<プロフィール>
伊藤 佑輔(いとう ゆうすけ/ ITTY)
1993年生まれ、愛知県出身。高校まで愛知県で過ごし、立命館大学入学を機に、京都へ移り住む。在学中はスコットランドへの留学や国際支援活動、バックパッカー生活などを経験。新卒でJTBグループ広告代理店で一般法人営業を担当。その後名古屋のゲストハウスで1年間修行を積んだ後、宿場JAPANへ参画し、
Bamba Hotel,Araiyaなど一棟貸しホテルの責任者として企画運営を行っている。
品川を中心に5店舗の施設運営や、地方の宿泊施設開業コンサルティングを行う宿場JAPANには多様な経歴を持つ社員が集まっている。異なるバックグラウンドを持った宿場ファミリーがこれまでどのような人生を辿って、今宿場JAPANにいるのか。メンバーのライフヒストリーを紹介していく連載。今回は、大手広告代理店を経て現在一棟貸しホテルの店舗責任者を担当する伊藤。
広告代理店でのキャリアを経て宿場JAPANで働くに至った理由とは。
ヨーロッパへ飛び出し固定概念が崩された学生時代
まず出身はどちらですか?
生まれは愛知県で、岐阜に近い田舎のほうで育ちました。
小さい時に家族に連れられて京都によく行っていたこともあり、すごく京都が好きで、京都の大学を選びました。
大学時代はどのように過ごされていたのですか?
昔から映画を見たり、家族旅行で海外にいくなかで、ちょっとした海外への憧れがあって、その憧れから海外のことを知りたくなっていろいろ行動していました。友達になったヨーロッパの留学生が里帰りをする時についていき、バックパッカーみたいな感じで3週間くらいヨーロッパを旅をしたり、国際支援団体に入って活動をしたり、またエジンバラに1年間くらい留学をしたりもしていました。
かなり海外と接点があったんですね。宿や観光を仕事にしようと思ったのもその時からだったんですか?
はい。ヨーロッパの旅ではよくゲストハウスに泊まっていたのですが、当時あまり英語が話せなかった僕にも、その場所ではいろんな国の人が話かけてくれたり、ご飯に誘ってくれたりして、新しい出会いや刺激的な会話がたくさんあったんです。それまで見た目とか国籍の違いとか見えない「くくり」が無意識のうちに自分の中にもあったのですが、いざ旅をしてゲストハウスに泊まるとそのような固定概念が崩されて行く感覚があって、その時そういうのってすごくいいなと思えたんです。
あとこれは留学中によく感じたことなんですが、海外の人と話していると日本の文化や慣習など、今まで当たり前だったことを聞かれる事が多くて。例えば「お辞儀はどういう意味なんだ」とか。その時にしっかりと説明できず、意外と自分は日本のことや日本で起きていることを知ろうとしていなかったんだなということに気づいたのも自分にとって大きなことでしたね。
広告代理店での葛藤と歩み始めたローカルへの道
その後、就職活動についてはどのようにお考えでしたか?
先ほど話したバックパッカーや留学の経験から、日本のことを海外の人にちゃんと伝えて深く知ってもらい、同時に「いいな」と思ってもらえるような仕事につきたいと思っていました。そういう軸で就活をしていると、おのずと他の方と比べてかなり受けた会社も少なかったように思います。
そして大手旅行代理店系列の広告会社を選んだ?
はい。ゲストハウスなど宿泊施設で働きたいという想いもあったのですが、まず観光業を俯瞰して見たいという考えがあって、自治体などをクライアントとして提案するJTBプロモーションという、広告代理店に行きました。
その会社では新規の開拓から、既存取引先への提案、競合とのコンペティションなど営業として一から2年間いろんな仕事をさせてもらいました。
その後ゲストハウスへ?
はい。その仕事自体すごくやりがいがあったり、当時の役員の方には今でもゴルフに誘っていただくほど良い関係を築けたのですが、徐々にやっぱりやりたいことを早いうちからやりたいという思いが湧き出てきて、ちょうどその時の知り合いに声をかけられたこともあり、1階が80年の歴史がある喫茶店でもある名古屋のゲストハウスで1年間という約束で働くことになりました。
たまたまですが、そのゲストハウスが、名古屋市の職員の方々やまちづくりのプロジェクトに関わっている方々がMTGや議論の場としてよく使われていて、ゲストハウスと街の人や街づくりの関係性について考えさせられて、短い期間ですが自分にとって刺激的な場所でした。
宿場JAPANとの出会いはどういうものだったのですか?
やっぱり宿泊業はいいなと思っていていろんなゲストハウスを泊まり歩いたり、探しているなかで、宿場JAPAN代表のタカさんの記事を読んだんです。そこで「ゲストもスタッフも、そして街の人も良いと思えるような宿を作りたい、街のいいところをちゃんと伝えて感動さたい」みたいなことを話していて、それが自分の考えていたいい宿を解説しているような気持ちにさせられてすごく興味を持ち働きたいと思えました。またそのタイミングで本当に偶然ですが、大学時代の友人が宿場JAPANで働きはじめて、そこから代表や採用担当のボブさんをつないでいただいて入社が決まりました。
宿から作る旅の体験を。宿場JAPANでの新たな挑戦
宿場JAPANに入ってからはどのようなお仕事をしていますか?
半年間まず品川宿(ゲストハウス)で働きながら、街の理解を深め、その後は徐々にBamba HotelやAraiyaなど一棟貸しの施設を代表と一緒に担当しました。今は主にその2施設の店舗責任者という形で街のコンシェルジュや店舗管理業務を担当しています。
実際に宿場JAPANで働いてみてどんなことを感じながら働いていますか?
訪れた土地をゲストが心から楽しめるかどうか、ゲストが望んでいる体験ができるかどうかは、その土地で泊まる宿とそこで働くスタッフにかかっていると思います。ゲストの求めているもの、その町の魅力をちゃんとおすすめする、旅行体験の提案を宿場JAPANや僕もすごく大切にしています。僕が担当している一棟貸しの宿では、チェックイン前からお電話で要望をお聞きして、街や旅を楽しんでいただく体験のご提案や、宿泊中のサポートをしています。1組のゲストと共有する時間やコミュニケーション量が多く、楽しんでいただけた提案ができた時は自分もすごく嬉しくて、脳内から快楽物資が出るのがわかります笑
つい最近も泊まっていただいた沖縄の方が私宛にマンゴーを一箱送ってくださったりしたのですが、そうやって覚えていただけるなど、ゲストとコンシェルジュを超えた関係性を築けると本当にやっていてよかったなと思います。
素敵ですね。今後やっていきたいこと、期待されていることはどんなことですか?
今はコロナ禍で状況が厳しいなかなので、今までよりさらに経営側の視点を持って、担当している施設を運営することです。現在売上の数値管理なども行っていますが、新しいプラン作りなどのマーケティング施策や、現在代表が中心に行っている街の方との関係性作り、クライアントとの折衝、メディア対応などもできるようになり、人を巻き込んで、会社や地域、そしてゲストへ宿場JAPANの価値を共有していけたらいいなと思っています。
(撮影:栃久保誠)
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