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学生の頃、「自分に合った将来を選びなさい」と言われ続け、京都の美大に進学。彫刻を4年学んだ。
私の大学時代は人生そのものを変える大切な時期あったことは間違いないが、問題はその後。
地元神戸のマスコミを2社経験し、当時のベンチャー企業へ。そのまま仕事に没頭し、気づけば東証一部上場まで上り詰め、管理職を5年経験した。
前職は9年在籍していたので、小学校から中学卒業までの期間に該当する。
OL時代(まぁ今もOLやけど)は、キラキラ女子についていくことが本当に大変だった。
料理教室にパン教室、会社帰りにネイルサロンやエステを予約し、週末にマルイに出かけて、新作のアパレルをチェックする。
ブランドの時計に、ブランドバッグ、週末の女子会には流行りのアクセをリサーチし、友達を褒めまくる。
可もなく不可もない恋バナをし、またサザエさんを見て仕事モードに切り替え、翌朝スーツに袖を通す。
JR神戸線は、瀬戸内海沿いを走る。波の高い日は、電車に波がかかるのではないかという、ぐらいスレスレを走る。
毎日、同じ電車、同じ車両。そして座っている人たちも同じ座席に同じ顔ぶれ。
私は魚住から大阪に通っていたので、「三ノ宮駅」で降りる人の前(覚えてしまった)の海側に立つことに命をかける。須磨垂水あたりで、ぼーーっと海を眺め、三ノ宮から席に着き、仕事のメールや、取引先のサイトをチェックし、業界ニュースに目を落としていた。
せっかく美大出身なので、人生をキャンバスに例えてみる。
初めはもちろん真っ白。学生時代は、下塗り。キャンバス地が見えなくなるぐらい、なんどもなんどもパステルカラーを塗り、間違えばジェッソを上塗り。
社会に出て、やっとまともな絵を描き始めた。
時には青、また緑、そして黄色。
キラキラ輝く、様々な色をどんどん塗り重ねた。
それはとても綺麗で、私の人生の自画像のような、そんな絵ができあがっている。はずだった。
出来上がっていたのは、何の個性もない、誰にでも描ける、どこにでもあるような絵だった。
私は自分に合った仕事を選んでいたし、自分に合った仕事をしていたと、言い切れる。では何故、私という個性はどこに行ってしまったのか。
気づけば、仕事のために仕事をし、私は世間の「かわいい」「かっこいい」「できる」「きれい」という形容詞にひたすら自分を合わせていっていたのだ。
自分の人生は、自分のものでしかないのだから。
自分で自分のキャンバスを、もう一度白に戻そうと思い、転職を決意した。
キャスターは「他人に評価されない会社」だ。
自分で会社との関わり方を決め、自分で出勤時間を決め、自分で給料を決め、自分で働く場所を決め、ひたすらセルフマネジメントをする。
初めはとても戸惑った。在宅なのもあり、チャットで存在感をいかに出せるかアピールしたりした。
でもこれは仕方ないと思う。だってこれが今の社会の「普通」だし、そういう色を10年以上塗り重ねてきたのだから。
キャスターは少し変わった会社かもしれない。(今は)
転職して気づいたのは、会社や社会の色に自分を合わせていくのではなく、自分に合った生き方を見つめ直し、(または見つけていき)それができるように、仕事とバランスをとっていくことが大事だということ。
今、私の人生のキャンバスは様々な色が混ざり合い、計画もなく塗ってきたので、濁った色になってしまっている。
社会人ベテラン入りし、改めて人生設計をすべく、また、ジェッソを上から塗っていこうと思い直す。
どういう人生を送りたいのか、を決めることができ、それによって会社との関わりを決めることができる。「働き方改革」という一言を、私は長い時間をかけて、様々な経験から教わっていく。