皆さんは「紅」を知っていますか?
紅とは紅花の花弁に含まれる赤色色素のことで、古くから女性の通過儀礼や年中行事において欠かせない存在です。七五三や婚礼の際に口紅として点したことがある人もいるのでは?その他にも、食紅として和菓子などに使う役割も果たすなど、日本の文化とともに歩んできました。
株式会社伊勢半本店(以下、伊勢半本店)は文政8年(1825)に紅の専門店として創業した、現存する女性用化粧品メーカーで最も長い歴史をもつ会社です。創業者である澤田半右衛門は玉虫色に輝く口紅「小町紅」をつくり評判となり、当時は江戸一の紅屋と呼ばれていました。現在、グループ会社では、時代とそれに伴うニーズの変化にあわせて「ヒロインメイク」「ヘビーローテーション」等のブランドを打ち出していますが、その間も紅事業を途絶えさせることなく、今日まで同社の要として力を入れています。
昔ながらの製法で紅を作るのは同社のみで、製法は門外不出。代々口伝で伝えられ、ここ数十年は現役の紅職人は2名のみに限定しています。作業場は、職人以外立ち入り禁止、製造方法を話すことも禁止。文字通り「自分の代わりがいない仕事」をしているおふたりのうちのひとりが今回お話をしてくれた佐々木宗臣さんです。
無関係の職種からの転職。
紅作りは摩訶不思議な仕事。
佐々木さんがこの仕事に就いたのは平成21年、37歳のときのこと。それまでは職人の仕事とは無関係な物流関係の会社でサラリーマンをしていたそうですが、伊勢半本店に勤務する知人から紅製造の職人が引退すること、その後継者を探しているという話を聞きき、自ら名乗り出たといいます。
「転職するつもりはなかったのですが、たまたま職人を探しているという話を聞いて、やりたい、やってみたいと思ったんです。京都に行ってお寺や仏像に感動したこともあったので、日本の文化や職人というものへの憧れがあったのかもしれません。面接を受ける前にここ(南青山にある伊勢半本店 紅ミュージアム)にこっそり見学に来て、『これを作るんだ。自分でも作れるのかな?』という、なんというんですかね、ドキドキした感情がわきました。
佐々木宗臣さん
採用が決まってからは、半年間見習いという立場で仕事をしました。そのうち、先代がいたのははじめの3ヵ月間だけ。それ以降は、私と同じ年齢で私より職人歴の長いもうひとりの職人と相談しながら仕事をするという感じです。
ときに失敗することもあるんですけどね、そんなときはほんとうにどうすればいいのかなって。代々伝わっている手描きの巻物を見て、『あぁ、こうすればいいのか』と。そこから自分の成長を感じたりもします」
巻物に答えは全て書かれているんですか?
「実際に作業をしていると、『巻物にはこう描いてあるけど、ちょっと違う』ということも起きるので摩訶不思議なんです」
今では伊勢半本店のみとなってしまいましたが、江戸時代には多くの紅屋が存在し、職人がその技術を競い合っていました。広報の瀬崎麻未子さんの話によると、「ライバルに技術を盗まれてはなるまいと、巻物にはあえて本来の製法とは異なる記述をすることもありました」とのこと。
今この仕事をできるのは佐々木さんたちおふたりしかいなくて代わりのいない仕事ですが、どんな覚悟をもって始めたのでしょうか。
「入った当時は実感がなかったんです。最初は作り方を覚えるので精一杯で、周りが見えない状態です。先代の作り方を見て、覚えて、自分の中でイメージして体に覚え込ませるという繰り返しでした。そこから落ち着けるようになり、少しずつ慣れていく。それでも、『これでいいのかな?』と思いながらの作業で。出来上がりはしますけど、それが本当に代々伝わってきたものと変わりないのかなという不安は今でも常にあります」
毎日繰り返すことで感覚を掴む。
善し悪しの結果は後から付いてくるもの。
伊勢半本店では直径6センチほどのお猪口に紅を刷いて塗り販売しています。お猪口1個につき50回ほど唇に点すことができるそうですが、そのために必要になる紅花はなんと約1000輪!紅花の開花期である7月上旬から中旬にかけて、すべてを手摘みするため、手が足りず、同社からもスタッフが山形の農園まで手伝いに行くのが恒例です。
写真提供:伊勢半本店
そうして1枚ずつ丁寧に収穫された花弁は石や砂、虫などの異物を取り除き、黄色い色素を洗い流します。その後、発酵させ、ピンポン球くらいの大きさに丸めてから煎餅状に潰し天日干しに。下の写真に写っている「紅餅」と呼ばれる状態にします。
この紅餅から色素を抽出し、お猪口に刷いて商品にするまでが佐々木さんたちの仕事です。
「仕事は朝8時半から夕方5時まで。幾工程もかけて、紅餅から純度の高い赤色色素を取り出します。経験で培った熟練の勘が、玉虫色の紅を作り上げます」
玉虫色に輝く紅。水に濡れる瞬間、この玉虫色が赤くなるのがとても不思議です。同じ紅でも、人によって発色は様々。天然色素だからこその自然な赤は、その人の肌にあった自然な赤となります。
「いいものを作ろうというのは毎回ありますけど、それはバラつきをなくしたいなということですね。自分が見た感じではどれも赤は赤なんですけど、お猪口に刷くとちょっと違って見えたりするので、それをどう調整していくか」
毎日作っていると「これが良い状態だ」というのはわかってくるものなのでしょうか?
「やっていればわかってきますね。逆に『あぁ、なんか違うな』というのもわかりますし。それは見習い期間には全然わからなかったことで、今でも『どうしてこうなるのかな?』ということはありますよ。作業一つひとつの理屈がわからないと、その作業に対する姿勢も変わってきてしまうので、理屈がわかるまでが大変です」
「これは本当にすばらしい出来だ!」と思うこともあるんですか?
「1年に何度か、玉虫の色の具合を見てそう思うことはあります。時間とともに退色してしまうのはよくないので、『これはけっこう長持ちするよね』『いいね』というケースだったり。でも、退色していないのが分かるのは、作ってから2、3年くらい経ってからなんです。原料も自然のものなので、どういった理由で良い出来になったのかは分からない。結果が後から付いてくるという。だから、次の商品にすぐに活かすというようなことはなかなかできません。それに、どんどん作っているので体は忘れています」
和菓子に使う着色料はどのように作るのでしょう?
「紅花の花びらから色素を抽出します。それに小麦粉を混ぜ、熱湯をかけて『タネ』と呼ぶ糊状にして出荷します。お菓子に使う天然色素を作っているのは私たちだけ。創業390年の歴史を誇る金沢の森八さんや、都内の老舗和菓子店とお取り引きがあります」
それだけ着色料にこだわりのある和菓子屋さんが少ないということでもありますね。
「はい。この前、製菓学校で人口着色料と天然着色料の違いについて試したところなんです。最初はどちらも変わりないのですが、時間が経つと天然の方が生地に馴染んで柔らかな色になるんですよ」
無くすのは簡単。
当たり前のことを変わらずに続けていくこと。
伊勢半本店の職人の定年は60歳。先代と同じく佐々木さんにも引退する日がやってきます。後の職人に伝えるために準備しているものはあるのでしょうか?
「用意しているものはいっぱいあるんですけど、自分の経験上、全部を教えても次の人が育たないと思うので、小出しにしていかないとダメなのかなと。経験も積まずに、ただ正解を教わるだけだと自分の成長も止まっちゃうわけじゃないですか。上を目指すにはやっぱり失敗をして考えるからこそ答えが見つかるわけで。そんな感じで考えています。職人になりたいという人に伝えたいことは、ただ作るだけじゃなくて、どうすればこうなるのかなと常に考え続けることを大切にということでしょうか」
佐々木さんが自分の作った商品を使うお客様と対面するのはデパートで紅刷きの実演をするときくらいだそう。そのときに見たお客様の顔が、仕事への活力になっていると言います。
「実演の際にお試し点けをしたのですが、玉虫色が赤に変わったときのお客さんの顔を見たときは嬉しかったです。もうちょっと頑張らなきゃいけないなと思いましたね。
続いてきた物を無くすのは簡単じゃないですか。辞めればいいだけ。でも、また作りたいとなったときにマニュアルというものがほとんどなく、手先の感覚で仕事をしているので時間はかかると思いますね。外の人が巻物を読んでも、何のことを言っているのかわからないはずです」
仕事は自分のためにしていますか?それとも周りの人のためですか?
「職人とはいえ会社に所属していますし、サラリーマンですからね。個人の職人なら『自分のために』とか考えるんでしょうけど、うーん。やりはじめた以上続けていかなくちゃいけないということだけなので、そういうことは考えたことがないですね。この製法を続けていくためのただの一個人、歴史のなかのただの一人という感覚です」
次に繋ぐということは責任も重く、自分なら逃げたいと思ってしまいそうです。ある意味、「繋ぐ」という明確なゴールがあるからこそ、すごく淡々とされているのかなと思いました。重みと、ある種の軽さと言っていいのでしょうか。それらが同時に存在しているような印象を受けます。
「重みは……感じてないのかもしれないですね。今は自分が動けていることもあり、気にしてないというか。両親は親戚なんかに軽く自慢しているみたいですけど(笑)。
自分では自分を職人と思っていないのか、思わないようにしているのかちょっとわからないですけど、ただ作れる人、作る人という感覚ですかね。こういうインタビューや外の場の方が、すごいことをしているのだなと思わされることが多いんです」
最後に教えてください。佐々木さんにとって仕事とは?
「変えないで続けていくこと。当たり前のことを当たり前にできるように、それを続けていくこと。変えたらいけないものです」
先代たちが積み上げてきた長い歴史を背負うこと、自然の原料を相手に全て手作業で、一定の仕上がりを維持し続けていくこと。そこにはどれほどのプレッシャーがあるのか、どう対峙しているのかを知りたくて始めたインタビューでしたが、意外にも佐々木さんは終始淡々と自分の仕事について語りました。紅職人という仕事は、佐々木さんにとって普段の生活に組み込まれた要素のひとつ。「やりはじめたから続けるしかない」「当たり前のことを当たり前にできること」。その言葉に全てが詰まっています。