1
/
5

他業界への転職の決意

私は13年ほど診療放射線技師という世界にどっぷりと浸ってきました。診療放射線技師の仕事は胸部、腹部、整形外科系の骨系のレントゲン、CT、MRI、バリウムを用いた消化管検査、心臓カテーテル検査などが挙げられます。

 最初の大学病院での仕事は不遇の時代でした。私は生まれつき50dB程度の中等度難聴者です。50dBというとハキハキと話してもらえれば聞こえる程度の難聴です。そのためか、スタッフが複数人いる撮影部門でしか仕事を任せてもらえませんでした。それでも、いつか自分がめげずに頑張れば報われると思い、3年間大学病院で頑張ってきました。しかし、任される仕事はそれほど変わりませんでした。

 そして、25歳の時、関西を離れ、日本全国どこかの病院に行って旅してやろうと思い、就職活動を始めました。ある日、国立病院機構東京医療センターへの就職が決まり、驚きと知り合いのいない東京での生活が不安で一杯でした。

 しかし、幸いにも大学病院では経験させてもらえなかった検査を東京医療センターではたくさん経験させていただき、自分の専門分野を見つけることができました。自分の専門分野はバリウムを使った消化管検査。人によって胃の形、胃液状態、体の動かしやすさなどが異なり、また胃を膨らませる発泡剤の量によっても胃の形がガラリと変わる検査です。技師の世界ではバリウム検査は一番腕が鳴る検査だと言われており、できる技師の絶対数が減っています。私自身はそういった背景を知って、やる気が俄然と上がり、6年ほど技術の鍛錬と知識の向上を行ってきました。その努力が実り、外科カンファレンスでも先生から意見を求められるようになり、本当に頑張ってよかったなと心から思えました。

 しかし、東京にきて人の役に立つことの喜びを噛みしめることができましたが、私の世界は医者がトップにあり、その下で私たちが検査を行う。この構図はどの社会でも変わらないことはわかっていますが、患者の窓口は医者であり、私たちではありません。そのことは東京にきてから、ずっと自分の脳裏にあり、寂しさを感じてきました。患者が退院する時、私たち診療放射線技師はその場にはいません。自分の仕事のやりがいとは何か?難しい検査を達成するだけでは、自分の人生、満足し続けることができるのか疑問に思うようになりました。それが、他業界への転職を決意した原点です。

 私は東京にきて素晴らしい補聴器のエンジニアと友人たちに出会えることができ、また、結婚という素晴らしい経験をさせていただきました。でも、これは全て自分がチャレンジしたから得られたこと。33歳なった自分が仕事で新しいやりがいというものを見つけるために25歳の時に起こした「行動」というアクションをもう一度やってみたいと考えています。

幡本 貴彦さんにいいねを伝えよう
幡本 貴彦さんや会社があなたに興味を持つかも