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台湾私立実践大学コミュニケーション・デザイン部卒業。ビジュアルデザイナーや大規模なコンサートの映像設計者として作品を制作していました。2014年からは、台湾の有名な歌手や香港の歌手と、アートディレクターとしてコンサートツアーに協力していました。
大学でコミュニケーションデザインを専攻していました。 視覚的なイメージをコミュニケーションの架け橋にする方法は、私の目標です。 今でもこの概念に従って創作活動をしています。私にとって、デザインとは質問をして問題を解決することです。問題があるときは、自分の持っている専門で問題を解決することに挑戦したいです。
大規模なプロジェクトが連続しているうちに、暫く新しいことが学びたくなってきました。仕事仲間と相談してから、会社を辞めることにしました。日本語で是枝裕和と村上春樹の作品が読めるようになりたいので、日本で日本語の勉強を始めました。日本に来る前に、シンガポールの木炭画作家に関するドキュメンタリーのアニメ監督を担当しておりました。
プロジェクトの拡大とともに、スタジオを有限会社になることにしました。そして、演出現場部も成立しました。業務の範囲は映像制作から映像に関する演出現場までになりました。この頃、視覚提案、予算作成と予実管理、チームワークでコミュニケーション能力、など、深く成長しました。単に、制作面ではなく、管理面も豊富に学ぶことができました。
フリーランスをしているうちに、自分のスタジオを作ろうと思ってきました。今までの経験を通して、大規模なコンサートに関する視覚のニーズが生まれるだろうと思っていました。このような挑戦する気持ちを持っていたので、大学の同級生とスタジオを始めました。アートディレクター、映像プロデューサー、などの仕事を担当しておりました。
暫く大学へ戻り、単位を取り、卒業後初めてフリーランスデザイナーになりました。コンテストに参加したり、仕事をしたりしていた。この頃、歌手ではなく、様々なブランドと協力していました。映像ディレクター、プロデューサー、ビジュアルコーディネーター、撮影、などの仕事に挑戦しました。
大学の四年生の時、コンサートの映像を作っている会社の内定を頂きました(台湾では就業活動なし、卒業後すぐに会社に入る人も少ないです)。映像を作り、ビジュアル・エフェクツ、グラフィックデザイン、などの仕事をしていました。その中で視覚設計、コンポジター(VFX)、映像編集、ビジュアルジョッキー(VJ)、を担当しておりました。