2016年、不正確な医療情報を発信していた「WELQ」に批判が集中しました。その問題をいち早く指摘した人物の一人が、当時編集プロダクションの記者・編集者だった朽木誠一郎(くちきせいいちろう)さんです。
その後BuzzFeed Japanに入社し、医学部卒という経歴を生かして「ネットと医療」というテーマで情報発信を続けてきた朽木さんは、2019年3月に朝日新聞へ入社。ウェブメディアのスターライターが伝統メディアへ転身したことは、大きな話題となりました。
異色のキャリアを歩んできた朽木さんは、何を為すために朝日新聞社へ入社したのか、そしてこれからのメディアの姿をどう考えているのか。ウェブメディアと伝統メディアの現在について、朽木さんのハイブリッドな視点からうかがいました。
4,000人の組織で、唯一の肩書
BuzzFeed Japanの退職発表後、先輩らから「新聞社は大変な組織だよ」といわれ、「心理的なハードルが上がっていた」と語る朽木さん。しかし入社から半年が経過しての感想は「イメージと違った」。所属するチームのメンバーの半数は朽木さんよりも年齢が若いうえ、トリリンガルのメンバーや、エンジニア兼記者のメンバーなど、多様な人材がいる環境だといいます。そのなかで朽木さんに期待された役割は、それまでの朝日新聞社にはなかったものでした。
−−朝日新聞社へ入社されて、今はどのような業務を担当していますか?
「肩書きは『デジタルディレクター』というよく分からないものになってるんです(苦笑)。これは約4,000人の社員のなかで僕一人だけ。やっていることは『編集者』が一番近い気がします。もともと編プロにいたので、企画をして、ライターさんとカメラマンさんをアサインして、取材をして……というオーソドックスな編集の仕事は得意です。また、新聞社にもウェブメディアがあるので、そこでは通常の編集に加えて、これまでウェブメディアの運営で経験したSNSやSEOの施策をしたり、サイトのリニューアルを担当したりしています。あとはリアルイベントですね。月に1〜2回くらいのペースでイベントの裏方をしています。最近は編集者の役割が広がっていますので、そういった意味でも、僕が今やっていることは広義の編集者の仕事なのかなと思います。記者としては引き続き、健康や医療に関する記事を書いていますが、今のところ編集者、メディア運営全体に関わる仕事の割合が多いです」
−−朽木さんがこれまでのキャリアを経て、マスメディアへ入社したことは驚きでした。
「転職した先にユートピアが存在するとは思っていませんでしたし、当然、新聞社は新聞社でさまざまな問題を抱えています。それでも現時点では新聞とウェブメディアで売り上げの規模がまったく違いますし、弊社には140年の歴史があります。ウェブメディアにしろ伝統メディアにしろ、持続可能性の話をするときに違和感を覚えることが多かったので、入れるなら伝統メディアの方にも入って、その仕組みを知りたい、という思いもありました」
−−“持続可能性の話の違和感”とは、どういうことでしょうか。
「ウェブメディアについていえば、無料広告モデルの場合、収益を上げるにはPVを伸ばす必要があります。そのためには記事数と1記事あたりのPVを増やさなければならない。その方法を突き詰めていけば、社員数を絞り、クラウドソーシングなどで外注費を下げて、読まれやすいタイトルをつけて、内容チェックもそこそこに、とにかくたくさんの記事を公開することになります。これが行き過ぎたのがWELQだったわけです。WELQ問題を指摘したといわれますが、ウェブメディアはどこも多かれ少なかれ、このモデルに依拠して運営をしている。第2、第3のWELQを生まないためには、別の運営モデルを確立しなければならないと思うようになりました。例えば新聞社のウェブメディアは有料課金のサブスクリプションモデルを取り入れていますし、無料広告モデルのメディアでも広告主が豊富にいて、新興のメディアより運営がしやすいのではないか。また、そもそも紙媒体から始まっている新聞社が140年もの期間、どのように運営されてきたのかについても、今後のメディアの運営方法を考えるために知っておきたかったんです」
−−今後の運営課題として大きなウエイトを占めるのは、やはり収益構造でしょうか。
「収益についてはすべてのメディアの課題ですよね。現状、ウェブメディアに流れる資金はそもそもの広告費が伝統メディアよりも少なかったり、ウェブメディアにアクセスを流すプラットフォームのPV単価が低かったりと、苦しい状況にあります。一方で、紙媒体からのデジタルシフトはより急速に進行していくでしょう。そのとき、受け皿になるメディアの運営方法が確立されていなければ、新興にしろ伝統にしろ、メディアが全滅してしまう。苦しい状況だなと感じていたときに、ご縁があって新聞社に入れるかもしれないということになって『今までとは違うアプローチができそうだ』と考えて移籍することにした、というのが入社の経緯です」
今後のメディアに求められるのは、「運営」の実務経験が豊富な人材
新聞社が持つレガシーをどのように活用し、メディアを継続させていくのか。朽木さんの言葉からは、その課題に取り組む姿が見えてきます。
——新聞社を内側から見て、どのような課題を感じていますか?
「ウェブでもそうでしたが、自分よりはるかに優秀な人がたくさんいて、母数が大きい新聞社ではその数も多いと感じます。また、営業部門はナショナルクライアントやラグジュアリーブランドとの関係性を長年にわたって築いています。新聞の販売部数は現状、一定の水準をキープしているため、新しいことにチャレンジする余裕はまだある。さらには不動産や、美術展、変わったところでは『出前館』と提携した事業もあります。外から来た人間から見て、総体として多くのレガシーを持っている新聞社でこれから考えていくべきことは、それらをどう活用するかだと思います」
——「ずっと内側にいた人」にはかえって見つけにくい価値を発掘するのが「デジタルディレクター」だと。
「とはいえ、そういうことをやってきたチームは僕が入社する以前からあって。例えば、僕が所属しているチームはwithnewsというウェブメディアを運営していますが、それは全国に約2,000人の記者がいるという新聞社の特性や、前述した豊富な広告案件という利点を活用しながら、今年で5周年を迎え、月平均約5,000万PVと順調に成長しています。僕もそこに加わり、新しい形での編集をしながら、新聞社のレガシーを活用し、メディア全体が厳しいこの状況から抜け出す方法を模索している、というのがより正確な言い方でしょうか。生まれては消えるメディアがたくさんあるなか、メディアを安定して継続できる運営の実務経験がある人材は、これからもっと必要になると思うので、自分もそうなりたいですね」
−−たしかに「メディア運営」のプロフェッショナルは、メディアの数が増えた今、いっそう不足している状況です。
「新聞社などの大規模な紙媒体においては、編集とビジネスが明確に分離されていて、それによりジャーナリズムが守られてきたのだと思います。運営をするうえでは数字への意識が必要ですが、それは別の誰かが考えてくれるものでした。その意味では『運営』に特化する人は少なかったかもしれません。一方、小規模なウェブメディアはその規模感ゆえに、何でも自分たちで考えなければならない面があります。その結果として起きているのが、中〜大規模のウェブメディアの運営をした経験者が少ない、ということではないでしょうか。今は新聞社が中〜大規模なウェブメディアの運営にチャレンジしているところなので、その経験ができるのは大きい、と感じています」
「ジャンボジェットのクルー」と「アスリート」
ウェブメディアと新聞社、双方を内側から見た朽木さんは、両者を「高度が急速に下がっているジャンボジェットとツール・ド・フランスを駆けるカッコいいアスリート」と例えました。その心は…。
−−新聞社とウェブメディア、双方の立場や視点を知る朽木さんにとって、今、メディア業界はどのように見えていますか。
「個々の選手が活躍して、それを間近に見られるウェブメディアは“ツール・ド・フランス”に似ていると思います。アスリートの集団なのでめちゃくちゃカッコいい。一方で、乗り物の特性上、自転車はスタミナが切れたり、ケガをしたりでこぐのをやめたら止まってしまいます。対して、新聞社は“ジャンボジェット”。運んでいる人数も多いし、外の様子が見えにくく、操縦はパイロットに任せればいい。だけど、高度が急激に下がってきてるのは事実で、それを放っておくと落ちたときの被害が甚大になる。その二極化が進行しているように見えます」
−−どちらにも難しさがあるわけですね。タイミングとしてはどう受け止めていますか。
「僕は33歳ですが、まだ社会人6年目なんです。医学部を27歳で卒業して、オウンドメディアの運営企業に入社する、という変な経歴だったので。だからもうあまり時間的な余裕がないと感じていて。『年齢も含めて、僕自身がウェブメディアのフェーズに合わなくなった』ということだと思います。もっと若い人、逆に伝統メディアでずっと仕事をしてきてウェブメディアを経験したい人には、僕がいた環境はいいところなので」
−−そう遠くない将来、自身が中心となってメディアを運営することもあるかもしれません。
「いずれそのような機会をいただけたとして、そのときに何が必要なのかを考えたときに、自分に足りないところが多すぎると思ったんですよね。立ち上げるだけ立ち上げて、うまくいきませんでした、となる可能性を少しでも減らすためには、メディアを安定して継続させる方法を一つでも多く経験しておきたいと思っています」
自らのこれまでのキャリア、目の当たりにしてきたウェブメディアの現状、そして現在直面するマスメディアの将来の姿を、客観視によるストーリーとしてではなく、今まさに自らの手でそれらを“編んでいる”当事者として語ってくれた、朽木さん。後篇では、一人の記者としてのこれからの仕事についてうかがいます。