株式会社アスナロHS管掌の東です。
日頃から弊社代表の中川から
「自身についてのフィードを書け」と言われていたので
文章を書くのは苦手なのですが、筆をとることにしました。
これといって中川みたく誇れるものも、特別な経験をしてきたわけではないですが、
少しでもこの文章を通してアスナロに興味を持っていただければと思います。
まず、初めに私の自己紹介から。
名前:東 恵児(ヒガシ ケイジ)
卒業大学:関西学院大学
年齢:25歳
前職は代表の中川と同じネオキャリアに就職し、そこで新卒採用担当を経験してから、
中川・髙木と共にアスナロを創業いたしました。
なぜ、中川と共に起業したのか?どれぐらい中川が好きなのか?も書かせていただきます。
その前に、この25年がどんな感じだったのかをかいつまみながら徒然と。
【幼少期〜小学校】
片田舎にある東家の長男として生まれ、小さい頃は容姿端麗・頭脳明晰であったことから
「神童」ともてはやれていた幼少期でした。通っていた幼稚園・小学校ではもちろん「モテモテ」で
幼いながらに「自分って結構イケてるんだー」とも思ったりしていました。
また、両親も両親で周りから言われる言葉に踊らされ、
「この子はジャニーズで将来活躍する!」と周りに言っていたのを
薄々でありますが憶えていたりします。(ダンスなんかも習わされたりしていました笑)
そんな結果、両親からも周りからも非常に甘やかされて育ち
「自分中心に世の中が回っている」と本気で思ったりもしました。
その代償としては、好き嫌いが非常に多く今ではたべれる食材より
食べれない食材の方が多いんじゃないかってぐらい、好き嫌いが激しいです…
そんな僕を見て両親も少しは旅をさせないといけないと思ったのか
小学校5年生の頃から中学校受験を視野に入れた塾に入れさせられ
中学からは中高一貫の男子校に進むことになりました。
【中学〜高校時代】
かなり田舎で育ったこともあり、狭いコミュニティーでしか生きてこなかったので
周りの人たちのことを誰も知らない経験をしたことがなかった僕は
とても戸惑ったことを覚えています。(この時に自分はコミュ症だと気づいたのかな)
大半の中学生であればまずは部活に入ったりするのだと思いますが
自身は通学に1時間半掛ることと、また運動が嫌いであったこともあり
部活などには入らずに学校が終わればせっせと友達と遊ぶ日々を過ごしていました。
その結果、中学1〜2年生時は勉強などは一切せず、中間期末でもいつも中の下と
特段これといったこともなく過ごすことになります。(井の中の蛙だと知らされました)
そんなこんなあって、中学3年生になり、この時から大学受験?を意識するようになります。
というのも、中高一貫であったので、高校もそのまま進学することができる上、
大学も推薦で行けるというのを知ったのが中3であったからです。
どうせなら、塾や予備校などには行かず、楽して大学に行きたいという思いがあったので
ここから大学には推薦で行くということを目標に頑張りだします。
1度も本気で勉強などをしたことがなかったので、まずはどんな方法で勉強したらいいのかさえわからず、
テストに臨むことが多かったのですが、テストを受けるにつれて教科書に書かれていることがそのまま出ていることに気付き、
ここから詰め込み式の勉強でテストに臨むことになります。(今思えば考えずとも思い付くことではありますが)
中3の終わりからテスト2週間前から毎日教科書・ノートに向き合い、ひたすら暗記を繰り返し、
一語一句完璧に覚えるまで読み込むことを続けました。
(熱が出た時も泣きながら暗記をしたのが懐かしいです...結果インフルでテスト中に保健室に運ばれましたが...笑)
その結果学内のテストでは1〜5位の順位をうろつけるぐらいまで順位を伸ばすことができ
高2の夏には早慶上智・関関同立全ての推薦を取れ位置まで上り詰め
関西の大学で1番校舎が綺麗だった関西学院大学に行くことになりました。
他の人からすればこれいった経験ではないものの、
自身の中では初めて自分で考え行動し結果を出すことができた良い経験でした。
【大学時代〜今にいたるまで】
大学に入学してからは、男子校ということもあって
周りに女性がいることに非常にときめいたのを覚えています。笑
関学では1番有名であったテニスサークルに入ったのですが
そこからTHE 大学生に変貌し、学校にも行かず毎日遊びほうけていました。
(スーパー金髪クソ野郎でした。笑)
(その結果留年はしましたが、かけがえのない思い出は作ることはできたので後悔はしていないです笑)
ここからが、アスナロの代表である中川との出会いになるのですが
1年生の時にアルバイトをした居酒屋が中川との出会いになります。
よくあるチェーンの居酒屋なのですが、そこで中川は持ち前のカリスマ性を発揮し
アルバイト先でもみんなの”頼れる兄貴”的存在でした。
当時の僕もそんな中川に憧れを抱いていたものです。
(なんで憧れを抱いたかは詳しくは書けない内容なので、ご察しを。。。)
そんな中川ですが、よく中川と僕が似ているとスタッフからもお客様からも言われており
極め付けが、その当時の僕の彼女が僕と中川を間違えるという...
中川と似ていると言われすぎて、自分もいつか中川になれるんじゃないかと思い始めたりも。
そんなこんやで、中川が大学生ながら子どもができたり、家を買うなどの破天荒ぶりにも驚嘆していたのですが、中川も就職することになる一旦距離が開くことになります。
そして、自分自身も就職活動のタイミングになり就活をしたのですが
「中川が行ったネオキャリアってどんな会社なんやろ〜?」ふと思い
説明会に行くと中川がたまたま説明会を担当しており、衝撃的な再会を果たします。
大学の頃から確かに頭は良かったものの、新卒3年目ですでに新卒採用責任者まで上り詰めていることに
衝撃を受けつつ、自分もこの会社に入れば中川を越すことができるのではないかと思い
説明会の段階でネオキャリアに入ることを決意。
そこからはトントン拍子で選考を進み、無事内定もいただくことができました。
(中川と僕の関係は面接官には伏せられていたのですが、どの面接官も中川と似ているコメントしていたらしいです笑)
そして、中川からのプッシュもあったおかげで大学時代から新卒採用部でインターン生として働かしていただいたりもしました。
(内定者代表挨拶とかもプッシュしていただきましたね。笑)
そして、入社を迎えるにあたって、ネオキャリアでは新卒研修が行われるのですが
その研修で上位を取れば新卒採用部に配属されることもあるということだったので
新卒研修は死に物狂いで頑張ったのが懐かしいです。
(持ち前のグリッド力が最大限に発揮されたかなと)
新卒採用部に配属されるために、誰よりも結果にこだわった自信があります。
その結果、5/400位とまぁまぁの結果を残し、無事中川と同じ新卒採用部に配属されることになりました。
配属されてからは、
中川に早く認められたいの精神で「1番早く成果を出してやるんだ!」の思いで頑張った結果、
その年の社員総会で表彰される形になりました。ただ、その社員総会には中川出席せず。。。
長年の夢であった起業することを決意し、社員総会の前にネオキャリアを退職することに。
その後を追う形で僕もネオキャリアを退職し、中川とともに起業することを選びました。
(僕のわがままを受け入れてくれ、かつ暖かく送り出してくれたネオキャリアには感謝しかないです。)
【最後に】
めちゃくちゃ長くなり申し訳ないです…そろそろ締めます。。。
結論、中川に紐付き過ぎた結果、運命共同体にまでなってしまいました。笑
採用をやっていた時に「人で会社を選ぶのはダメ!!その人の元で働けるかどうかはわからないんだから!」
とよく聞いていましたが、そんなことはないかなと。
本気でこの人と働きたい!って思うことって人生で見てみても滅多にない経験だと思うので
その気持ちが本物であるのであれば、何年掛かってでもいいから、その人の元で働くチャンスを
自らで掴み取るべきなんじゃないかな。自分は中川の元で働く為にそうしてきたので。
総じて、アスナロもまだまだ発展途上の会社でうまくいかないことばかりなのですが
心から尊敬する中川とともに働けてることに日々感謝で一杯です。
けど現状に満足することなく、次は中川と共にこの世界に新しい波を起こしたいなと。
たいそれたことを言えるぐらい何かをやったわけではないけども
アスナロであれば今まで誰も成し遂げることができなかったことですら成し遂げられると思っています。
そして、このアスナロを通して多くの人の「人生の記憶」に残るような何かを届ければなと。
その為に、自分で自分の限界は決めず、常に中川と共に挑戦し続ける人生を。