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INSTYLE GROUP /COO / インスタイルグループCOO
*INSTYLE GROUP-COO *INSTYLE GROUP - FINEST Inc.- 代表取締役 CEO *INSTYLE GROUP代表西村 豪庸(にしむらひでのぶ)とは高校からの親友、彼を唯一「ぴょん」と呼ぶ男
胸張って、地に足つけて、生きる。 何か一つ「自分にはこれがある」を社会的に確立する。 季節の移り変わり、年中行事に合わせて、家の飾り付けを変えるくらいの物心両面の余裕、心のゆとりがある大人でありたい。
【 現在 】 赤坂勤務から、2か月。 僕は社長になりました。 職歴みて貰えばわかると思いますが、まだまだ勉強が必要な人間です。 皆様どうぞよろしくお願いします。 (下から読んだほうが時系列で読みやすいです)
【 大きな転機7 】 INSTYLEの赤坂オフィス勤務へ underneathでのバーテンダー勤務が2年半を迎えるころ、ちょこちょこ写真撮影の仕事を振っていただいていたが「きぬ川さんのお弁当の写真をすべて撮り直す」という大ミッションのお声がかか
ヨガスタジオの仕事量をこなす日々をヒーヒー言いながらもやりがいを感じながら過ごしていた時、西村から「飯食おうぜ」と連絡がくる。僕はその時、初めてINSTYLEが大きくなっていることを知る。ヨガスタジオに「辞職願」を提出してから辞められないこと1年間、西村はずっと待っててくれて、ようやく合流。
履歴書に書けば真っ黒になるほど仕事を転々としています。 20代は目的のため。 30代は日銭を稼ぐため。 自分が何がしたいのかと聞かれれば、働かせていただいている場所で、役に立てるようになりたいの一心ではある。
ヨガスタジオに就職 心が病みすぎていたところに、偶然ヨガの先生と出会う。それで別に救われるとかではないが、その先生がヨガスタジオに口利きをしてくれて働かせていただくことになる。
西村が頑張ってくれて残務整理もパン屋も手放せる状況になり解散。 僕は「何者でもない」し「役に立ちたいだけ」なので、ありとあらゆる面接で「君は一体なにがしたいの?」「うちじゃなくてもいいってことですよね?」とことごとく落ち続け、身も心も経済的にも落ちぶれて、日雇いバイトの闇時
溶接工場が倒産した直後、タイミングよく西村が代官山でお店だすと連絡をくれて、人生2度目の合流。 みんながイメージしやすい今の西村像にこの時すでになっていた。「飲食から一度離れる」と話してから数年、彼は大きく成長していた。僕は溶接ができるようになっていただけで、飲食も久しぶり
解散後 ・早朝にビル清掃(アルバイト) ・玩具協会でSTマーク付与による試験・書類作成の補助(派遣社員) ・お子様ランチのおもちゃのメーカーで試験管理(派遣社員)
バー「アムルタート」開店(正社員) 2年の修行を経て「フレンチの食べれるバー」をコンセプトにしたお店を出す! 修行の成果あもあって、ようやく西村クオリティのカクテルを学ぶことができる。二人でバーカウンターに並んでお酒をさばいたのは今でもいい思
西村が中心となってフレンチレストランで出会った仲間5人で、お店を出すまでの修行期間(ワンピースでいう空白の2年みたいな時期) ・配膳(サービスマンの派遣。その日その日で行くところが違うので、いろいろな現場で自分が通用するか確認する)
・フレンチレストラン(アルバイト) 大学卒業と同時に西村が勤務しているフランチレストランでアルバイトをさせていただく。なんとなく人がよいだけだった今までの接客から「サービスとは?」を学び自問自答し、僕の接客が「仕事」になった。
【 学生時代 】 大学時代 ・餃子とビールしか出さないお店(アルバイト) ・広島焼き屋さん(アルバイト)
【 中央大学文学部文学科英米文学専攻 】 当時、英語の先生を目指していました。 ちなみに僕の英語の成績は、かぎりなく1に近い2です。 「何がわからないのかわからない」の気持ちがわかる先生になりたいなと思い、大学進学をす