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「ふんわり」の功罪

ChatGPTなどのAIに注目が集まっているためか、
私たちの「言語化能力」がこの先どうなっていくのか、
という問いが頭の片隅に常駐しています。

もしかしたら、このような関心は時代特有のものかもしれません。
たとえば、1冊10分で読める書籍要約サービス「flier(フライヤー)」の
アクセスランキング(2023年1月1日~31日)にもその傾向が表れています。

年代別ランキングで、30代の上位にあったのは
1位「言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える」(樺沢紫苑/幻冬舎)
2位「リーダーは話し方が9割」(永松茂久/すばる舎)
7位「東大教授の考え続ける力がつく思考習慣」(西成活裕/あさ出版)

各書籍の切り口は微妙に異なるのだと思いますが、
「言語化」「伝え方・話し方」「思考整理」をテーマにした本に
関心が寄せられているのは、他の年代でも概ね同じです。

では、そもそも「言語化」とは何をすることなのでしょうか。
いろいろな表現の仕方があると思いますが、
ここでは、次のように定義してみました。

自分が頭の中で考えていることを言葉に変換し、
さらに相手がより理解しやすい言葉で伝えること。


ここで重要だと思うことが2つあります。
1つは、頭の中だけで考えることと、言葉にすることは違うということです。
一人で考え、頭の中では整理したつもりでも、
いざ人に伝えようとすると言葉に詰まるという体験、誰にでもありますよね。
人の脳がどのように働くのかは知りませんが、
頭の中を過ぎていく言葉であるうちは言語化とは言えないわけです。

もう1つは、自分のための言葉ではなく、
相手のための言葉にしてこそ意味があるということです。
伝えたかどうかではなく、伝わったかどうかが重要なのですね。

だから、コミュニケーションを大切にしたいと思うなら、
自分の考えを言葉として発することから逃げてはいけないのだと思います。



一方で、人々の関心が言語化にありながら、
「ふんわり」「ふわっと」という言葉もしばしば耳にします。
いろいろな意味で使われているようですが、
その1つに「あいまいな」という意味もあるようです。

「ふんわりした話」といえば、
核心をつかないぼんやりした話というような意味でしょうか。
また、具体性に乏しく抽象度が高い話の場合も、
ふんわりしていると言ったりしますね。

「あいまい」という言葉だと少しネガティブな印象ですが、
「ふんわり」になると必ずしもそうでもありません。
今はまだ漠然としているけれど、これからクリアになっていくかも…という
期待さえ抱かせる気がするのは、持ち上げすぎでしょうか。
あるいは、「内容がぼんやりしていてダメ」と言いたいところでも、
「なんか、ふんわりしていますね」と言うことでソフトになるような。
あいまいさを否定しないところは、日本的な知恵なのかもしれません。


私は言葉を使って仕事をしているので、言語化の大切さは常に感じています。
でも、言語化にはデメリットもあります。
逆に言えば、ふんわりにメリットがあるということです。

どういうことかというと、
言語化というのは複雑な考えやそのニュアンスを潔く絞り込む作業なので、
捨て去る概念の中に実は大切なエッセンスが含まれている場合があるわけです。
1番大切なことは言葉になるけれど、
5番目ぐらいに大切なことは言葉にはされず、
結果的に思考の中から排除してしまうことにつながったりします。
論理的な言葉が勝り、感情的な言葉が置いてきぼりになりやすいのも、
そのようなことと無関係ではないと思います。


仕事というのは大抵はふんわりしたところから始まります。
ふんわりしたままでは始動できないので、誰かが言語化する。
すると、具体的なタスクになっていきます。
誰かと協働するにはコミュニケーションは避けられないですし、
AI時代だからこそ言語化能力は必要不可欠になっているとも思います。
言語化能力を養いながら、一分の隙間にふんわり力も持っていたいものですね。


今日が良い1日でありますように!

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