疲れがかすかに残る朝。
日中よりも重い瞼を持ち上げ、まず取り掛かることは歯磨きだ。
口に咥える歯ブラシの毛先は、軍隊のように綺麗な直立で寸分の狂いのない列を為し僕の口の中に飛び込んで来た。
軍隊たちが今日も懸命に口内の清掃に取り掛かるさなか
僕は、またいつもと同じ問いを投げかけている。
「中川皓之が、俺に求めていることは何なんやろう。」
アスナロは2018年11月15日に誕生した。
まだ生後半年の赤ん坊である。
多分アスナロは男の子だ。
根拠はないが、なんとなくだ。そして、こういう勘は大抵当たる。
アスナロは寂しがり屋で、常に多くの仲間を求める。
アスナロは早くも言葉を話し「サプライズバリュー」が口癖である。
アスナロは走りまわることが大好きで、眠りにつくことをしない元気な奴だ。
そして、時に年齢に似合わないほど冷静な判断を下し’’誰よりも’’合理的であるのが特徴だ。
そんなアスナロの生みの親は中川皓之。
何かと気が合う友人であり、人として尊敬する一人の男だ。
そして、共に助産に入ったのが東恵児。
馬鹿みたいに真っ直ぐな奴で、これまた尊敬する一人の男である。
情熱というベールに包まれながら産声をあげたアスナロに、僕らはどんな景色を見せてやれるのだろうか。
未来を想像し、創造するためにはどうすれば良いのだろう。
恐らく、そのヒントは過去から現在に続く物語にある。
この記事では、アスナロが誕生するはるか昔から続く、中川と僕の物語を紹介しようと思う。
「さとし!!どこ座るん?」
学生街に佇む居酒屋の片隅で、誰かが声をかけてきた。
聞き慣れない声の方向へ目をやるとエンジニアブーツを履いたギャル男が微笑みながらこちらを向いていた。
(こいつ誰やっけ・・・)
同志社大学に入学して2,3週間が経過した2010年の4月下旬。
その日は入会したテニスサークルで他サークルとの合同飲み会だった。
「中川皓之です。みんなからは’’ひーくん’’って呼ばれてる!さとしやろ?」
エンジニアブーツのギャル男はこう自己紹介をしてきた。
「さとしもエンジニアブーツ履いてるやろ!だから声かけてみてん(笑)」
初めましての大学生が話しのきっかけとすることは大概こんなもんである。
互いの自己紹介をそこそこに飲み会が始まった。
飲む奴がかっこいい。飲む奴がイケてる。飲む奴がモテる。
そんな、虚構の世界の住人たちは、矢継ぎ早にグラスを傾けていた。
呑まれた連中をよそに、ひーくんは落ち着きを感じさせながらお酒を吟味している。
「ひーくん全然酔わんやん」
飲み方を知らないガキからすると、その姿はどことなくクールで大人だった。
(こいつと仲良くなれそうやな)
根拠はないが、なんとなくだ。そして、こういう勘は大抵当たる。
そして、この勘は見事に的中。
エンジニアブーツという共通点から始まった謎の友情は、ここから一気に加速していくことになる。
ひーくんとは、同じサークルではなかったが大学で多くの時間を共にした。
どことなく気があったんだと思う。基本的にクズで、人間味があり、人に寄り添う術を知っている。
もちろん、彼女でもなんでもないが、ほとんど毎日電話をしていた。仕様もない相談を彼に持ちかけたり、持ちかけられたり。
今思うと何をそんなに話していたのかが不思議である。
そして、自分自身の過去を誰かに初めて話した相手でもあった。
それぐらい受け止める力を持っており、人を安心させる力があった。
気が付けば、いつしか絶大な信頼をおける存在になっていた。
ただ、自分との共通点が多い奴ではあったが、彼はどこか違う景色を見ている感覚があった。
「どんな景色を見ているのだろうか。」
そんな疑問があった。
大学の3年にもなると、彼はビジネスの話を飲みの席で多くするようになった。
夢を語った。そして圧倒的な情熱を纏い実際にビジネスの世界で行動していた。
頭がキレ、想いが迸る彼の刺激的な話を聞き、何故か心が軽くなった気がした。
「見ていた景色はこれか。」
なんとなく、そう感じた。
でも、その感覚は一瞬で消え去った。
人間臭さを感じさせるひーくんの話を聞いている限り
見ている景色はまた別にあることは容易に想像ができた。
誰よりも強いが、誰よりも弱い男は、どんな景色を求めているのだろうか。
疑問を残したまま大学を卒業し、それぞれのフィールドに活躍の場所を移すこととなった。
社会人になってからも、たまにお酒を飲みに行った。
酒場の喧騒に反して、ひーくんは落ち着きを感じさせながらお酒を吟味している・・・はずだった。
「お前酒弱なったな(笑)」
相当なプレッシャーと責任感に苛まれながら、成果を出していることが容易に感じられた。
こんな風に変わった部分もあれば、不変の部分もある。
仕事では相変わらずの大活躍。そして、他愛もない話をすることも変わらない。
やっぱり人間臭くて、友人思いな奴だ。
何も変わらない。
そして、彼が求めている景色が想像できないことも。
時は進み、2018年9月下旬。
彼の存在そのものが、自分自身の仕事に大きな影響を与えていたのは言うまでもなかった。
僕は仕事も順調で、気が付けば会社では一番大きな予算を任されていた。
幹部候補生として重宝され、役員からは後任に指名されたり(まあ、冗談半分やと思うけど)。
そんな中、一通のLINEが届く。
’’中川皓之’’
「起業しようと思うねんけど、どう?」
ほう。ついにか。
「ええと思うで!!なんの会社立ち上げんの?頑張れよ!」
「いや、一緒にってことやで?笑」
一瞬意味がわからなかった。
別の領域で仕事をしている中で、まさか誘われるなんて思いもしなかった。
晴天の霹靂という言葉を生まれて初めて使ったくらいだ。
もう、興味しかない。
心に大切にしまってあるコンパスは、しっかりと中川皓之との未来を指している。
讃え、そして支え合った友人からの贈り物だ。
そして僕は、次の日には会社に退職願を出していた。
こうして始まった僕の次なる人生は、尊敬する友人との新たな世界への航海であった。
航海であると同時に、彼の見ている景色が鮮明になった気がした。
勿論、鮮明になったのは九牛一毛に過ぎないが。
そして、ひーくんは中川社長に’’名前’’を変えた。
アスナロが誕生ししばらくが経った。
まだまだ不安定で二足歩行なんて到底できるわけがない。
そんなアスナロを見ていると、自分自身の小ささに嫌気がさすこともある。
意気揚々と出港したが、楽しさと憂鬱さが交錯する毎日だ。
この二律背反の要素が毎時毎分襲いかかる。
憂鬱なのは、結果が全てではない。明日の予定が空白だからでもない。
掲げた信念を曲げず、仁王立ちしている仲間の優しさを感じる瞬間だ。
この憂鬱は当事者しか理解し得ないかも知れないが、中川社長も同じ、いや、それ以上であろう。
「中川皓之が、俺に求めていることは何なんやろう。」
考えれば考えるほど憂鬱と向き合うことになる。
気が付けば、自己内省は日課だ。
ここまで、自分と向き合うことがあっただろうか。
そして、自分のことが好きで仕方なかった前職時代の自分に腹が立った。
そんな憂鬱が頂点に達したとき、食事をしながら妻が僕に語った。
「中川さんが凄いのは分かるけど、さとしくんも凄いよ!起業のタイミングで声がかかるって、さとしくんがそういう生き方をしてきたからなんやろうな。そんなさとしくんを私は尊敬してる!」
そうか。隠していたのにバレてたか。
いつしかプライベートの空間で憂鬱を隠し切れない自分がいた。
そして、妻はこう添えた。
「中川さんが求めているのは’’さとしくん’’なんやと思う!」
この言葉にどれほど救われただろうか。
収入が格段に下がり、安定しない状況を受け入れ、毎朝送り出してくれる妻が
語るこの一言には大きな重みが感じられる。
記録せずとも記憶に残るこの言葉は、抽象的だが何より本質的だ。
そして、また顔晴れる。
なによりもこの言葉で、彼が求めていた景色も明確になりつつあった。
先日、僕は結婚式を挙げた。
これまでお世話になった方々へ感謝をする一日だ。
笑顔で在ると思いきや、急に何かが頰を伝う瞬間もある。
人間のあらゆる感情を総動員した高貴な時間だ。
そんな結婚式にて主賓の挨拶を行なったのはほかでもない中川社長だ。
いや。
内容を聞いている限り、主賓の挨拶を勤めたのは’’ひーくん’’かな。
9年前の今日、出会ってそこそこの二人は未来に戦友になることも
そして、主賓の挨拶を勤めるのが彼であることを知る由もない。
別の道を同じ志で歩く彼らが友人なら
同じ道を同じ志で歩く彼らは戦友である。
アスナロは寂しがり屋で、常に多くの仲間を求める。
アスナロは早くも言葉を話し「サプライズバリュー」が口癖である。
アスナロは走りまわることが大好きで、眠りにつくことをしない元気な奴だ。
そして、時に年齢に似合わないほど冷静な判断を下し’’誰よりも’’合理的であるのが特徴だ。
もし僕がサプライズバリューを体現できなくなってしまったら。
もし僕が走るのをやめて止まってしまったら。
アスナロの成長が止まってしまう。
その時はアスナロの合理的な判断に任せることになるのかも知れない。
でも、大丈夫。
僕には、もがいても成果を引き摺ってくるようなユース生たちがいる。
仕事を楽しいと感じられるのも彼らのおかげだ。感謝しかしていない。
もし苦しい環境下で共にアスナロを育てて行きたいという有志がいるのであれば
僕の’’弱さ’’を理解した上で声をあげて欲しいと思うし、何よりアスナロは常に多くの仲間を求めている。
多くの個性でアスナロを輝かせてやりたいと願う。
疲れがかすかに残る朝。
日中よりも重い瞼を持ち上げ、まず取り掛かることは歯磨きだ。
口に咥える歯ブラシの毛先は、やや猫背になりながらも懸命に列を為し僕の口の中に飛び込んで来た。
そして僕は、いつもと違った問いを投げかけている。
「アスナロにどんな景色を見せてやれるだろうか。」
僕たちの物語はどこまでも高く夢を描いていくだろう。
根拠はないが、なんとなくだ。そして、こういう勘は大抵当たる。