「うち、特殊なんですよ」
有限会社カイカイキキでZingaroギャラリー総括マネージャーを務める當麻篤さん。村上隆氏の丁稚奉公からキャリアをスタートさせ、現在入社8年目を数えます。
前編▶最初の肩書きは“丁稚奉公”。カイカイキキのマネージャーが語る、アートを仕事にして生きるとは?
當麻さんのお話には、ときおり「特殊」という言葉が出てきます。まず、社長がアーティストであるという点。それゆえ、アーティストの立場に立った細かな気配りで、制作においてストレスのない環境づくりを心掛けることができると言います。そして、もうひとつ。とにかく村上氏のビジョンをかたちにすることが第一だと教えてくれました。
ビジョンを実現するために。カイカイキキ流、ミッションとの向き合い方
「他のギャラリーであれば、キュレーターがいて、設営スタッフがいて、販売・受付スタッフがいて……、それぞれの立場があるので、目的や目標も多々存在しますよね?でもうちの場合は、展示プラン、販売内容に至るまでのすべてを村上が決めているんです。村上の会社なので当たり前と言えば当たり前ですが。こう言うとちょっと変な宗教的な部分があるんですけど、村上の言ったことをいかに忠実に再現させるか」
それがカイカイキキで働くスタッフの役目だといいます。
村上氏のビジョンを、どう共有してかたちにしていくんですか?
「村上の指示は、遠い未来を見据えたものが多いんです。細かいことは言わず『ギャラリーを作って』とか。でも、そのプロセスはめちゃめちゃあるじゃないですか。そこはかっ飛ばしてゴールしか言わないので、ゴールまでは自由というか、僕のやり方でやらせてくれます。
もちろんプロセスも毎回細かく確認し、おかしいところはおかしいと注意されますけど、振り返ってみると自分で考えてクリアしていけばいいことばかりだった気がします。『(iPhoneケースを指差して)これ作って』と言われたら、迂回しようが何しようが最終的にケースができていればいいんです。だから、自分で考えられない人にとっては、うちの会社で働くのは難しいかもしれない。逆に、実現力は強くなるし、入ったばかりのスタッフに普通であればありえない仕事を任されたりもする。村上は若い子への教育が好きなので、チャンスはたくさん与えてくれます」
共通のボスがいるから、横の繋がりは強い。
かなり大変なことも多いと思いますが、カイカイキキの仕事を続けているのは、村上氏のどんなところに惹かれているからなのでしょうか?
「やっぱりおもしろいので、村上の発想が。毎回『まじ?』っていう感じです。それをかたちにするのは大変だけど、経験になるし、やっているうちに『あ、これ成功するな』っていうイメージがわく。積み上げた積み木を前日に壊されることもありますが、もう1度みんなでゼロから作り上げる。常にラスボスと戦っている感じです。共通のボスがいるのでスタッフはみんな仲がいいんですよ。昨日は殴り合いをしていても、最終的に手をつないでゴールをしているみたいな(笑)。そうやって協力していかないとボスを倒せないので。
村上の言ったとおりに動くと、最終的には『ああ、なるほどな』っていい形で終わるんです。村上自身の作品に関してもそうなんですけど、クオリティには厳しいので。グローバルでいくなら完成度が高く高度な内容でなければダメだというのが彼の考えです。ローカルであれば、たとえそうでなくても、手法やコミュニティが出来れば成功できる。でも、グローバルならハイクオリティじゃないと戦えないって」
村上氏のイメージに向かって突っ走れば必ずいいものができるということですね?
「そうです。でも辛いですよ。基本怠慢するなってことですから。脚に肉をぶら下げて、後ろにライオンがいる状態で仕事しているようなものです(笑)
うちってよくブラックだって言われてますけど、考え方の問題なだけで、精神的には強くなりますよ、本当に。どんどんやる事がレベルアップしていくし、それを求められるので。こんなこといったら他の会社に失礼だけど、違うところばっかり見てるんですよね。いろんな経験積みたいならカイカイキキに入ると色々やらせてもらえるって感じです。ブロードウェイみたいなギークな場所にもいるし、海外にも行くし、オタクのパーティーにも行くし、ユニークな会社です」
入社してから今まで一番感動したことは何ですか?
「うーん、やっぱり海外で初めて村上の個展を見たときかな。それまで、本人と仕事はしていても、見たことがなかったんですよ。日本で展覧会をしていなかったですし。出張で一緒に連れて行ってもらったときに『やっぱりすごい人なんだな』って肌で感じたというか。今回、国内では14年ぶりに個展をやりましたけど、うちは海外ばっかりなので」
それは作品そのものへの感動はもちろんですが、村上氏に対する周りの人たちの態度を見て、でしょうか?
「そうですね。どれだけ国内で雑に扱われてるんだって思いましたね。日本では普通に電車に乗ってて、誰にも気付かれないのに、その時は到着した瞬間に長い車で迎えに来てくれたりして。『俺、ボロボロのジーンズなのに乗って大丈夫なのかな?』って。村上もサンダルとかで『いいんですか!それで!』って。会場もとても広いし、金額も桁がひとつもふたつも違う、お客さんもスーパースター。そういうのを見ると、ある程度理不尽なことをされても理解できるというか、我慢するしかないかなぁと思ったり(笑)」
村上隆をサポートすること= 社会貢献であり、日本のため。
今思えば、あれはターニングポイントだったなというような失敗談があれば教えてください。
「僕は丁稚奉公をやった後に村上にくっついて歩いてスケジュールの管理をしていたんですよ。あるとき、出張先でスケジュールの書き忘れか何かでミスをして村上に叱咤されたことがありました。その後、移動先の展覧会場でもずーっと怒られていて、最終的にはホテルで正座させられ、説教されたんです。たぶん軸を正そうとしてくれたんですよね。発端は些細なことから、こんこんと説教されて。日本に戻ってからも『あっち行け!』って、ある意味左遷的な感じで中野にきたんですよ。それまで秘書みたいなことをやっていたのに、2ヵ月くらいまともに村上と会話できなかったんです。
当時はここにギャラリーもなく、事務所しかなくて本当にやることがなかったので、残っている仕事を消化して辞めるつもりでいたんですけど、いい物件があったので村上に伝えたら、『ギャラリーやろうか』って。誰がやるんですか?って聞いたら『とりあえずお前がやってみろ』って。始めてみたらうまくいって4店舗に」
そのあと仲直りしたんですか?
「もちろんもちろん!ギャラリーを始める頃にはちゃんと直接やりとりしましたよ。そういうことが多いですね。大きく怒られて、けちょんけちょんに言われてからリビルドする。村上は1度壊すことが多いんですよ。試すんです。どこまで注げるかっていうのを。溢れてから、全部捨てて、もう1回入れるという」
今までお話を聞いてきて、 仕事をするのは村上氏のため、会社のためなのかなって思ったんですけど。ずばり、當麻さんは何のために仕事をしていますか?
「先に言ってもらったように、会社のため、村上隆のためというのが大きいです。もともとやりたいことはなかったので、ここに入ってからやるしかなくなったというか。変な話、村上の仕事をサポートして、彼を立てるということはある意味社会貢献に、大きく言えば日本のためにもなってると思っています。そう考えると、いずれ教科書に載る人物のサポートをした、できたという満足感はあると思うんです。育ててもらった恩義もあるし、やらなきゃいけないっていうのもあるし。そうですね、今はずっと続けることしか考えてません」
インタビュー中、村上氏のことを社長、ボス、ときには冗談まじりに“敵”とまで表現していた當麻さん。村上隆という存在と共に仕事をすることへの誇りが言葉の端々に現れていました。