2019年1月、夜7時を迎えた八王子駅前にある生涯学習センターの1室では、何人ものボランティア講師が受験を目前に控えた中高生に熱の入った声で個別指導を行っていました。高校生と差し向かい、ひときわ大きな声で大学受験指導を行う小宮位之(こみやたかゆき)さんの姿もそこにありました。
小宮さんが設立した「NPO法人八王子つばめ塾(以下「つばめ塾」)」は、経済的な困難を抱えた家庭の子どもたちに無料で学習支援を続け、ことしで7年目を迎えます。講師1人と生徒1人からスタートした無料塾は、7教室・85人の生徒を数えるまでに拡大。活動を支えているのは、交通費も自費で参加する多くのボランティア講師と支援者からの寄付です。
子どもの貧困が社会問題としてクローズアップされるなか、無料塾の取り組みは全国各地で広まりつつあり、「つばめ塾」をロールモデルに設立された「つばめ」の名を冠した無料塾も増えています。無料塾という“ココロオドルシゴト”に出会った小宮さんに、その経緯を伺いました。
“子どものため”、そして“自分のため”から始まった
JR八王子駅から徒歩で10分ほどの「元横山教室」。この小さな1室で「つばめ塾」は産声を上げました。当時、映像制作の仕事に携わる会社員だった小宮さんが、たった1人で学習支援を始めた理由には、”子どもたちのため”のほかに、ある思いがあったといいます。
−−どのような思いから無料塾を始められたのでしょうか。
「経済的に苦しい家庭の子どもの役に立ちたいという思いが一番にありましたが、同時に、9年間続けてきた映像制作の、クリエイティビティーが求められる部分での行き詰まりも感じていて。この先の人生、これをやり続けられるかなと。仕事とは違う形でサラリーマンとしての強みを生かせることはないかと模索していました。また、会社員以前は教員としてキャリアを積んでいたから、教育にまた携わりたいという思いもありました」
−−教育支援を通じて子どもを貧困の連鎖から救う「無料塾」を知ったきっかけは?
「サラリーマンとしての安定収入があるから、ある程度は無償のボランティアができる。教員としてのスキルを活用して学習支援ができる。『ボランティア』『学習支援』というキーワードでしらみつぶしに検索して見つけたのが、すべての授業をボランティア講師が無料で行う東京・国分寺の無料塾でした。家庭の経済的な事情で学費や生活費の補助を受けている生徒を対象に、教育支援を行っている団体があると知り、大感激しました。私が提供できるボランティアと学習支援に加えて、自分が貧困家庭に育った経験も、すべて組み合わせられるやり方を知って『最高だ!』と思ったんです」
いつか、こういうボランティアをしたいと思い続けていたさなかの2012年、義母が所有していた学生寮に空き部屋が出たという話が舞い込みます。六畳一間の部屋には机と椅子、ホワイトボードが残されていました。
−−まさに授業に必要なものばかりで、「渡りに船」ですね。
「それを見て、こういうのがあるんだったら、無料塾を自分で開けるんじゃないのかなと思ったのが、最初のきっかけなんですよね。2〜3年後には、各教科に1人ずつ講師がいて、全部で10人くらい。生徒も10人くらいにまで大きくなれば立派な無料塾だ、ボランティアだと思っていました。ところが、1年たったら生徒は50人ぐらいになっちゃって、それには非常にびっくりしたかな。会社員を続けつつ、ボランティアで教えられたらいいと思っていたから、仕事を辞めて『つばめ塾』に専念するとは夢にも考えなかったです」
正社員を辞め、無償ボランティアへ専念する決断
2012年9月の開設から半年後には会社員を辞め、「つばめ塾」の運営に専念する決断をします。家族を養いながら、無償のボランティア活動に専念するという道を選んだ34歳の小宮さん。家族の賛同は得られますが、妻と3人の息子を養うため”何足ものわらじ”を履く生活が始まりました。
−−その当時は、どうやって生計を立てていたのですか?
「家庭教師、予備校の講師、弁当屋の皿洗いに配達。それでも幼稚園の保育料を出すのが大変になってきたので、コンビニでの夜勤も。何足ものわらじを履きながら、つばめ塾で教えたり、入塾希望者や講師希望者の面接をしたり、全国から『私も、地域で無料塾を開きたい』という方が見学に来られるのに応対したりという日々が数年続きました。今は、高校の非常勤講師、病院での入力事務のアルバイト、それとつばめ塾の理事報酬の“三足のわらじ”を履いています。最近になって、不定期ですが大学の講師や講演で収入を得られるようになりました」
−−家族の生活とボランティアの両立に、苦しさを感じたことはなかったのでしょうか。
「一番の苦労は自分と家族の食いぶちで、『つばめ塾』のほうは、実は苦労って思ったことないんですよ。塾を作ったときが34歳で、仕事も十数年経験して、人との接し方もある程度分かってきていたし、やろうと思えばできる体力もあったころ。意外と34歳って、起業する人も多いと思うんですけど、気力も体力充実して、やれるときなんですよね。生活のために、アルバイトを掛け持ちでいっぱいやっていましたけど、全然できないことでもなかったし。そういう、ちょっとした団体を立ち上げるには、ある意味、一番いい年齢だったかもしれないんです。誰から命令を受けてやってるわけじゃないから、損得の勘定もないし。多分、ほかの起業家の人も、皆同じなんじゃないかな。寝ずに働いて会社を作っても武勇伝の一つにすぎなくて、それを苦労したとは多分言わないでしょうし」
資本主義の尺度では測れない無料塾の可能性
2013年10月、「つばめ塾」はNPO法人となり、小宮さんは理事長に就任します。ボランティア団体がNPO法人化した目的には「全国に無料塾を広めたい」という理由がありました。
「子どもが通える範囲は意外と狭く、自転車でも電車でも15〜20分で行ける範囲が限度で、これ以上遠い場所には生徒は来られません。全国各地に無料塾が点在していないと意味がないのです。今でこそテレビや新聞、雑誌から取材を受けて無料塾のなかでは有名になってはきましたが、当時は、どこの馬の骨とも分からない団体でした。そこが『無料塾を作りませんか』といっても、やはり伝わりません。NPO法人化の意味は、団体や活動の信用度を高めるためでした。今では八王子市のほかに、町田市、神奈川県相模原市、大阪府豊中市などに『つばめ』の名を冠した無料塾が広がっています」
−−今後の展望はありますか?
「将来像をあまり明確には決めていませんが、『30年は続ける』とだけは決めています。亡くなった父が、少年野球のコーチを25年間続けていたんです。もちろん無償のボランティアです。それを上回るためには、30年やるしかないなと(笑)。教育は本当に時間がかかることで、数年やったくらいでは成果は出ないです。30年やって、はじめて1つの成果が得られるだろうと。そこから逆算すると、あと23年しかできないのはさびしくてしょうがないですが、そのくらい続けていれば、全国の民間有志型の無料塾をたどると、半分以上は『つばめ塾』をモデルにしていた、といわれるくらいにはなるんじゃないかと思っています」
−−小宮さんの活動の原動力はどこから湧き出るのでしょうか?
「資本主義の理屈だったら1万円かけたら1万円の対価しか生まないかもしれないけれど、無料塾の生徒には0円でも、ともすれば1万円以上の価値が提供できます。自分にとってものすごくいい教え方をする先生と出会って、勉強を頑張ろうと思ったとか、自分もボランティアをしてみようと思ったとか。こういう“化学反応”は金額に換算できないし、いつ起きるかも実は分からないのが、醍醐味ですね。お金をかければ、かけた分だけのことはあるかもしれないけれど、『お金をかけられなくなったら、それまで』になってしまいます。寄付で成り立っている活動ですから、寄付ありきではなく寄付してもらえるような活動を作り、続けることで、いつ起こるか分からない化学反応に出会える可能性も上がると思うんです」
資本主義的な発想からかけ離れた“無報酬の職業”という天職に出会い、「毎日わくわくしながら『つばめ塾』をやっています」と語る小宮さん。後編では「つばめ塾」に多数のボランティア講師が集まり続ける理由、そして、ボランティアとともに活動を続ける秘訣を聞きます。