※写真はうちのCPOと前職の時に行ったバリ島にて
生まれ
1975年1月18日(執筆時点12/12、もうすぐ誕生日)の、47歳独身男性。
北海道、現函館市の結構郊外、山と海に囲まれた小さな小さな町で、3女1男の末っ子長男として生を受ける。
父親は小さい頃から出稼ぎに出ており、家には女性しかおらず、そのうえ 2番目の姉はアレ
絶対スケバン
だったと思う。だってスカートの丈長かったもの。
そんな幼少期は、ひたすら姉たちにいじ(め)られて育った記憶しかなく、この頃は自分が東京に来てITをやるなんて夢に思わず、将来は警察官か消防士になりたいと、目を輝かせていました。
最近 そんな生まれ育った街を見て回ってきましたが、小さい頃通ったプールも、地震が来て笑いながら避難した小学校も もう廃墟や更地になっていたりして 人口減少の波が激しいなぁ、と寂しい気持ちになって東京に戻ってきました。
学歴
中学校に入って数ヶ月後、とあるデパートのチラシで多分 PC9801だったかな、、、が先着数名限定でなんと1万9000円で広告に出ていた衝撃を今も覚えています。
ただその時は、両親も離婚していて経済的に余裕がなかったし、先着だったので当然購入もできず、、、それでも諦めきれない自分はMSXという キーボードにすべてが搭載された簡易的なPC(と言っていいものか)を購入してもらい、テレビに接続して1画面プログラムをひたすら書き起こしていました。
でも、本を買ってそれに記載されていたプログラムをその通りに入力していただけだったし、命令語の意味もよく理解していなかったので、この時点ではただゲームを遊んでいただけの中学生で、ただただ漠然とゲーム作りたいな、と思っていただけでした。
中学校時代は3年間、新聞配達をして親に搾取(親に預けたお金って、貯金するといいつつ 生活費になってた気がします)され、いつかは返ってくるもんだと無垢な気持ちで頑張っていたものです。
冬の日も自転車で配達してましたが、後輪とカバーの間に雪が詰まって、車輪が動かなくなるんですよ。それでも無理やり漕いでいたので、足の筋肉はかなり鍛えられましたね。いい思い出です。
中学卒業時は、脈絡なく料理学校に行こうかとも考えていたのですが、隣に住んでいた同級生が「おら、東京さいぐだ。東京さ行って働きながら高校さいぐだ」と言っていたので、自分も何も考えず卒業と同時に、そいつと上京してきました。
経歴
東京に来て最初に入社した会社は、プラスチック加工および金属メッキを行う、京浜島にある小さな中小企業でした(約30年経ちますがまだその会社あります)。
最初の3年ほどは ただただ ベルトコンベアで成形されてきた加工品を箱に詰めて、本社に送る(メッキは本社で実施)仕事でしたが、いろんな理由があり成形工場の小さい方(大もあります)の、スケジュール管理や、金型入れ替え、棚卸しなどいろいろ任されてました。当時バングラデシュや中国の方と一緒に働いていたので、いろんな人がいて本当に楽しかったです。
今より30キロ近くも痩せていて、髪も長く色もめちゃくちゃ白かったのでバングラデシュの同僚に、櫻井さん外国人みたいだね、と言われたのを今でも思い出します。いやお前がな、と思ったのもいい思い出です。この時はまったくITとかけ離れた生活をしていました。
学校を卒業と同時にこの会社も退職し、寮からも出て、晴れて一人暮らしをしたところで、いわゆる訪問販売に捕まり、約200万の東芝Dynabookと羽布団、どこかの施設を月に一度使える権利的なものを買わされました。今思うとこのDynabookがなければITに入ってなかったので長期的な視点で見るとこの時買ってて良かったな、と思います。
当時このDynabookを使って何をしていたかというと、それはパソコン通信。そこで知り合った方から、夜間の汎用機のオペレータをやってみないか、とお声をかけていただいたのがきっかけで、本格的なIT業界での就業がスタートします。この時22歳(だったかな)。それまではとにかくお金がない時期でした。若い時ってそうゆう時期ありますよね。
そして、汎用機のオペレータをやりながら、MS Accessを勉強し、Delphiにハマり、個人ホームページ大公開時代が来て、Perl→PHPを覚えて、どっぷりWEB業界にハマります。
※昔の写真がないので適当に探し当てたやつを掲載
あとはもう個人事業主としてPHP案件入ったり、会社都合で派遣登録したり、ポイントサイトに正社員として入社して、サーバ管理とかJava覚えたり、システム開発会社に入って案件のマネジメントしたり、業務プロセスのコンサルタントやってみたり、そして前職でいろいろやらかしたり(上の写真)。
※後半、急に経緯が雑になりましたが、いづれそのうち詳細書きますね。
そして現在
湘南にあるリベンリという会社で、前職で一緒にベトナムオフショアを回していた倉橋代表を中心に、上のメンバー(もっといますが)と一緒に働き、最年長であることをいいことに、言いたい放題やりたい放題やってます(意図せず写真の中心にいる気がするな、、)
でも最近自分だけではもう回らなくなってきたので、誰かこんな私を助けてください。ということで今日も技術的なことはあまり話さずに、Wantedlyのストーリーを書き終えるのでした。
こんなCTOでも一緒に働きたいと思ってくれたならば、ぜひとも気軽にコンタクト取ってみてください。結構気さくだと思います。わたし。
株式会社リベンリでは一緒に働く仲間を募集しています