スタイルブレッドの歴史は遡ること1930年から始まりました。
初代「桐生製パン所」から歩みを始めて94年。
「焼成冷凍パン」を武器にスタイルブレッドが急成長を遂げた、その背景にはどんなストーリーがあったのか。
マーケット先駆者として、様々なことに挑戦してきたスタイルブレッドを長く支えてきた、取締役・セールス本部長の出島敦にインタビューをしました。
パティシエという職人時代
―スタイルブレッドの歴史を語るのに必要不可欠な存在である出島さんですが、今までどんなキャリアを歩んできましたか?
私は元々パティシエなんです。
昔から甘いものが好きで、祖父母がグルメだった影響もあり、高校生の時に自分の洋菓子屋さんを開業したいと思ったんです。
それで製菓・製パンの専門学校に進学して、東京のパティスリーで働き始めました。
パティシエ業界だと、修行に来た人はここで何を学んでから旅立つのかを事前に決めておくのがセオリーで、複数のパティスリーで働きましたが毎回辞める日を決めて働いていました。
その間に光通信の会社でテレアポのバイトを1年くらいしたことがあって、その時経験した電話でのプッシュ営業が今になって役立っています。
そのバイトの後もパティスリーで働いたんですけど、引っ越ししすぎてお金が無くなったこともあり地元に戻ったんです。
そこで自分で何か仕事をやろうかなと思い立って、丁度その時知り合ったオープンしたての飲食店があったので、昼間にそのお店の厨房を借りて洋菓子の卸や販売を一人で始めました。
メニュー作りや材料の仕入れ、売上管理といったことを一通り経験出来ましたね。
―早くも夢を叶えられたんですね。
それが、その後店を借りていた飲食店が増店をしたんですが、破産して急に店をたたまれたんです。
昼に行ったら厨房に入れなくて(笑)。
仕事を続けられなくなってしまったんですが、またパティスリーに戻るより自分の知識として足りないパンについて学ぼうと思いました。
それで知り合いの職人たちに、このあたりで一番美味しいバケットを売ってるところはどこかと聞いたら田中パンだと言われ、それがスタイルブレッド、当時の田中パンとの出会いです。
スタイルブレッドの製造メンバーとして入社
当時の出島さん
当時のスタイルブレッドは『パナデリア』という小売店をやっていて、そこでバケットとクロワッサンを買って近くの公園で食べたら美味しかったので、すぐに電話して雇ってくださいと言いました。
―行動が早い!
その時がちょうどスタイルブレッドの初めての工場(現アトリエ)が建設中で、アトリエが建ったら人が足りなくなるから来てよと言われまして、そこから2-3カ月待って入社しました。
―いつ頃のお話なんですか?
当時は2009年頃かな。
既に株式会社スタイルブレッドが立ち上がっていて、営業も始まっていましたね。
入社直後は「窯」、いわゆるオーブンで焼成するところを担当することになったんですが、その焼いたパンをお店に出す、いわゆる「パン出し」のところを社長の田中さんが当時やられていたんです。
田中さんは朝一パン出しだけやって、その後はスーツに着替えて営業に出られていました。
「窯」と「パン出し」なので田中さんとは色々話すようになっていきました。
製造→商品開発→生産管理へ
半年ほど製造現場を経験して仕込みまで覚えた後に、商品開発の社内公募があったんです。
そこで興味を持って手を上げたら、田中さんからも「出島さんを考えてたんだ」と言われました。
それで商品開発に異動したんですが、1年経たずして東日本大震災がきたんです。
震災の影響で注文がほぼ全てストップ。
群馬も原発汚染の恐れがあるなんて話もあり、引っ越すという人も出てきたり、売上もほぼ止まるという事態に。新しい商品をどんどん出すという状況ではなくなりました。
そこで商品開発業務を一旦中止することになり、私は製造管理のサポートをすることに。
「ファクトリーフレッシュシステム」という、在庫ロスにならないように生産するシステムをコーディネートする仕事をし、その時に今にも通じる商品のサイズや色などの基準を作りました。
しばらくして今度は、製造管理のサポートは確立出来たから、次は営業やってみてくれと田中さんに言われたんです。
セールスとしてのキャリアの始まり
―展開が早いですね!
ですが、最初は「営業は嫌です」と断りました。(笑)
当時はやったことなかったですし、自分の強みと違うのでやりたくないと。(笑)
そしたら「強みは他者が評価する物だ」と田中さんに言われ、渋々営業をやることに。
―出島さんのセールスとしてのキャリアがスタートするのですね。
当時は悔しい気持ちがありました。
製造から商品開発、生産管理サポートとやりましたが、全部中途半端だったから。
まだやりたいのに能力がないから異動なのかなと心の中では思っていました。
でも、営業をやったら成果が出たんですよ。
自分自身元々食のプロとしての経験があったし、食の知識もある。だから同じ食のプロであるシェフへ営業したら、3カ月で目標達成したんです。
―クライアントの理解が深かったんですね。
そうやって営業をやりつつも、当時も独立したい気持ちはずっとありました。
スタイルブレッドで働く中で、ビジネスの組み立てについては分かったのと、やはり自分の責任を取るのは人の会社ではなくて自分の会社だなと思い、再び自分で事業を起こすことを決意しました。
二度目の起業
今の自分が客観的に見ると、私はオフェンシブなタイプだったのかもしれません。
育った環境が田舎で、周りで商いをやっている人も多かったし、家系的にも自営業が多かったというのもありますが。
―田中さんや周囲には引き止められなかったんですか?
田中さんからは「大きく事業をするならいいよ」と引き止められなかったです。
―どんな会社だったんですか?
スイーツの卸業でメニュー開発をやっていた時にイラストレーターを学んでいて、デザインをすることが楽しかったので、スタイルブレッドを辞めて1か月半後にはデザイン系の会社を立ち上げました。
当時からスタイルブレッドのパンフレットもキレイで、デザインされていないものをデザインするって良いビジネスだなと思ったんです。
そこでおみくじに目をつけて、『今までずっと変わらなかったおみくじをデザインして集客しませんか?』と神社の神職さんに向けて営業してました。
ただ、宗教法人の制約だったり参入障壁もあり、相当しんどくて2年ほどで会社を畳みました。
そこでビジネスに投資しすぎたこともあり資金も尽き、すぐにスタイルブレッドに戻ったんです。
スタイルブレッド第二章
当時は2014年頃だったかな。
自分が貢献できて、成果を出せる先を考えたときに一番に思い浮かんだのがスタイルブレッドで、田中さんに頭下げてお願いしようと思って連絡したら、まぁ一回来なさいと。
会ったら「何がしたいの?」と聞かれて、「私はスタイルブレッドの誰よりもパンとレストランを知ってるから成果出します」と言いました。(笑)
ただ営業や製造現場ではなく企画がやりたかったのでそれを伝えたところ、1.2カ月後に来てくれと言われまして。
少し経ってスタイルブレッドに戻ったら企画部が立ち上がっていました。
当時の企画部はECチームとBtoBの受注や販促企画を担当する業務があって、私はBtoBのほうをやることに。
デザインができることもあり、紙のDMの作成も私がやっていましたね。
―今のスタイルブレッドで言うとマーケティングチームの役割を担当されていたんですね。
その撒いたDMに反応があったお客様への電話アプローチのオペレーションを作ったり、トークスクリプトも作ったりして、3ヵ月やって5万円だったチーム売上を、更に3カ月後には600万円にまで成長させました。
ただ田中さん的にはもっと劇的に伸ばせると思っていたみたいで、そのプロジェクトはその後クローズすることになり、次に私が任命されたのがBtoB営業のキャプテンでした。
最初はやりたくないと言っていたのですが、田中さんに説得されてやることになり、そこから今に至るまでずっとセールス本部にいます。
―いつ頃になるんですか?
2015年くらいかな。
当時は東京と大阪合わせて営業は8名くらいで、顧客リストを作ったり、基幹システムを導入して顧客管理のやり方を変えたり、目標を売上数字だけじゃなくてKPIの設定をしたり、今のセールス本部の土台・基礎となるものをこの時に作りました。
元々製造現場や商品開発にいたこともあり、セールスチームのマネージャーをやりながら商品企画や開発、販売計画にも携わってましたし、4・5年程前までカタログやチラシの制作も私がやっていました。
―本当に様々なセクションに関わっているのですね!
多くのポジションの現場を経験されて、スタイルブレッドの歴史を見てこられた出島さんが今こうして取締役であり、セールス本部長をされているというのは、メンバーとしても非常に心強いです。
出島さんの人生の分岐点はどこになると思いますか?
2回目の起業ですかね。それまで自分は組織で働くことが苦手だと思っていたのが、そんなことないということに気付きました。
いざ起業して、自分一人で完全に追い込まれるところまでやってみて、仲間の大切さとか、人に生かされているんだなというのを実感しました。
なので、起業した後にスタイルブレッドに戻る時、めちゃくちゃ性格変えて戻ったんですよ。
スタイルブレッドの元問題児
―元々どんな性格だったんですか?
全てに文句を言っていました。(笑)
本気で無駄だと思った会議には出席しなかったし、会社の飲み会とかにも行ってなかったですね。問題児でした。(笑)
でもスタイルブレッドの人たちはみんな良い人たちだったから、それでも自分を気にかけてくれてたし、普通に冗談言いあったりして良い関係を築いていましたよ。
―想像つかないです!(笑)
スタイルブレッド第二章の始まりが、今の出島さんとなるリスタートだったのですね。出島さんの仕事を頑張る原動力ってどこにあるんですか?
うーん、一生懸命生きたいからですかね。
将来、思ってたのと違う!と思ってもいいし、たとえ泥水啜るような人生だったとしても、今を一生懸命、全力で生きたい。
過去に経験したことも全て必要なことだったと思いたいし、そう思わなきゃ嫌だし、失敗するなら次に繋がる失敗にしないと。
今まで色々経験してきたけど後悔はないです。
あとは日々仕事をしている中で、小さいことの達成の積み重ねだったり、周りのメンバーたちが仕事を楽しいと言っているのを聞いたときに喜びを感じるので、そういったことがモチベーションになっているのかもしれません。
―出島さんご自身はどんな自分を目指していますか?
残りの人生、最後は楽しいこと・ワクワクすることをやっていたいですね。
より影響を与える幅が広い、大きな仕事ほど楽しさは大きくなると思うし、小さなことをやるよりも、自分が知らない大きなことに今後もチャレンジしていきたいです。
【パンを通じて心の贅沢を創る】ミッションを果たしたい
―スタイルブレッドを深く理解している出島さんが思う、スタイルブレッドで働くことの魅力や面白さって何でしょうか。
私自身が今こうやって取締役兼セールス本部長として働いているわけで、営業だったりマネジメントだったりの経験がなくてもチャレンジすることができる土俵があるところかな。
自分自身めちゃくちゃ勉強したし、めちゃくちゃ本を読んで、試して、経験を繰り返して、そんな風に会社とともに成長してきたけれど、でも今よりももっと良いやり方はあるんじゃないかと思っています。
より専門性の高い人や、志が高い人たちが仲間になってくれたら、スタイルブレッドはもっと面白くなるだろうし、もっと相乗効果が生まれるはず。
だから、年齢とか学歴とか関係なく、自分の知らないことを知っている人にどんどんジョインしていただきたい。若い世代しか知らないこともあるし、聞いているだけで勉強になるしね。
ミッションとして掲げている【パンを通じて心の贅沢を創る】って凄く好きな言葉なんですけど、その言葉のもとに集まってきてくれた人は、プロだったとしても素人だったとしても、組織を大きくする仲間になりえると思っています。
メンバーたちが喜ぶ姿をもっと見たい
―出島さんは今後スタイルブレッドをどんな会社にしていきたいですか?
メンバーたちが、大変ながらも目標に向かってイキイキと働けるような土壌作りをしていきたいです。
今はIPOの準備中ということもあり、過渡期で楽しいだけじゃやっていけない時もある。
それでもついてきてくれる皆には感謝しているし、頑張っているメンバーたちがちゃんと成果を上げて、評価されて喜ぶ姿を今後ももっと見たいと思っています。