#普通(読み)フツウ
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。
1 たいてい。通常。一般に。「普通七月には梅雨が上がる」
2 (「に」を伴って)俗に、とても。「普通においしい」「普通におもしろかった」のように、称賛するほどではないが期待以上の結果だったという意味合いで、肯定的な表現と組み合わせて2000年代から用いられるようになった。
(デジタル大辞泉より)
この言葉を見ると、英語教師である父から「普通に美味しい」はおかしいと言われ続けた記憶が思い浮かびます、揚羽の望月です。今思えば若者言葉だったんですね…
というわけで今回は、学生時代「普通が一番」と思っていたという
内定者の渡辺くんにインタビューしてきました。
渡辺 樹(Watanabe Itsuki)
神奈川県川崎市生まれ、川崎市育ち。
立教大学 経営学部 経営学科卒業予定。
中学でサッカー、高校で弓道、と部活漬けの学生時代を過ごす。
高校時代にマーケティングに興味を持ち、立教大学経営学部へ。
ブランドマーケティング専攻のゼミに所属し、
9度ビジネスコンテストに参加するなど、ビジコンに没頭。
特に”ブランドデザイン”がテーマが好きで、ブランディングに興味を持つ。
趣味はサッカー観戦(主にDAZNで川崎フロンターレの試合を観る)。
今までインドア派だったが、卒業旅行で行った小笠原諸島が楽しすぎ、
アウトドアに興味を持ち始める。
Chapter.1 「普通であること」への執着と「やりたいに素直になること」への恐怖
ータイトルには「普通が一番」とありますが、就活当初の渡辺くんはどんな考えをお持ちだったんですか?
普通の会社で働いて、普通に仕事をして、普通にお金をもらって、普通に結婚して。
強いて言うならマーケティングを仕事にできたら楽しいな…と、人と比較して、外れない人生であれば良いかなと思っていました。
今の自分からすると、「普通の会社って何!?!?」と一目散にツッコみたくなるくらい、曖昧なんですけどね(笑)
―「人と比較して、外れないこと」が渡辺くんなりの普通だったんですね。
そもそも、「普通でありたい」と思うようになったのはいつからなんですか?
「普通でありたい」と思うようになったのは、高校生の時からだと思います。
まず、僕の幼少期からの性格として、「人と比較する」という癖があるんですよね。
でも、中学校までは、「人と比較して、勝ちたい」と負けず嫌いに思っていたんです。ただ、高校に入ってからは徐々に「人と比較して、外れないこと」と、「普通であること」を重視するようになりました。
ーそうだったんですね。
そもそも、「人と比較する」性格の癖はなぜ生まれたと思いますか?
人と比較する性格には、3個上に姉がいることが物凄く関係していると思いますね。
というのも、僕が褒められるときには、“姉と比較して” 褒められることが多かったんです。「お姉ちゃんはなれなかったけど、徒競走1位なれたのすごいね!」みたいに。
それなりに優秀な姉だったからこそ、比較されることが多くて、小中学校の時の僕のテーマは、 “常に姉に勝つ” でした。
中学では学級委員をやったり、部長をやったり、姉がやってこなかったことをとにかくやって褒められようとしてましたね。
また、今思うともっと真剣に考えろよと思いますが、高校受験の第一志望も姉が落ちた高校にしていました。とにかく姉に勝ちたかったんだと思います(笑)。
―進路を考えるときにもお姉さんが絡んで来るとは…!お姉さんと比較されることが多かったからこそ、「人と比較して、勝ちたい」と思っていたんですね。
では、「普通でありたい」と変化したのはなぜだと思いますか?
一番の理由は、姉という比較対象を失って、自分をどのように評価したら良いか分からなくなったからだと思います。
受験勉強の努力も実って、第一志望の高校には合格したんです。
でも、そこまで “常に姉に勝つ” をテーマに姉と比較して頑張ってきたので、姉と違う進路になったときに、どうすれば良いか分からなくなっていました。
その当時、誰かと比較しないと自分を評価できなかった僕は、周囲の友人と比較し始めるのですが、文武両道を掲げる進学校だったこともあって、みんな何でもできる子ばかりでした。
その時に、「自分の特徴って何だろう?」と思いました。姉には勝てたかもしれないけど、他の子と比較したら、特段できるわけではない。
どうすれば良いかを考えた末に、強みを持つことよりも、
せめて他の子と比較して外れないくらいの「普通でありたい」と思うようになりました。
そこからは、「これやりたい!」とか「やった方が良いかも」と感じても、頑張る前に「普通ではないかもな」と思って止めることが増えました。
―自分をどう評価すれば良いか分からない。だからこそ、せめて「普通」ではあろうと思ったのですね。「普通であること」への執着はいつ変わったんですか?
大学進学を考え始めた頃に変化がありました。一言で言うと、「マーケティングを学んでみたい!」と心から思えたことがきっかけでした。
大学の志望校をどうしようかな~と途方に暮れていた時に、たまたまNHKの『プロフェッショナル』という番組で、マーケターの方の回を見たんです。そこでは、顧客の思考を読んだり、データを駆使したりしながら、プロジェクトを成功に導く過程が描かれていました。
その時に、直感的に「マーケティングなんて、親からも友達からも聞いたことないけど、やってみたい」と思いました。
そこで目指すべき進路が決まると、モチベーションの高まり方が物凄くて。受験勉強もあまり苦と思わず、頑張ることができました。
また同時に、誰かと比較するのではなく、自分の「やりたい!」と思う気持ちで動くことの力も感じました。
だからこそ、大学ではやりたいことにひたすらチャレンジできるようになろうと考えるようになりましたね。
Chapter.2 「樹は普通じゃないでしょ」
―ここまでで渡辺くんの就活以前の考えがとても分かりました!
でも、就活当初の渡辺くんは「普通が一番」と思っていたのですよね?なんだか高校生の時の考えに戻っているような…
そうなんです。大学生活を通して、やりたいと思ったことにはたくさんチャレンジしてきました。
ブランドマーケティング専攻のゼミに入ったり、ビジネスコンテストにたくさん出たり、SA(スチューデントアシスタント)として教授に代わって授業設計から、実際の授業まで行ったり…。
でも、就活という将来を左右しかねない決断を前にしたときに、「誰かと比較して、外れていると思われない人生がいいな」とふと考えてしまいました。
―ちなみに今思えば、どうしてそう考えたんだと思いますか?
今思うと、家族や先輩など知っている人が歩んでいる道が正解だと思っていただけだと思います。自分の中での正解を考える前に、前例を答えにしてしまっていただけというか。
今の自分なら「正解かどうかの考える前に、何でも良いから一歩やり始めてみな」って声をかけると思います。
―そんな中で、どのように就活を進めていたのですか?
就活自体も途中までは、「普通でありたい」という考えに沿って進めていました。
3年生の6月頃に、周りが動き始めたのに合わせて開始し、興味がある領域を見ながら、インターンに参加するという、周囲の身近な人からすると「まあ、普通だね」という日々だったと思います。
またその当時は、マーケティングやブランディングに興味がありながらも、人生全体で見たときに、普通でいられる会社ってどこだろうと考えていたと思います。普通って思われるためには、みんなが知っている会社じゃないとダメだよね、みたいな感じです。
―初期の段階では「普通でありたい」という高校生の自分に戻っていて…
いつから考えが変わっていったのですか?
考えが変わったきっかけとしては、2つあったと思います。1つ目は自分の選択肢の中では異色だった揚羽との出会いで、2つ目は友達から言われた「樹は普通じゃないでしょ」の一言です。
―どちらも気になりますね!
まず、揚羽との出会いから教えていただけますか?
揚羽との出会いは、先輩の勧めで渋々行った就活イベントでした。
ブランディングを行っていることを聞いて、面白そうだな~と思ったのが第一印象でしたね。
ただ、企業規模が大きい方が普通の人生を送りやすいと考えていた僕にとって、揚羽は “普通ではない選択肢” でした。そのため、最初は事業領域以外興味がありませんでした。
ですが、面談を通して言語化のお手伝いをしていただいたり、現場社員の方とお話させていただいたりする中で、「今の自分からすると普通とは思えないけど、めちゃくちゃ楽しそう」と思えることがたくさん見つかりました。
自分が普通と思っていたことの視野の狭さに気づけた点で、揚羽との出会いはとても大きかったです。
―揚羽に出会い、自分について考える中で、視野が広がったんですね。
では、2つ目のきっかけの友達から言われた言葉とは?
3年生の12月くらいにみんなで他己分析しようとなって、何人かで集まって、それぞれの自己分析した内容に対してどう思うかを共有したんです。
その時に、みんなに対して、普通でありたい気持ちを伝えると、
「いや、樹は普通じゃないでしょ!」
と一人の子に言われたんですよね。その言葉を言われたときには、思わず「えっ?」と口をぽかんと開けてしまいました(笑)。
でも、その子なりの僕が普通ではない理由を聞くと、確かに自分にとっては普通でも、この子にとっては普通じゃない行動をたくさんしているだなと理解できました。
―「普通でありたい」気持ちが強かった渡辺くんにとって、驚きの一言だったんですね。
自分のことを、普通だと思っているのもどうかと思いますけど、本当に衝撃を受けました(笑)
また、揚羽で何度も面談をしていただいて、視野が広がりつつあった中での出来事だったため、「今まで考えてきた “普通” っていったい何なんだ?」という疑問も生まれました。
―その疑問への答えは見つかりましたか?
すぐには見つかりませんでしたが、揚羽を含め、いろんな企業の面接を受ける中で見つかりました。
それは、「普通なんて存在しない」ということです。
自分にとっての普通が、他者にとって普通ではないことがあり得るように、人はそれぞれの価値観に沿って行動する中で、他者と重なった価値観を “普通” と呼んでいるだけなのではないかと考えました。
また同時に、「普通でありたい」と思うことは、自分の価値観を持たず、他者の価値観に合わせて生きることなのではないかとも考えるようになりました。
こういった発見があった中で、「普通でありたい」という思いは自分の価値観とか選択に覚悟を持てていないことの裏返しだと感じました。
「普通なんて存在しない。自分の人生なんだから、自分を主語にして、覚悟を持って生きよう。」 これが僕の行きついた答えでした。
Chapter.3 人生の主語は自分。自分が本当にやりたいこととは。
―自分を主語にして生きようと考え始めてから、何か変化はありましたか?
すごくありましたね。
まず就活の進め方も、自己分析を今まで以上に大切にするようになりました。
日常生活の中でも「今こう思ったのって何でだろう」と自問自答したり、抽象的に表現してしまっていることをより具体的な言葉にしていったり。その分、話し方といった面接対策などにかける時間は減りましたが、自己分析を深めた分、スラスラと自分について話せるようにはなったと思います。
また、意識的に人と比較することを止めた分、自分が本当にやりたいことは何かが鮮明に見えてくるようになりました。
その中で、見つかったやりたいことが、「共感から始まる行動を増やすこと」でした。
僕なりの解釈として、共感は「○○したい!」とか「やってみよう!」とか新しい行動を生みだす源泉だと思っています。また共感から始まる行動は、人から促されてやる行動よりもパワーを持っていると思います。
まさに、高校受験の時の自分がマーケティングをやりたいと感じて、行動できた時のようにです。
―自分を主語にしようと考え、やりたいことが明確になったんですね!
ちなみに就活で言えば、揚羽を選んだのはなぜだったのでしょうか?
理由は3つありました。
1つ目はブランディングという事業領域です。
僕がやりたいと思った「共感から始まる行動を増やす」ための手段として、人々の頭の中にらしさを形づくっていくブランディングはうってつけだなと感じていました。
そのため、1年目からブランディングに深く関われる揚羽は僕にとってもぴったりな環境だと思いました。
2つ目は、営業から制作まで関われることです。
選択肢として大手広告代理店も考えていましたが、制作機能はグループ会社に分離している企業がほとんどでした。それに対して、揚羽は営業と制作の方々が密にコミュニケーションをとってクリエイティブを制作しています。
また、僕の考えとして、共感をより効果的に生み出す力を身に付けるには、制作の知識をつけることが必須だと考えていました。そのため、営業から制作まで一貫して関わるチャンスがある揚羽に魅力を感じました。
3つ目は、揚羽の社員の皆さん自身が共感を生み出す存在だったことです。
揚羽について知っていく中で、揚羽の社員の皆さんの仕事に対する熱量の凄さを感じました。また、その熱量が企業を動かしたり、関わったクライアントの方を動かしたりしていることを、顧客インタビューの記事から知りました。僕自身も揚羽の社員の皆さんに共感した一人です。そんな中で、自分自身もこの人たちと仕事がしたい、一緒に働くことで共感を生み出せる存在になりたい、と思うようになりました。これが3つ目の理由です。
ー自分も熱量で”共感”を生み出す存在になりたい!とても熱い自分軸ですね。
そんな渡辺くんですが、揚羽でどんな風に進んでいきたいですか?
まずは常に自分を主語にして、仕事においても取り組んでいきたいです。
というのも、自分を主語にして考えられるようになったのもまだ数か月前の出来事ですし、インターンでも感じましたが、揚羽の仕事に簡単な仕事は一つもないと思います。
だからこそ、辛いことも、悩ましいことも多いと思いますが、そんな時に、自分なら何ができるかと、常に自分を主語にして、考え続けたいと思います。
また、その結果として、自分が関わった人や企業が「やってみよう!」と前向きに変化していくきっかけを作れれば最高ですね。
ー渡辺くんが自分を主語にして努力したことが、
誰かにとっての「ポジティブなきっかけ」につながる日が楽しみです。