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2016年、ボクは会社がキライなのに会社をつくった。

Photo by Shunsuke Ono on Unsplash

アールツーは個人事業主よりはじまり、あえなく2016年に法人化となりました。

会社なんてキライなのに・・・。

若いころ、それなりに真面目だったボクにとって、会社と上司のいうことは絶対だった。
理不尽な作業量を振られても、退職者が多く発生する難儀な仕事についても、残業が100時間超えたり徹夜をしても、文句を言わずに指示をこなしてきた。
会社に貢献することで自分も会社によくしてもらえる。評価されて、役職を上げて、収入を上げていきたい。そう思ってたから、どんなに大変であっても自分の未来を信じてキラキラしていたんだ。

ボクが会社をキライになった理由はいくつかある。

1.従業員を使い捨てる
当時、ボクは自社サービスの開発チームに所属していたんだけど、コアメンバーを除いたメンバーは、客先常駐で評判が悪くなって、派遣できなくなったエンジニアで、いわゆる追い出し部屋になっていた。チームにたくさん高齢エンジニアが入ってきたが、やはり自社サービスの開発にもついていけず、退職勧奨により自主退社させられていた。きっと若いころは、ボクと同じように会社を引っ張ってきたんだろうなあとは思いつつ、横目で見ていた。
そんな中、一緒に飲み、スロット、ゴルフの打ちっぱなしに行く仲の良かった先輩が、チームに来てしまい退職になった。最終日は自分が一杯おごらせてもらった。退職金を交渉してたくさんもらったって言ってたっけ。前の現場では評判がよかったと聞いていたけど、なんで来ちゃったのか・・・。

2.ヨイショが仕事
ボクは当時の会社で正社員として勤めていたが、はじめは派遣社員として働いていた。派遣先の課長は、コーディングがバリバリ出来て、顧客などへの説明も上手く人望も厚いすごい方だった。派遣で特に不満はなかったが、正社員へ誘ってくれたので入社した。課長はボクに優しかった。前日飲みすぎて気を失い、夕方出社しても怒られないので、なぜ怒られないかを聞くと、「ダメなの自分が一番分かってるだろう?」と一言だけ。課長は別の部署に異動とともに昇進して順調にいけば役員にという位置まで上り詰めていた。
後任は何人かいたのだが、一番キツかったのは、何もしないのに常に文句を言っている役員へのゴマスリ上司。作業がないのに、なぜか一番早くきて一番最後までいる。部下全員から嫌われていた。なぜか、ボクを誘ってくれた上司は降格され、ゴマスリ上司は役員となっていた。

3.責任の押し付け合い
ボクのいた自社サービスの開発チームでは、バグが発生するとバグのあるプログラムをコーディングしたエンジニアを探して吊るし上げる文化だった。
一連の工程(要件定義、設計、コーディング、コーディングレビュー、テスト、テスト結果解析)で担当者が違うにも関わらず、なぜかコーディング者はすべての責任を押し付けられた。
結果、コーディングの生産性が高いエンジニアほどイヤな思いをすることになった。
また、大きな問題は役員にまで報告が行くのだが、名指しで問題報告をされ、部下たちの手柄は全て上司のものとされて報告されていた。

こんな経験をしているうちに、
いつのまにか、ボクの中にあったキラキラはなくなっていた。

そんなボクは、みんなでキラキラできる環境がほしくて、会社を作ったんだ。

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