LibeLuck 株式会社リベラック
Quality is Power. 株式会社リベラック Official website.
https://www.libeluck.co.jp/
はじめまして。横山祐弥(よこやま ゆうや)と申します。
神奈川を拠点に、ラストワンマイル物流の「株式会社リベラック」を経営しています。
2019年に創業して今年で4期目。
会社が目指す方向性や、取り組んでる内容について広く知っていただきたいと思い今更ながら投稿します。
今回は初投稿になりますので、まず僕の自己紹介をしたいと思います。
3行でまとめるとこんな感じ。
・学生時代は野球だけ。高卒で一般企業に就職。
・たった3か月で退社したのちにキャバクラの黒服になる。
・海外で働いた後、日本で物流の会社を起業し今に至る。
今回は自己紹介がてら、僕の生い立ちから起業し今に至るまでの道のりをつらつらと書こうと思います。
小学生の頃から始めた野球に夢中になり、中学生の頃は硬式のクラブチームへ入部。
野球は出来る方だったので、特待生で茨城県の私立高校へ。
「甲子園」を目指して、朝から白球を追いかけ、決して美味しいとは言えないご飯をたくさん食べて、夜は遅くまでバットを振りました。
3年生の春、東日本大震災の影響により、実家のある横浜へ帰ることに。
友人の多かった地元の公立学校に転校生として入学しました。
※信じられないくらい細眉ですが、この頃はこれが流行っていたんです。本当ですよ。
最後の夏の大会はあっけなく初戦で負けてしまい、僕の青春は幕を閉じました。
特別学びたい学問が無かったことと、奨学金は借金だからちゃんと考えて進路を決めろと親に念を押されていた僕は、高卒で就職することにしました。
新卒で入った会社は、財閥系の合成繊維・合成樹脂メーカーで、かなりのホワイト企業でしたが、一番年齢が近い先輩が30代後半の方で、その上は40代後半という人間関係に馴染めず、たった3ヶ月で退職してしまいます。
「会社を辞める」と自営業の父親に伝えたとき、
「サラリーマンで給料を頂けることがどれだけありがたいことか分かってない。」と怒られました。
あの時は分からなかったけど、今ならその意味が良く分かります。
仕事も決まらずフラフラしている僕を、友人の親族の方がとても気にかけてくださり、そんなに暇ならと、その方が経営している「キャバクラ」なる場所で働かせてくれることになりました。
18歳の僕は、キャバクラがどんな場所なのか全く理解していなかったのですが、給料が前の会社の倍くらいになると説明されたので、即決で入社を決めました。
周りの大人たちには結構反対されましたが、父親だけが「水商売は商売の基本だから学びが沢山あるはずだ。しっかり勉強しなさい。」と言ってくれました。
父親の言う通り、キャバクラの仕事を通じて、
言葉遣い、マナー、身だしなみ、金勘定とたくさんのことを学びました。
仕事もとても楽しく、まだ10代だった僕に責任ある仕事をたくさん任せていただき、成長することが出来ました。
そして、あんなに世の中では不景気だと言っているのに、何十万もの会計を普通に支払うお客様がたくさんいるということに衝撃を受けました。
この頃から、少しだけ「自分もいつか社長になりたいなぁ。」なんて思ってたり思ってなかったり。
今でもそうなのですが、個人でお金を使うことにあまり積極的ではない上に、仕事でもしっかり評価していただいてたので給料も上がり、21歳にしてはそこそこ貯金がある状態になっていました。
当時、周りの友人は大学生で、海外留学する人も居たりして、自分も漠然と「海外行ってみたいなぁ」と思うように。
ある日、たまたま見ていた映画で、かっこいい俳優がニューヨークのビルのエントランスから出てきて、屋台でコーヒーを買うというシーンがありました。
そのシーン見て「これだ!」と思いました。
コーヒーなら自分でも作れるし、なんならかき氷とかでもいいじゃん!
そうか、海外で仕事すればいいんだ!と。
貯金はあったので、本気で屋台を海外でやるために行動してみましたが、
どうやら「就労ビザ」というものが必要だということを知りました。
そこから先は、調べても良く分かりませんでしたが、
「この広い世界のどこかで絶対に海外で屋台をやってる日本人がいる。」
と信じていた僕は、
Google検索で「海外 屋台 日本人」と検索して、一番上に出てきたVancouverに本社がある会社に、「無給でいいので御社で働かせてください」とDMを送りました。一週間経っても返信が無かったので、再度DMを送り付け、今は採用活動をしてないと言われましたが、なんとかスカイプ面接の約束をこぎ着け、Vancouverが一体どこにあるのかも知らぬまま、その企業に入社させていただくことになりました。
僕が入社したのは、「JAPADOG」という会社。
JAPADOGは、
“Delivering dreams, happiness and excitement to the world through hotdogs.”
~ホットドッグを通じて世界に夢と幸せと感動を届ける~
というミッションに掲げ、創業者の田村社長が2005年にワーホリで在加中に起業した日本風ホットドッグ専門店です。
たった1台の屋台から始まり、今ではバンクーバー国際空港内や、アウトレットに実店舗を構え、アメリカ進出を果たしている素晴らしい会社です。
”ワクワク様”が合言葉の田村社長の元で働いた日々はとても刺激的で、自分にとって原点となる経験が沢山ありました。
僕が在籍していた時は、2店舗目となるアウトレット店を立ち上げるタイミングで、規模拡大の真っただ中ということもあり、業務内容はかなり濃かったです。
当時僕は21歳。
会社にはリクルート出身の先輩方が多く在籍していて、一人ひとりのスキルがとにかく半端なかった。
何のスキルもない僕はとにかく量とスピードでカバーするしかありませんでした。
素晴らしい人たちに囲まれて働いた経験を通して成長した日々は、今でもかけがえのない財産となっています。
他には、屋台で営業中にカバンを盗まれたり、ホームレスの人にナイフを突きつけられたりと、海外で起こるトラブル系は一通り経験しました(笑)
街中でキャバクラ時代のお客さんに偶然会って、世界狭っ!なんてこともありました。
そしてJAPADOGの日本人スタッフ達をはじめ、海外で活躍する日本人の姿は本当にかっこいいなと感じました。
経営、飲食、アート、音楽、日本酒から盆栽まで、日本人がつくる様々なモノが海外で認められ評価されるのを見ると、なんだか同じ日本人としてとても誇らしかったのを覚えています。
カナダは他民族国家で、国籍 宗教 LGBTQ⁺と、様々なバックグラウンドを持つ人たちがカナダ国民として共存しているのを見て、多様性を受け入れることの大切さを学びました。
海外の素敵な文化に触れると同時に、日本とのギャップを体感することも多くあって、例えばチップを渡さないとあからさまに態度を悪くする店員さんもいますし、バスの運転もかなり荒い。レストランでおしぼりなんて絶対に出てこないし、アパレルショップの商品はぐちゃぐちゃのまま放置されてる。
特に不便だったのが、宅配便。
時間指定もできないし、不在時の再配達はない。
一度不在にしたら、近くの配送センターに取りにいかないといけない。
しかも一週間で出荷元に返送されるという。
この頃から、日本で当たり前のサービスは海外では当たり前じゃない。
という当たり前のことを深く考えるようになりました。
ビザの関係で日本に戻り、次の仕事を探しているとき、親しい先輩から「宅配便の仕事をやってみないか。」と誘われました。
ニュースではEC需要が高まり荷量が増えているが、ドライバーの過酷な労働環境が問題として取り上げられるような頃でした。
海外での実体験から、便利の裏側にどんな努力があるのかを単純に知りたいという興味を持っていたので、新たな挑戦としてヤマト運輸の外注ドライバーとして働くことにしました。
これが、物流業界の第一歩目となります。
その後先輩の研修を終え、現場で経験を積み、来る日も来る日も荷物を配りまくる日々。
完全歩合制で、やればやるほど収入が上がるのでやりがいを感じながら楽しく働いていました。
現場で稼働して気づいたこと
関東当日便とか、日本中どこでも翌日に荷物が届くとか、
それでいて、時間指定も出来るし、再配達も何度だって行く。
いや、すごい。
そんなある日、
ある程度仕事にも慣れてきたとき、僕がかなり大きいミスをしてしまって、上長の方とお客様へ謝罪しに行くことがありました。
帰りの道中、上長から
「お前にとっては何百個のうちのたった一つの荷物かもしれない。だが、お客様にとってはかけがえのない1つの荷物なんだ。この荷物を届けるのに10人~12人の人が関わりリレーのようにここまで運んできている。最後のアンカーであるラストワンマイルの俺たちがミスをしてしまうと、その人たちの努力をつぶしてしまうことになる。」
僕はこの仕事のことを分かっていたつもりでしたが、全く分かっていませんでした。
荷物を運ぶとは、その人を運ぶこと。
最後のつなぎ手として、責任感を持って仕事しないといけない。
あの時の言葉を、今でも大切にしています。
そして、街で目にするありとあらゆるモノ全てが「誰かがここまで運んできている」ものだということに気づき、宅配の現場を離れ、企業間配送や、市場から飲食店への配送管理、最終的にはラストワンマイル物流の法人営業を経験しました。
25歳になり、どんな30歳を迎えたいのか考えたとき、とにかく挑戦し続けている自分でありたいなと思い、たくさん成長させてくれた会社を退職し起業に向けて本格的に行動を開始しました。
2019年夏 ”世の中の当たり前をふやしたい” というVISIONを掲げ、
横浜市栄区でリベラックは誕生しました。
”自由”や”多様”という意味の「Liberal」と”幸運”という意味の「Good luck」を組み合わせた造語がリベラックという社名の由来です。
それぞれの人生によいめぐりあわせを。
個々の強みを活かして、足りないところは助け合う。
全員が尊重し合い、重ね合った個々の人生が会社の基盤であり続ける。という想いを込めています。
そしてリベラックは「やりたいことより出来ることをしよう」と、オンボロの軽バン1台と、創業メンバー4人でラストワンマイル物流業をスタートしました。
オンボロの軽バン(15万くらい)
お金が無いので海で拾った木とガラスで作った看板
物置だった部屋を片付けて事務所にした。
とりあえず何よりも先に買ったデスク。その前にカーテンを買って来いと言われた。
確かに。
他にも山で見つけたキッチンカーを購入して、
コロナ緊急事態宣言下でも稼働する工業地帯の人たちの為にお弁当屋さんを始めてみたりしました。
何もない僕たちは、自分たちに出来ること少しずつ増やしてきました。
2019年に立ち上がったリベラックも、今期で4期目。
様々な業種から心強い仲間が加入し、現在は社員15名とパートナードライバーさんが80余名、2023年4月には初の新卒採用で10名が入社し、100名ほどの規模になりました。
「いいサービスは日常に溶け込む」
僕たちの仕事は目に見えず、直接感謝をいただける仕事ではないかもしれませんが、目に見えない”当たり前”を届けることに誇りを持ちながら働いていきたいと思っています。
大手がやりたがらない小規模な引っ越しをしたいお客様の為に始めた単身引っ越しサービス。
毎年ご依頼いただく「母の日」お花の配送お母様への”想い”を届けるために全員スーツを着て配送しています。
物流はライフライン
当たり前を届ける仕事。
お弁当は行列が出来るキッチンカーに!
https://www.instagram.com/obento_mocoyama/
今年から新たな試みとして、アスリートが競技を続ける環境が足りないことと、物流業界の人手不足を解決する為に、社会人硬式野球部を設立し、働きながら野球を続ける選手を雇用するプロジェクトを立ち上げました。
チーム名 リベラック小田原
監督 武山氏(横浜→西武→中日)
コーチ 三ツ間氏(中日)
小さな会社の僕たちにしか出来ない挑戦を通じて成長し、これからもリベラックに出来ることを増やし続けます。
僕たちは常に現場を抱えていて365日車を走らせています。
想定外の出来事はしょっちゅう起こりますし、現場は相当ハードです。
ラストワンマイル物流業は、今一番過酷な仕事の部類に入るかもしれません。
でも、誰かがやらなきゃいけない仕事です。
大変だけど喜んでくれる人たちがいるのであれば、
自分たちに出来ることを一生懸命頑張ろう。
どうせやるなら楽しくやろう。
もっと成長して出来ることをふやそう。
そんな気持ちで働いています。
いいところだけを書きましたが、大変な失敗や、うまくいかないことの方がよっぽど多いです。
そんな失敗の話が聞きたい方は、いつでも連絡ください。(笑)
これからもたくさんのチャレンジを続けていくリベラックは共に挑戦していただける仲間を募集しています。少しでも興味を持って頂いた方はぜひ一度お話しましょう。物流出身の方、他業種の方、どちらも大歓迎です!
応募ページ から採用情報を選択し、①年齢②普通免許有無だけ入力いただき、「Wantedlyみました!」とご応募ください!
オンラインでも、オフラインでも可です!
ぜひカジュアルにお話しましょう!
定期的に、ストーリーを更新していこうと思いますので、たまに覗いていただけると嬉しいです。
横山祐弥