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こんにちは!株式会社CACTASの中岡です。
CACTASは今年4期目を迎え、新規事業の更なる拡大に向けて奔走しています。
そこで「世界中の働くを、たのしく」というミッションを共に実現するメンバーを大募集しています!
今回は、CACTAS社長の青木英佑さんにインタビューです。
CACTASが設立されたのは遡ること4年前、、青木さんはどんな想いで会社を立ち上げたのでしょうか。
優しい笑顔の中に潜む、メラメラした熱い想いを引き出していきたいと思います。
◆青木さんの経歴
2012年 同志社大学入学
2014年 フィリピンにてグローバル企業のインターンへ参加
2015年 複数社のスタートアップにインターンとして参加
2015年 リゾートバイト事業を運営
2016年 アメリカ(サンフランシスコ)に留学, デトロイトでスタートアップに参加
2016年 秋に大学を卒業
2017年 帰国後大手PR会社に入社
2018年 2月に株式会社CACTASを設立
はい。ではまず、簡単に自己紹介をお願いします!!
CATCTAS代表の青木英佑です!関西出身、最近ハマっているのはゴルフですね。
▼あ、ありがとうございます。社員のOさんからは青木さんは意外と天然で、年上に可愛がられる、一人っ子と伺っております。今日は学生時代から現在まで根掘り葉掘り聞いてっちゃいます!よろしくお願いします!
▼早速!経歴を拝見すると学生時代にインターンや事業運営などかなり積極的に参加されていたと思うのですが、そこにはどんな目的があったのでしょうか?
学生時代から起業家になるという目標があり、それに向けてがむしゃらに活動した記憶がありますが
前半はその気持ちも曖昧で、遊んでいた記憶しかないです。笑
大学1年の時にクラブイベントを開催するインカレ団体を立ち上げて、大きな目的もなくとにかく遊んでいました。朝まで飲んで学校行かず、単位落として、落第寸前みたいな学生生活でしたね。。。
そういう生活を続けるうちに、健全な危機感が迫ってきまして。
このままだと大した実業家ライフを謳歌できないんじゃないかと思って
後半は人が変わったように、起業に向けて動いていました。
よく東京に行って、色んな人を紹介してもらっては事業の相談をしていました。
学生時代の僕が考えていた事業は今考えるとかなりチープなので、もちろんバカにされることも多かったですが、学生ということもあって応援してくれる人もいました。
遊びの経験、起業に向けた活動全て込みで人としてとても成長できた学生時代でした。
▼青木さんの人望もあって、支えてくださる方がたくさんいらしたんですね。ちなみに、尊敬している起業家は誰ですか?
ベタですが、イーロン・マスクとか好きですね。あとはリチャードブランソンもいいですね。あんなに楽しんでいるイメージがある起業家は他に見ない。僕らが目指す世界はあの人が大きなヒントになるかもしれませんね。
▼『世界中の働くを、たのしく。』が株式会社CACTASの目指す場所ですもんね。では、学生時代から起業を目標としていた中で、何故一度PR会社に就職をしたのでしょうか?
卒業後すぐに起業することも考えましたが、会社という大きな「組織」について自分が知らない領域が多かったので、一社にどっぷり浸かってみようと思い、就職することにしました。PR会社に入社した理由ですが、実はPRそのものに大きな興味があったわけではなく、何かの雑誌で社長を拝見したのがきっかけでした。投資家/実業家として活躍されていて、グローバルな視点を持っていて、時代を作る会社の強いパートナーとしての一面もあると感じて、それが入社の決め手でした。
勤めていた会社を辞め、起業をした経緯やきっかけ、エピソードがあれば教えてください。
会社への不満は一切なかったのですが、どうしても起業したい気持ちが出てしまって新卒2年目の途中で退職しました。
▼おっと!意外と早かったですね!!笑 ちなみに、入社当初の青木さんはどんな社員でしたか?
前職入社当初は忘れっぽいという性格が起因となり、怒られることが多かったですね。もはや病気かと思われてたと思います。笑
どこの会社もそうなのかなと思うんですが、新卒一年目って雑用もたくさんあるし、単調な業務も多いので、実業をするための成長実感を得るのは難しかったのが最初の方かな。(今思えば普通)
それでも土日にイベントをしたり、週に10個事業を作るというマイルールを決めて日々を送っていて、ビジネスモデルや事業計画を立てる勉強を進めていました。以下を積み重ねとしてコツコツやっていました。
①日常で不便や困ったことをメモに書く
②それを解決する事業を考える
③人に話して解像度を上げる
繰り返しているうちに本気でやりたいなと思ったものをやろうと決めてました。
前職の状況で転機が起こったのは営業職に転身した頃。営業の素質があったのか、営業成績が社内でも評価が高く1年目で数千万の利益を持ってきてたのでよくやったのかなと思います。まあ運良かっただけだと思いますが。笑
それなりに期待もやっとされ始めたかなって時期になって。
でも、そこで辞めましたね。完全に伸びている最中に辞めたので僕を知っている人は、なんでやねん!って思ってたと思います。(青木さんのなんでやねん!いただきました。おおきに。)
▼えええええそんなタイミングでの決断!!!!当時の青木さんに迷いはなかったんですか?!
起業は「失敗することがほとんど」とよく言われるじゃないですか。そんなリスクは年取れば取るほどとれなくなってくるし、家族とか守るものが増えたときに、起業の選択ってハードルかなり上がると思うんですよね。
あとは、世界的企業を作るにはいくら儲けないといけないやろ?って考えたら「あぁ、時間が足りないな。」と思ったので迷わず進みました。当時26歳でしたが、すでに遅いなくらいに思ってました。
あとやりたいと思った事業ができたらそっちに行く!って決めてたので。
▼時間は有限ですね。私も実現したいことに向けて、一秒一分一時間一日を大事に使います。
今の会社のミッションである「世界中の働くを、たのしく。」はどうやって生まれたのでしょうか?
普段通り、日常で出てきた課題を書いていたとき、何度か同じことを書いていたものがあって
なんてワードが忘れましたが、「働くのが辛い若者」的なものでした。
飲みに行った時に友人や先輩が会社の愚痴を言ってたり、明日から仕事だと辛そうな顔をしてるのを見ると、一緒にいて楽しくなくて。逆に僕は会社の仕事もずっと楽しかったし、明日はこんな仕事をしようとワクワクしていたのですが、温度感が全然違いました。これを無くしたいなと思ったのがきっかけです。
人生の多くの時間を占める働く時間をもっと豊かなものにしたいと思って
そのために必要なこととかをどんどん考えていく先に今のミッションがあり、今の事業モデルやビジョンにつながりました。
働き方を改善するものを作ったり、キャリアのミスマッチを無くすとかも非常に重要なピースですが
ディティールの課題解決だけでなく、抜本的な仕事の仕方の改革をしないと、大きなインパクトにならないと考えてキャリアインフラを作ることを決めました。
時代の流れから考えて、「企業⇄正社員」というつながりだけでなく、フリーランス/副業など多様な関わり方も一般的になる中、「プロジェクト⇄個人」という関係を健全に作ることができる、組織にとっても個人にとってもより自由で確実で、パフォーマンスの高い選択ができる世界を作ろうと思ってます。
世界中のプロジェクトに世界中の個人が参画できるってだけでなんか楽しくないですか?
この世界作りに人生史上一番興奮したので、ミッションにしました。
CACTASがスタートして大変だったことを教えてください。
1年目はお金がなさすぎて、苦労しました。
最初はまだコミュニティの事業とか、クラウドソーシングとかやってなくて
新規事業を立てながら、動画制作の受託事業をメインで動いていました。(その頃からフリーランスや副業で動ける動画クリエイターを集めていってて、これが今のMOBALって事業になります。)
受託の事業って実績ないと相手にされないので、仕事を成立させること自体難しくて、「え、もう倒産するやつ?」って思ったり、あとは普通に高いオフィスに入った(従業員の給与全部足し合わせてもオフィスの方が高かった)ので、固定費に苦しめられ続けました。さらにお客さんが飛んだりした時にはもう笑ってましたね。ほんの一部のエピソードで伝わりづらいですが、当時の僕にはきつかったですね。
▼素敵なオフィスに入居している現在からは想像しづらいのですが。。その時のメンバーは何人ですか?
3人かな。一番弱みだったのは、動画制作を生業とするのに誰も動画を作ったことがなかったこと。
大和田は動画クリエイターでしたが、当時は今のようにいい感じの動画を制作できなかったですし、僕と荻田にいたってはクリエイティブかじってましたが、動画制作領域の人ですらなかったので、今思えば本当にビジョンだけでよく生きてこれたなと思ってます。笑
動画に関わる本や動画、記事などは片っ端からインプットしてたので自信だけはありましたね。当時は僕自身もテレアポ1日で100コール近くはしてたし、飛び込みやってみたり、色んな交流会に参加してコネクションを増やしたり、メールなんか検索して出てくる会社大体送ったんじゃないかな?賢くやれてなかったですが、行動量だけは多かったと思います。
日中は営業、19:00以降と9:00までの朝でその他の業務を片付けるような感じでした。
行けるところは全部行って、そこで獲得したクライアントからおまけしてでも受注を得る、その繰り返しだったかな。
おかげで体力はついたし、ビジネスマンとしての足腰がかなり強くなったと思っています。(精神的にも身体的にも)
週に何回もオフィスに泊まってたし、金もあまりないんでカップ麺とプリングルスをよく食べてました。笑
今でこそ相談も多くて、問い合わせも増えているので、あまりアウトバウンドはしていませんが、0→1の最初は泥臭いものなのかなと改めて考えても思いますね。
でもその経験があるから会社がどうなっても最悪自分の行動量で逆転できると思ってます。笑
楽しさと、泥臭さ。どちらも仲間と一緒に乗り越えていくことで、より「組織」としても強くなる。
起業当時の3人から、仲間がたくさん増えましたね。CACTAS事業・CATCTAS社員の魅力を教えてください!
CACTASは、日本に留まらず海外のクリエイターやグローバル企業とも繋がってます。世界規模でのデジタルインフラに挑戦しているところは非常に面白いと思います。働くという領域での大きな課題解決は、やりがいが大きい仕事だと思います。
社員の魅力は、その世界実現に向けてみんな積極的で、スタートアップそのものを楽しもうという気持ちがあることですかね。
もっと仲間増えて欲しいな
今後のご自身の目標は?
世界を代表する会社を作って、幸せを増やすことです。具体的には100兆円企業を作ろうと思っています。そのためにまずは世界をまたにかけるクリエイターとプロジェクトをつなぐインフラを作ります。
▼青木さんが世界に目を向けるのは何故ですか?
日本はとてもユニークマーケットなので、常に世界に目を向けないと時代遅れになってしまう気がしていて。あとはシンプルに会社としてゲームチェンジャーになるためには、より大きな課題に立ち向かうべきだと思ってます。市場規模とか考えると海外展開は当たり前な展開かもです。
本日は貴重なヒストリーを語っていただきありがとうございました。
青木さんが学生時代から積み重ねてきた結果が今のCATCTASだと考えると、とても感慨深くこれからも守っていきたい、世界中に広がってほしい想いだなと思いました。私自身もこれからがすごく楽しみです。