採用奮闘記・コンビニ弁当が何よりも好きだとして
※この投稿はあくまでも個人の価値観に依存しています。
こんにちは。西尾です。
突然ですが、僕はコンビニ弁当が好きだ。
どのくらい好きかと言うと7年間の一人暮らしでほとんど自炊をすることなくコンビニ弁当で済ませるぐらい好きだ。
この7年でコンビニ弁当はかなり進化した。味はもちろんのこと、種類も膨大に増え、しかも商品の入れ替えが凄まじく早くなっている。企業努力を考えると涙が出てきそうだ。
僕はコンビニ弁当が好きだし、コンビニ弁当も僕のことが好きだろう。
しかし最近、そんな僕とコンビニ弁当の間がぎくしゃくした時期があった。
それはなぜか。「社会人らしさ」というやつだ。
社会人になると、突然みんな社会人らしくなろうとする。
ついこの間まで「松屋か吉野家かすき家ならなか卯だなー」なんて牧歌的な会話を繰り広げていたやつらが「渋谷のあそこのバー」だとか「新宿のあそこの肉」だとか突然「良いご飯を食べている俺たち」を演じだす。
僕も例にもれず、社会人らしくあろうと一生懸命色んなお店に行ったのだが、十中八九腹を下した。
繰り広げられる「それっぽさ」と白くてきれいなトイレの壁を交互に見ながら、コンビニ弁当を裏切った天罰が下ったのだ、と悟った。
僕がご飯を食べたいと思える場とは「良いご飯を食べている俺たち」にこれ見よと出てくる謎のソースのかかった肉ではなく、狭い部屋の中で食べるコンビニ弁当であり、くたびれた暗い顔の人たちで溢れかえる22時のすき家であり、いつから飲んでるのかわからない人たちが倒れている汚い居酒屋なのだ。
そんな僕の最大の敵は「会食」だ。
大学生の時はどんなに偉い人と飲みに行くにしても「会食」なんて言葉は無かった。なんだ、ただの飯に「会食」って。いや、役員クラス同士の席なら分かる。お前ら一年目だろ。まだ研修も終わったぐらいだろ。せいぜい「他社のやつとの飲み会」ぐらいだろ。なんだ「会食」ってカッコつけて。
そんな「会食」は容赦なく襲い掛かり、無力な僕はオシャレな店を予約し、なんてことも無いような顔をしながら謎の肉を喰らい腹を下す。
時代は変わった。
ゴルフ接待も今では「昭和」の代名詞となり、キャバクラに会社の人と行くなんてことも聞かなくなってきた。
それなのに、この「会食」だけはいつまでも「ちょっといい店」と相場が決まっている。どこ行ったダイバーシティ。
確かに「はじめまして~僕セブンイレブンで麻婆丼買いますけど何にします?え?ローソンのこれがから揚げ弁当!渋いなぁ~。あ、じゃあ買ったら新宿公園で集合しましょ!」というのは何かヤバイ感じがするし、そこまでとは言わないが、ココイチやデニーズでも良いじゃないか。
働き方改革が世間で叫ばれるようになって二年が過ぎた。
残業時間は短くなり、裁量労働制も取り入れられるようになった。
それでも、まだ心のどこかで「長く働いている者は偉く、ちょっといい店で飯を食べている者が凄い」という風土は散見される。
クラッチに入って、僕の昼ごはんのほとんどをコンビニ弁当にした。
昼ご飯を食べる場所も、タイミングも常識の範囲内で自由だし、食べないでゆっくりと時間を使っている人もいる。
自由だ、と思った。
衣食住という人間の根幹を忖度してはいけないのだ。
皆さんも心の自由とダイバーシティを始めてみませんか。
あの日食べたファミチキの味を忘れてしまわないうちに。
-------------------------------
・・・ちなみに毎日の食事をコンビニ弁当にしている人はごく少数です。ほとんどの人は美味しいランチに行ったり、お弁当を作ってきたりしています。また決起会などではオシャレなお店にも行くので、あくまでも「色んな価値観が受容されている」ということです。
つまり、食事の取り方の多様性から見て分かるように、様々な勤務形態でライフワークバランスや成長速度を自身でコントロールすることが可能な環境が整っています。
「コンビニ弁当ファン」も「会食好き」もみんながお互いの価値観を見守り合って、快適に過ごせるようになると良いですね。
現場からは以上です。
あ、もちろん僕とコンビニ弁当食べて語り合ってみたい!という方、楽しみにお待ちしてます!