「とりあえず、やってみる」の功罪
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私は、とにかく好奇心が旺盛で、どんな仕事にもできる出来ない含め「とりあえず、やってみてから考える」ことが多い。なので、思いのほかハマって成果を出せたこともあれば、やってみたけど動けなくなって失敗をしたことも沢山ある。勝率はたぶん30%~40%なんじゃないかと、実は思っている。
この「とりあえず、やってみる」というスタンス。いいところも悪いところも大いにある。
まず、いいところは「自分のできることの幅や、組織に対しての貢献の方法がぐっと選択肢が拡がる」というところ。
「これ、私の仕事ですか?」と、仕事に自分の仕事かそうでないかの線引きをしてしまうと、そのチャンスはほんとうにやってこなくなる。雑用(と思われること)一つであろうと、それを「仕事」にするのか「作業」にするのかは本当に自分次第。これまでのキャリアで、オフィスの掃除ひとつ、お客様のお出迎えひとつ、お茶出しひとつで商談が決まるという経験をした。コピー1枚とることすら、仕事にするか雑用にしてしまうのかは本当に自分次第。仕事に貴賤はなく、事務仕事だってそれの積み重ねが会社を動かしているのだから、お給料のテーブルや役職がことなろうと、どんな仕事も尊重される価値があると思っている。
ただ、そのスタンスでなんでもやりすぎると、悪影響が沢山出るのも事実。
1つ目は業務過多に陥りがちということ。これは容易に想像がつくと思う。だけれど私がもっと怖いなと思ったのはもう一つの悪影響だ。
それは、「自分がやることで誰かの成長機会や雇用の機会を奪うことになる」ということ。
齢40になってくると、自分でやるより若手にどのように機会を作るかのほうを本来考えてもいい年代なのかも。(人生100年時代の人生の正午は60歳らしいので、そう聞くとまだまだ自分はひよこだなという気にはなるけれど。)気持ちだけはいつまでも若くて新しいことに飛び込みがちなのは、私の良いところでもあり、悪いところでもある。
だけれど、シーンによっては、それを私がやるんではなくて、誰かを頼る、機会のバトンを渡すとか、自分でやらない選択肢を増やさないと、幸せや成長の総量は増えないなと最近思うようになった。
今の私の課題は本当にそれ。
スタンスとして「とりあえず、やってみる」を崩すつもりは全然ないのだけれど、「やってみたあとどうする」の選択肢(自分でやる、以外)を、とにかく沢山持つことを心がけたいな、と、切に思う今日この頃である。