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自ずから然らしむる

生まれ育った上本町は好きなのですが、今でも生活しながら仕事もしているので、たまに緊急脱出したくなるような気持ちで町から離れ山に登ったりしています。感電防止のために接地して電荷を逃がすことを電気工事の用語でアース(地面、地球の意)すると言いますが、自然に触れることで、バチッとしそうな何かがスッと抜ける気がします。

今年に入って思い立ち、先月から農業を学びに農村に通い始めました。実は、もう20年程前になりますが岡山県の東粟倉村に「錢屋しぜん農園」を開設し10年間ほど運営したことがあります。夏と秋に開催していた収穫祭と称するBBQはバス2台100名を超える参加者になるまで盛況となり楽しい思い出ができました。小さい女の子が採れた茄子をそのままかじり、紫色のヨダレを垂らしながら笑う姿をみてお母さんが「この子は普段は野菜嫌いで食べないのに」と言っておられたのが印象的で忘れられません。残念ながら現地での担い手の世代交代が上手くいかず閉園となりました。開墾から最初の4年間は作物ができず事業としては決して簡単なものではありませんでした。

変わらず農業に関心はありましたがそんな苦い思い出もあるので離れていました。ですが、今回は久しぶりに理屈抜きに直感が働き、すぐに行動していました。経験的に良い予感がありました。耕さず、肥料も農薬もつかわず、草や虫を敵としない自然に任せた農業だそうです。水はけが悪かろうが、日当たりが悪かろうが、あるいは水が少なかろうが、むしろそこから学ぶのだそうです。収穫高や効率を優先する慣行農法とはまったく違う取り組み方に魅かれます。初めて訪れた現地で「白菜だ」と言われた小さい緑の草を見たときに胸がキュンとなりました。確かに周りの草とはちょっと違って食べられそうな緑の葉っぱでした。虫は弱い草を食べるので、ちゃんと強く育てたなら虫が寄り付かないのだとか。男性目線の表現で恐縮ですが「お前ごときは近づくな」とばかりにムシを寄せ付けない気高い女性のようで素敵だなぁと思います。

お昼になって弁当を食べる時にコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶は私だけで恥ずかしい思いをしました。皆さん、たぶん自分で育てたお米の大盛り弁当と野菜、もちろん水筒持参でした。リュックの中でおにぎりの三角のプラ包みを外してパクパクパクと3口くらいで頬張って食べました。仏教では身口意の一致と言いますが、行動と言葉と意識が一致しないことは恥ずかしいことで、大いに反省しました。ここには学ぶことがありそうだと感じました。冒頭は「おのずからしからしむる」と読み、然しむるとは「なるべきようになる」という意味のようです。(文・正木)

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