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テーマは「スポーツ×地方創生」。スポーツに触れ、楽しむ文化を根付かせ宮崎を盛り上げたい:福永淳史さん

2021年2月1日、新富町地域おこし協力隊に就任した福永淳史さん(30歳)。大学進学のタイミングで上京して12年、「抜け出したかった」はずのふるさと・宮崎は、気づけば自身にとっていちばん水が合う最高の場所。「宮崎を盛り上げたい」という熱い思いで、まずは地域を知ることからスタートします。

  • プロフィール
    1990年生、宮崎市清武町出身。宮崎県立宮崎大宮高校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学3年次に1年間アメリカ留学を経験。7年間勤務したジェイエイシーリクルートメントにおける地方中小企業との関わりから地方創生に興味を持つ。2021年2月より宮崎県新富町に移住し、地域おこし協力隊に就任。「スポーツ×地方創生」をテーマに起業を目指す。小・中学校時代はサッカー、高校時代はカヌー競技の経験あり。

高校時代、新富町は青春のフィールドだった

−当時の新富町の印象はどうでしたか?

福永:高校時代はカヌー部に所属していて、新富町の富田浜漕艇場によく来ていました。「初音」には大会や合宿で度々お世話になっていたので、初美さん(『民宿初音』の女将)のあったかい人柄がそのまま新富町の印象です。

−新富町はレガッタ(ボート競技)の町民大会もありますね。

福永:はい、でもカヌーとボートは全く違った競技です。私はカヌーのスプリント競技の中でも“カナディアン”という、片膝を立ててパドルを漕ぐスタイルでした。パワーとバランスが必要で、今ではまったく漕げないでしょうね。懐かしいです(笑)。

−そんな新富町に移住するとは、不思議な縁ですね。

福永:それはもう巡り合わせと言うしかなくて。情報をキャッチして動いているうちに、全てがつながって、今ここにいるって感じです。

外に出て気づいた、故郷への思い
起業してやりたいことに思いっきり挑戦!

−宮崎に帰ろうという気持ちになったのは?

福永:上京する前は、とにかく早く地元を飛び出したくて。閉鎖的な空気のなかで、刺激が欲しかったんです。いざ出てみたら、今度は世界を見てみたいと思うようになり、大学3年でアメリカに留学しました。そこでいろんな価値観に触れるうちに、やっぱり日本が好きだと感じるようになりました。

大学、就職と12年間外に出ましたが、家族を持ったり子育てをするイメージというのは、なぜか宮崎以外の土地では思い描けなかったです。食べ物も美味しいし、やはり水が合うというか…。

−Uターンを意識したきっかけは?

福永:東京で就職し、そこで徐々に地方へも営業活動が広がるなかで、都会よりも地域との触れ合いが次第に楽しくなりました。そんなとき、自分はいろんな地方と関わり活動しているのに、自分の故郷・宮崎に何も携われていないことにふと気づいたんです。

国内の他の地方に住む、海外勤務する、など選択肢はいろいろあったのですが、社内のキャリア面談を機に、30歳の節目に帰郷して「宮崎を盛り上げたい」という思いが強くなりました。

−そこでどんな行動を?

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