映像やインスタレーション、プロジェクションマッピングなど最先端の技術で空間を演出するクリエイティブチーム、NAKED(ネイキッド)。今日お話しを伺うのは、株式会社ネイキッドの代表であり、過去に東京駅の3Dプロジェクションマッピングやアクアパーク品川でのイルカショーなどを手がけた、村松 亮太郎(むらまつ りょうたろう)さんです。
2016年8月。東京ミッドタウンでは、NAKEDがプロデュースする「花を五感で楽しむ体感型イベント『FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園』」が開催され、大盛況のうちに幕を閉じました。同年1月の日本橋、8月の六本木での開催で通算12万人を動員したというこちらのイベント。取材時、現地におもむき会場に足を踏み入れると、光と音の華やかな演出とともに、甘いお花の香りに包まれました。
入り口で存在感を放つこの「BIG BOOK」は、「FLOWERS BY NAKED」の世界観を伝えるイントロダクション的役割のコンテンツ。村松さんをはじめ、ネイキッドの撮影監督である藤田秀紀氏が自ら鹿児島県霧島市で撮影した4K映像を、優美な3DCGと合わせてマッピングしています。
会場の各所に、写真を撮ってSNSにアップしたくなるような工夫が散りばめられ、自撮りを楽しむ女性客も多く見受けられました。見たり、触ったり、味わったり…まさに五感をフル活動させて楽しめる空間。本当に自分が東京の真ん中にいることを忘れてしまいそうです。
『FLOWERS BY NAKED』の着想
既に二度目の開催となる「FLOWERS BY NAKED」。まずはこのイベントを開催することとなった経緯を伺いました。
「『FLOWERS BY NAKED』は、僕がシンプルに『こういうものをやりたい』と思っていたことを具現化したものです。やはり日頃の業務では、クライアントがいて、その意向に基づいてNAKEDが演出協力をするという関わり方が多いので、自分たちが本当にやりたいことを自由にできる機会というのは少ないんです。
前回開催したときは1月だったのですが、そのときのテーマが『秘密の花園』だったのに対して今回は『魅惑の楽園』。花というのは季節物ですから、これらはまったく別のものになっています。2ブランドと考えていただくとわかりやすいかもしれません」
また、花というテーマを選んだ理由を問うと、あっけらかんと「だってお花綺麗じゃないですか!」という回答。
「後付けの理由ならいろいろありますけど、『花をテーマに作品作りたいな〜』と直感で思ったから作ったんですよ(笑)。たとえばカフェで良い感じの女の子がいて、『なんかいいな』って思ったときに、その女の子のどこがどう良くてなぜ良いと思ったのかとか小難しく言語化するのも無粋じゃないですか? 僕は感覚的に感じる『良さ』というのを映像やビジュアルで表現したいんです。
…でもあえて説明するなら、海外ではもっと身近に花があって親しまれているのに、日本ではあまりそういう文化がないなと思ったのが着想のきっかけだと思います。実際の花の展示やラベンダー園となるとなかなか関心持つの難しいじゃないですか。なので都会的かつ現代的なイベントに仕立てようということで『FLOWERS BY NAKED』が生まれました」
−村松さんの生活には花が身近にあるんでしょうか?
「いやあんまりないですね(笑)」
–でも、デートに花束を持っていってそう…。
「それがね、恥ずかしい話なんですけど、13歳のとき、風邪で休んだ同級生の女の子のお見舞いにバラの花束を持っていったことあるんですよ(笑)」
−やっぱり!(笑)
「どうしてバラにしたのか、全然覚えてないんですけど、王道を好む性質は昔から変わってないかもしれないです。僕、音楽だったらビートルズが好きで。ビートルズってすごい王道で、本質的じゃないですか。もちろん、マニアックなものも聞くしそういう中に好きなものもあるんですけど、じゃあ墓場にひとつ何を持っていくとなるとやっぱりビートルズがいい。映画は年に1000本くらい観ていた時期が数年ありましたが、1本選ぶならゴッドファーザーなんです。究極的に突き詰めるとそういう本質的に良いものがいいなって思ってるんですよ。
なので、作品を作るときも、『世の中的にポピュラーでありたい、本質でありたい』というのをいつも意識しています」
見る人の心をストレートに掴む村松さんの作品。しかし村松さんは、「自分の作品はこうあるべきだ」という固定概念を持たないそうです。大切なのは、あくまでお客さんがどう感じるかということです。
「人のカラダって最高のセンサーじゃないですか。まず直感で『いいな』と感じて、それを脳で言語的に解釈するのが自然な流れなのに、言葉や知識で事前に説明してしまいたくないんです。ある人がアートだといえばその人にとってはアートだし、またある人がエンタメといえばエンタメになる。解釈は人それぞれの感性に委ねています。
たとえば、アクアパーク品川の『花火アクアリウム by NAKED』もNAKEDの仕事なのですが、カップルに非常に好評で、最近では『水族館=デートスポット』として認識されることも増えてきました。従来ですと、水族館といえばファミリーで行く方が多かったと思うのですが、こういう演出を取り入れればカップルでも楽しめるよ、という少し別の見方を提示しただけなんです。
東京タワーでおこなった『TOKYO TOWER CITY LIGHT FANTASIA』も、夜景とマッピングのコラボレーション作品なのですが、そもそも多くの人は夜景が好きという前提の上で、その価値を再認識するきっかけを提供しています」
“目新しいこと”ではなく、“既存の物への見方を変えるきっかけ”を作り出すーーそんなクリエイティブカンパニーNAKEDを一躍有名にしたのは、2012年に演出を手がけた東京駅3Dプロジェクションマッピング『TOKYO HIKARI VISION』でした。
当時そのセンセーショナルな作品が業界を震撼させ、ニューカマーの登場かとも言われましたが、実はNAKEDが創業されたのは今から19年前のこと。その立ち上げの背景には、今の村松さんの人物像からはなかなか想像できない、あるドラマがあったのです。
NAKEDを立ち上げた理由とは
NAKEDを立ち上げた1997年。当時、村松さんは200万円の借金を抱えていました。その理由は、映画を撮るための機材を買いあさっていたから。
「僕、人間のクズだったんですよ(笑)。NAKEDを設立する前は役者だったんですけど、事務所を4つも揉めて辞めてますからね。理由は、ショーン・ペンやゲイリー・オールドマンみたいな俳優になって映画に携わりたかったのに“ポスト・トレンディ俳優”の流れに組み込まれそうになったから。そういう路線に改造されそうになって、かなり揉めました。自分としては理想と信念があってストイックにやっていたんですけど、まわりは認めてくれないと感じて鬱々としていました。
俳優としては映画に携われそうもない。そう悟って、じゃあ自分で作ってしまおうと思いました。とにかく当時は作りたくて仕方なかったんです。初めてmacを買って、『やった!これで映画作れるぞ』と、嬉しくて。それで他にも機材を買いあさっていたら借金が膨らんでしまって(笑)、好きなことを続けていくためにはお金がいるというに気づいてNAKEDを立ち上げるに至ったんです」
NAKED立ち上げ当初、村松さんは「レッテルを貼られる」ことに心底嫌気がさしていたと言います。その思いの発端は、思春期に本当の自分を見てもらえなかったというトラウマにありました。
「僕自身、優等生とかイケメンとか評価されて得した経験が無いんですよ。むしろそれはレッテルだと感じていて。
小学校のときから勉強もスポーツもどちらかというと得意だったんです。それからみんなと遊ぶのが大好きで、ただ仲間はずれを作りたくなくて、放課後は出席番号1番の赤松くんから最後の吉田くんまで電話かけて遊びに誘うような子供で。だから周りからは勉強もスポーツもできるリーダータイプだと思われてて、ときには神童なんて言われていたんですよね。
でも、13歳くらいのときかな…自分が何かを頑張った結果、たとえば表彰されるようなことがあっても、誰も内心喜んでいないのでは? と感じるようになったんです。努力の末に何かを成し遂げても、『もともと村松はみんなとは違うから』と言われてしまう。何かに挑戦しようとしても、『そういうのは村松には似合わないからやらなくていいよ』と反対されたこともあったりして。映画が好きで関わりたくて俳優をやってたって、『ああイケメンだからやってるんでしょ』って言われて終わり。だから、レッテルだと感じるようになってからは、周りのみんなが思っている『完璧な村松』という像を壊したくて仕方なかったんです」
周りの評価と自分の思いとが戦う中で、NAKEDはデジタル環境で映像を作る珍しい会社としてキャリアを踏み出します。
「NAKED設立当初に決めていたことは、『人として正しいことをしよう』ということと、『業界で一番の会社と仕事をしよう』という2つだけでした。業界で一番というのは、当時では日本テレビさん、電通さん、ソニーさんなどのこと。そこと仕事ができればあとはなんとかなるだろうという気持ちがあったんですよね(笑)」
しかしその頃は、「映像とデザインを融合する」という村松さんの主張はなかなか人に受け入れられるものではありませんでした。しかも当時の村松さんは銀髪。実績もなければ前職は俳優ということで、かなり怪しい人物に映ったのではないかと言います。
「だけど結果的にその3社とのお仕事は立ち上げ一年以内に全て実現したんです。最初は電通の方が、たまたま僕達の映像を見て興味を持ってくれて、コンペに参加するチャンスをくれたんです。初めてのコンペなのに、大手の映像制作会社が名を連ねる7社競合だったんですよ。しかもコンペ当日、プレゼンは1時間なのに、必死に準備しすぎてまさかの45分遅刻(笑)。電通の方は別の日でもいいよと言ってくださったんですが、この45分のハンデを乗り越えるには、残りの時間でめちゃくちゃインパクトを与えるプレゼンをするしかないと腹をくくりました。遅刻しながらもタクシーの中でプランを大幅に変更して、勝負をしたんです。そうしたらプレゼンが終わってもそのまま1時間以上話を聞いてくれて、帰りのタクシーの中で『決まったよ』とお電話をいただきました」
無名で実績もない。けれど作品が良ければ評価してもらえる。それはレッテルに苦しんでいた村松さんにとって、大きな希望となりました。
「それまで僕は、僕 VS 理解してくれない大人たち、みたいな図式で戦っていたので、こんな自分のことを認めてくれる大人もいるのか…と感銘を受けました。正直当時は『良いもの作ってるんだからコンペも勝ち抜いて当たり前』くらい思ってましたけど、今となってはそれがどれだけ会社としてリスクを取ってくれたかということがわかるので…その方々とは今もお付き合いがあるのですが、本当に頭が上がらないです」
−クリエイティブの世界では、そういう方々と出会う頻度も多いのでしょうか?
「そうですね、良い出会いも多いですが、悪意を持った人とは今でも出会いますよ。でも今はトラブルがあっても、かつての思春期のごたごたとは異質のものですし、自分が結果を出せていればある程度は良いほうに転がります。それに、この世界に入ってからは100人に否定されても、ひとり支持してくれる人に出会えればいいんだと思えるようになりました。自分が信じたものをやりきることで、その『100人にひとり』が現れるんです。そうやって、自分の人生にとって大切な人に何人出会えるかというのを大事にしていくしかないなと」
嬉しいときもつらいときも、NAKEDとともに歩んできた19年間。村松さんご自身にはどのような変化があったのでしょうか。
「うーん、丸くなったと思います。自分の中にあった鬱々としたものが、クリエイティブをやっていく中で昇華したという節もあると思います。当時、『芸術は爆発だ!』と言わんばかりに自分がアートになっていろんな人とぶつかっていましたから(笑)。
でもいまだに自分が成功したとは思っていないし、やりたいスケールに関しては、やっと舞台に立てたかなという感じです。何かを成し遂げたという気持ちはゼロですね。今も創業当時と何も変わっていなくて、納得いかないってもがいてます」
−村松さんにとって「成し遂げた」というのはどういう状態なのでしょうか?
「わからない!(笑)教えて!(笑)でもそういうのって、やっているときはわからないものかもしれない。今も振り返ってみれば、ある程度のことは形にしてこれたのかなあと気づくときもあります。ただやっているときは、なんらかのパッションを持ってただ夢中でやっているんですよね」
矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、人の目をまっすぐと見てお話しされる村松さん。気さくでありながらその眼光は鋭く、心の中まで見透かされてしまいそうな力強さを備えています。
後編では、村松さんが19年という年月をかけて築いてきたNAKEDに焦点を当て、クリエイティブカンパニーとしてのあり方や今後のビジョン、そして村松さんの追い求めるプロフェッショナルに迫ります。
◼︎イベント情報
『SWEETS by NAKED』(スイーツバイネイキッド)http://sweetsbynaked.com/
【会場】表参道ヒルズ 本館B3F スペース オー(東京都渋谷区神宮前4−12−10)
【期間】2016年12月1日(木) ~ 2017年1月9日(月・祝)
<全 日> 11:00 ~ 21:00 ※会期中無休 ※入場は開場30分前まで
【主催】SWEETS by NAKED 製作委員会
【企画・演出】NAKED Inc.
【特別協力】表参道ヒルズ
【コンテンツ協力】Ben & Jerry’s/HUGO&VICTOR / papabubble/ KuKuRuZa Popcorn