地域力創造アドバイザー
地域活性化起業人
株式会社CASEではさまざまな形で地域に関わり、地域を盛り上げる活動を支援しています。地域活性化に興味がある、さまざまな地域と関わってみたい、という方はもちろん地域を盛り上げていきたい自治体の方々も。是非、CASEをひとつの「機会」として利用してみませんか?
今日はそんなCASEのことを知っていただくために、地域にも人にも気づけばCASE代表近藤が「寄り添ってきた」その歩み、その理由。
近藤の生まれて初めての事業の立ち上げ(NPO)の背景やその想い、実現していきたい未来についてのインタビューをまとめてみました。
100個の夢を疑似体験してるみたいなことにワクワクする
関わるほど多くの夢を一緒に実現していってる
そして、あることをきっかけに社会への恩送りをしていくと決めた、そんな近藤の「多数の事業を同時に進める行動の源泉」をたくさんの人に知ってもらえたら嬉しいです。
(以下、2ページに渡るインタビュー内容となります。)
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人に寄り添ってきた事業の数々
ー近藤さんは、地域や人を
サポートしていきたいという感覚なんですか?
基本的に生きるってしんどいなと思ってて。
人生「こう生きていきたい」「私本当はこうなりたい」とかって、難しいですよね。
その中で個人がどう生きたいかっていう部分と、会社って感覚じゃなく仲間として一緒に
「チームの描く理想の未来と、個人の人生のありたい姿との重なりをどれだけ大きくできるか」
それが大きくなるほど、個人としてもチームの仲間としてもハッピーになると思うし、それが世の中に価値として影響力を持つとすれば、ほんのちょっとでもより良い未来に迎えていけているのかな、と。
社員という形さえも重要視していなくて、それは過去に誰かが決めた形式でしかないから、パートでもアルバイトでも業務委託でも、お互いにとってより良い形式を取って、チームとしてどれだけ重ね合わせていけるかな?みたいなことを意識しています。
時間軸が変わり個人のライフステージが変われば価値観も変化する可能性はあるし、災害やパンデミックや新たなテクノロジーが生まれる事によって世界が変わり、チームが思い描く理想の未来も変化する可能性はあるし、もしそれによって重なりが薄れれば離れてみるのもいいし、また時間軸が進んで重なりが大きくなってきたら戻ってくるも良い。だから、自分たちの思い描く妄想のような理想の未来に向かって、実現可能性を高められる手段をその都度選択していければ形式はどうだっていい。
-その中で近藤さんの軸にあるものは何なんですか?
圧倒的に「人」なんじゃないかな?
-その人がその人の人生を生きる?
そう。
例えば、僕は社会的には社長っていう立場はあるけれども、僕が代表をやってる必要もないと思ってて、たまたま僕が言い出しっぺで、誰もやってくれる人が居ないからしょうがなく社長やってるって感じなんだけど。
誰か社長をやりたい人がいたら今すぐやって欲しいと思っているんだけど、気づけば20年経っちゃった。。笑
メンバーとはひたすら1on1(ワン・オン・ワン)という形で対話の機会を持つようにしてて。
指示も命令も一切しないんですよ。
-そうなんですね。
それこそ、1人目の社員、武田。
入社初日、4月1日に僕が伝えたのは「働く時間も働く場所も僕の方から指示をしないので、自分で考えて、自分で決めて、自分でやってください。」ってお願いだけ。
東大生で、これまで正解を追い求める人生を歩んできた中で、突然そんなことを言い渡されると「戸惑う」から始まるし「年間予算これだけ渡すから事業費と自分の給料の配分は自分で決めていいよ。」とか言ってみたりするんだけど、、
-すごい!
決められないんだよね、なかなか。
で、ぱっとそんな状況を渡されると、
彼女がやりたいって言ってた新規事業、アート教育授業なんだけど、ビビって、縮こまって、どこにもありそうな無難な内容になりかけた。
-なるほど。そうですよね!
何事もアクションをするとリアクションが起きるから、そのリアクションを捉え直して修正していく。たくさんの量をやっていくと、量が質に転換する瞬間を必ず迎えると思ってる。
「経験やノウハウがあるとかないとか関係なしにお前という人間を信用して任せてるんだから、大成功しようが大失敗しようが、なんでもいいからとにかくフルスイングしてくれよ!」って。
-いや、そんなこと言ってくれる会社ないですよ。
フルスイングさえしてくれれば、何が起きたかがわかりやすくなるし、そこで起きるリアクションを僕も捉えられるから、軌道修正加えるにしてもどうにかできるな、と思うしね。
起業・創業者向けのセミナーなんかでお話しさせて頂くと、よく質問で、
「近藤さん、それだけの数のことやってきてると失敗もたくさんあると思うんですよ。ぜひ、そういう失敗談が聞きたいです」
って聞かれるけど、 一瞬悩んだけど思いつかなかったことがあったの。
それで、瞬間的に自分の頭を巡らせて気づいたことがあった。
それは、自分がその活動をやめた時に初めて過去のこととして「失敗」として定義づけられるんだなって。
逆に、活動を継続してる限りは「なるほどこのやり方だと上手くいかないことがわかった。次々!」って、失敗として定義づけられてなくて。
だから、メンバーとは対話の機会を設けて、何を感じ、考え、悩んでいるのか、1on1でメンタリングやコーチングのような形で対話の時間にしている。
僕から指示や気づきを与えるというよりは、本人の内省を促すような問いの投げかけや壁打ち相手になるようなことをしています。
そうやってくと、ふとした言葉やエピソードから、本人が感じている価値観、想い描いてる未来を感じ、そこに向かうために個人と組織の重なり部分をどう作っていくかっていう事業の作り方をしてみる。
本人たちがやりたいことをやりたいように自由にできて、その集合体として世界がより良くなってってるみたいなチームになれたらいいなとは思ってる。
-そもそもなんでそういう会社になってたんでしたっけ?
(ダンスミュージックの)クラブで遊んでた頃の仲間に再会すると、え、 そんな人だったっけ?って言われるんです。笑
夜のクラブで「ウェーイ」って遊んだり、パーティーオーガナイズをしたりしているのが仕事だと思われてたから。
でもそれも当時から僕の顔のごく1部でしかなくて、ベースは起業家で事業家だと思っている。
だから、常に同時に複数のことをやりながら、自分と仲間がやりたいことを全部事業化して生きていくみたいなスタイルは、当時から実は変わってなくて。
20年前、2003年に最初の株式会社を創業したときはクリエーターのエージェントとして始まって、食えてないクリエーターに寄り添って、彼らの苦手としている営業活動、契約交渉等のお金の話とかを、得意な僕が肩代わりしてあげて、僕が仕事さえ取ってくることができれば、彼らが食べられる環境を作っていくことができると思って始めた。音楽やファッションの業界に携わっているときにも一貫して、誰かの声や想いを叶えようとしてる。
これ、学生時代に就職活動を支援するNPOを始めた頃が原点なんだけれども。
外資系の経営コンサルタントの人たちと経営コンサルティング手法を学生の就職活動のアクションプランに落とし込みながら、それを勉強会やワークショップのようなスタイルで訓練することで、そこに参加してくれていた学生たちが次から次に名だたる企業に就職内定を獲得してくというような華々しい実績をあげてくれてたんだけど、その時に、その人の人生にフォーカスして分解して、それをもう1回修練して
「こうやって生きていきたいんだよね?」っていう究極的な抽象概念を見つけ、それをさらにもう1回展開する。
こういう生き方をしたいから、まずは新卒の1年目として「この会社のこういう仕事を選ぶ」が志望動機になってくるよね?みたいなことをやってたんだけど。
「で、結局お前、どうやって生きていきたいんだよ!」
っていうことをひたすら学生たちを突きつけてた割に、実は少し後ろめたい気持ちで、
「いやオレ、究極どうやって生きたいって、ないな」って思ってたの。笑
で、クリエーターのエージェントをする中で、ふと気づいたことがあって、仮に僕が100人のクリエーターに関わり、 彼らが生きたい人生を一緒になって叶えていってあげられたとするならば、 彼らの100個の夢を僕も一緒になって疑似体験してるみたいなことにワクワクしてるんだなって。だから関われば関わるほど、多くの夢を自分も一緒になって実現してってるみたいな、 そんな気持ちになったんだよね。
それがたまたまクリエーターであり、アーティストであり、DJであり、 今はたまたま地域。みたいなことなんだよね。
-地域っていうのもたまたまなんですね。
たまたま。笑
この会社の裏話をすると、2020年1月に広尾のレストランの運営会社を2003年に創業した会社とお財布を分けるために作っただけで、お店の名前をCASEにしようと思ったから、会社として作っただけで、まさか地域に関わる事業をやるとは思ってなかったんです。。
→次に続きます。
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