個人活動 / 執筆活動
ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力 | 東洋経済新報社
ビジネス視点でナラティブを解説。戦略PRの第一人者が、ナイキやソニー、アマゾン、メルカリなど豊富な事例を取り上げながら、「企業と生活者が共に紡ぐ物語」のつくり方を、具体的に伝授する。
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株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト
PR専門家。本田事務所代表。カンヌライオンズ公式スピーカー/審査員。ブルーカレント・ジャパン創業者。得意領域は戦略PR/広報、ブランドマーケティング、ナラティブ戦略。『戦略PR』『ナラティブカンパニー』など著作10冊以上。80年代洋楽と乱読とウイスキーとキャンプが好き。http://hondaoffice.co.jp
「大きな会社」という存在になるよりも、「質が良くて影響力のある存在」を目指しながら、日本のPRを前に向かって引っ張っていく存在になりたいと考えています。これからの時代は効率よく少ない人数で大きなことを成し遂げるかが重要です。時代に合う形で価値を提供していきたいと思います。
あらゆるPRのジレンマを解消し、PRの力でビジネスや日本を底上げする
戦略PRのノウハウを日本企業に提供し、PRの遅れを取り戻す
世論をつくり、商品へ結びつける欧米風のダイナミックなPRを実現する
世界最大の消費財メーカーであり、世界最大の広告主であるP&Gと出会えたことは、私のPR人生においても大きな出来事でした。 最も刺激を受けた起業であり、その後ブルーカレントを立ち上げた際にも最初のクライアントになっていただきました。
フライシュマン・ヒラードが日本法人を立ち上げたばかりの頃に、セガ時代の上司であった日本法人の代表取締役社長・田中愼一さんに誘われました。 もともとストーリーテリングが重要だという思いを持っていたことや、欧米におけるPRの重要性を知ったことで、自分のやりたいことはこれなのかもしれない、と思い入社。 しかし、セガの頃はPRとは関係のない仕事をしていたので、最初の頃はPRが何かもわからず、日本企業と外資系企業とのギャップも感じていました。
時代の最先端の企業に入り、ゲーム業界に貢献する
入社から2年経ち、ようやくもともと志望していた海外事業部に転属することに。 そこでは当時大流行していたプリント倶楽部を中近東に広めるミッションを担当し、イスラム教の聖地メッカに売り込んだりしていました。 しかし、誰か別の人がつくったものを売り歩くことに疑問を感じながら働いていました。
当時のゲーム業界はとても盛り上がっていて、入社するときはそんな最先端の企業で働けるのだと誇りでいっぱいでした。 しかし、配属されたのはゲームセンター。そこでスタッフとして働くことになりましたが、「一生このまま店員なのかな」という不安と葛藤を抱えていました。本社に戻ることを目標にして、がむしゃらに働いていた時期です。
アメリカやイギリスの映画や音楽にどっぷり浸かっていたので、日本に戻ってからもエンターテイメントの道に進みたいと思っていました。 しかし、映画の道はなかなか厳しいもの。日本でグローバルな環境でエンターテイメントに関わる企業を探していたときにゲーム業界がいいのではないかと思い、就活はゲーム業界に絞って活動していました。
大学時代はアメリカに1年間留学していました。 はじめはまったく英語を話せなかったので、現地の大学ではESSに入り、英語の勉強をかなりしました。ある程度慣れてきてカレッジに編入してからは、コミュニケーションやエンターテイメントの勉強を始めました。
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ビジネス視点でナラティブを解説。戦略PRの第一人者が、ナイキやソニー、アマゾン、メルカリなど豊富な事例を取り上げながら、「企業と生活者が共に紡ぐ物語」のつくり方を、具体的に伝授する。