思ったのが、ラグジュアリーに興味を持つきっかけとなりました。「買わせてください!」と思ってもらえるのってなんでなんだろう、って。それを学びたいなと思い、アメリカのビジネススクールに通う決断をしました。そのときの1年目のサマーインターンで入ったのがBCG(ボストン コンサルティング グループ)です。そのまま内定をいただき、帰国後にBCG入社しました。そこで2年半、物事を解決する方法や仕事の進め方を学びました。
【紀】そのあとが、女性の憧れブランド、ルイ・ヴィトンですよね?
【矢】そうです。BCGでは付加価値をつけることが常に求められて、それがすごく大変でした。頭が腹筋している感じです。「もうでない!!」ってなるまで脳を使うんですよね。
【紀】そんな頭使うことって、滅多にないですよね。
【矢】そうなんです。ちょうどそのとき、新聞の求人広告でルイ・ヴィトンが募集していることを知り、「自分がビジネススクールに行ったのは、ラグジュアリーブランドに興味を持ったからだ」という思いから転職を決意しました。最初はマーケティングディレクターで入社したのですが、その後いろいろな業務に関わり、最終的に新規事業の責任者になりました。約8年ほど働いたあと、2008年に独立して、そこからはずっと自分の会社で働いています。
【紀】ということは、あまり男性社会でバリバリやってきた訳ではないのでしょうか?
【矢】そうですね。1社目のベンツは娘キャラで通してきて、BCGは男女関係なく付加価値で評価され、ルイ・ヴィトンは女性社会だったので、あまり男社会を生き抜いてきた、という感じではなかったです。
【紀】起業しようと思ったきっかけは、なんだったんでしょうか?
【矢】ちょうどプライベートで職場環境を変えようと思ったのが大きかったですね。それまで仕事最優先で、あまり家庭のこととか考えてこなかったので、一旦お休み期間を設けよう、と。
バリキャリだった矢野さんが変わるきっかけとなった出来事は?
【矢】自分の転換点はやはり”出産”です。ちょうど会社を立ち上げたあとに、子どもが生まれました。それまでは自分中心で動いてきたのですが、子どもが生まれてはじめて、世の中のこととか未来のことを考えるようになったんです。”人生100年時代”といわれている中で、自分が子どもたちにできることってなんだろう、って。あと、それまでは仕事が”趣味”だったんですよね。周りからは「悪趣味だ」っていわれていたのですが(笑)
【紀】女性にしては珍しいですよね。
【矢】でも子どもが生まれてからは、「子どもと子どもが生きる世界のために何かしたい」という思いが原動力になった気がします。「自分は踏み台になりたい」。つまり、自分の子どもが生きていく社会のための踏み台になればいいな、と思うんです。その踏み台が高くて、硬くて、大きいほどいい。そういう想いで今は働いています。「杉岡さんを応援したい」と思ったのもそうで、私を踏み台にして欲しいと思っています。小さな踏み台で申し訳ないのですが。私の過去が将来のためになるのであれば、どんどん使って欲しい。使われても何も減らないと思うんですよ。むしろ、使っていただいた方が自分のためにもなると思っています。人間関係だったり、今まで自分が気づかなかった視点とか、自分だけだと知り得ない・出会えなかったことにも出会える。今のこの瞬間も過去になっていくものなので、過去を使ってもらうために、今自分が将来のためにどう行動できるか、を常に意識しています。
【紀】なるほど・・!素敵な考え方です!そのように考えるようになったことで、それまでの働き方と変わったことってあったのでしょうか?
【矢】仕事の大変さがだいぶ軽くなった気がします。仕事一筋だったときは、気持ちが揺らぐことが多々あって。辛いときは本当に辛く感じるんです。自分を責めてしまったり、恥かしながら一人ひっそり泣くこともしょっちゅうありました。でも、子どもが生まれてからは「踏み台になる = 娘のためになるのである」と思えることで、大変な時でも「大したことではない」と思うになりました。自分のためって意外と踏ん張りが効かなかったりするんですよね。
【紀】泣くことなんてあったんですね・・・!
【矢】泣くために一人で散歩に行ったり、ちゃんとご飯を食べているのに体重が激減したり。子どもがいなかったときは自分一人で全て抱え込んでしまっていたので、「逃げたいけど逃げられない」という葛藤がすごく苦しかった気がします。”逃げる”という選択肢を思い浮かばなくなったのは、子どもが生まれてからです。
【紀】そんなに変化するんですね!
【矢】はい。私の場合は。自分でも驚きました。
MiLに投資しようと決めてくださったきっかけは?
【矢】先ほども述べたように、踏み台になりたい、誰かを通して自分の力でできる以上に世の中の役に立ちたい、って思ったんです。杉岡さんは”やる人、成し遂げる人”というオーラが凄くて、「この人なら何かやってくれる・・・」と感じました。
【紀】一番最初に出会ったのは、確か1社目のBEYOND CAFEのときでしたでしょうか。
【矢】そう、BEYONDを立ち上げるときですね。話しててエネルギーレベルが違ったのを覚えています。そして気づいたら急成長していて。スピード感がすごいなぁ、と思って「次何かやるときは投資させて!」って言ったんです。
【紀】そんなに早くから!!それは、杉岡の考え方に共感いただけたからなのでしょうか?
【矢】考えもそうですが、行動力ですね。有言実行力やスピード感がすごいなぁって。「お役に立てたらな」という想いと、「乗っかりたい!(笑)」という想いがありましたね。なので、会社のビジョンや事業があって、そこに投資したい!というよりは、「杉岡さんがそういうなら、応援させて欲しい」という気持ちです。
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To Be Continued... 後半へ続く